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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

正義の仮面を被り、無実の教会とキリスト教徒を迫害する村上密氏の活動の危険②

先に述べたように、「鳴尾教会事件」とは、津村昭二郎牧師の後継者となるべく、教団から正式に鳴尾教会に派遣され、信徒からも期待を寄せられていたAB伝道師夫妻が、教会内での公の議論も手続きもなしに、不透明な理由によって、他教会に異動せざるを得なくなったことをきっかけに、2001-2002年に鳴尾教会で持ち上がった混乱のことである。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、鳴尾信徒らの要請に基づき、なぜこのような顛末となったのか、理由を説明し、事態を収拾するために、以下の資料を鳴尾信徒らに配布した。

この文書は、津村牧師の采配の下で、自分たちの置かれていた苦しい立を訴えるために、AB伝道師夫妻が教団の責任者に宛てて送った書簡である。

ここには、鳴尾問題の発端となった津村氏の引退にまつわるいきさつ、津村氏のワンマン教会運営ぶり、津村氏から伝道師夫妻にかけられた理不尽な嫌疑、津村氏から伝道師夫妻に対する理不尽な扱い、伝道師の置かれていた過酷な生活状況、さらには教団理事であり津村氏の義理の息子であった村上密氏による鳴尾教会人事への度重なる密室での公正さを欠く不透明な介入等の具体的な詳細がよく示されている。

この書簡には、教団から配布された時点で、津村氏からの公式な反論も併記されていた。そこで、これは決して一方的にAB伝道師の主張だけに肩入れした不公平な資料とは言えない。しかし、すでに述べた通り、津村氏の反論を考慮しても、なお依然として、津村氏が自らの後継者として派遣されたAB伝道師夫妻をなぜ「後任にふさわしくない」と断定して鳴尾から追放せねばならなかったのか、相応の重大な理由が存在したとは誰の目にも理解できないのである。

むしろ、この資料を通して浮かび上がって来るのは、信徒からも信頼を得ていたAB伝道師を鳴尾から異動させるという重大な決定を、鳴尾の役員会で審議することもなく、鳴尾信徒には一切相談も説明もなしに独り決めしてしまった津村氏の独善的な牧会の抱える重大な問題、および、それに便乗するような形で、当時、教団理事であったとはいえ、鳴尾教会内では何ら公の資格を持っていなかったにも関わらず、あたかも自分が津村氏の代理人であるかのように、鳴尾信徒を徹頭徹尾蚊帳の外に置いて、鳴尾教会の人事に不透明な介入を繰り返した村上密氏の信頼性に欠ける行動の問題点である。

こうした津村氏と村上氏の信頼できない行動と、AB伝道師が津村氏の下で強いられていた過酷な生活条件を見るときに、津村氏及び村上氏が両伝道師にかけた様々な疑惑は、決して根拠あるものとは言えず、むしろ、AB伝道師を都合よく鳴尾教会から追放するために作られた口実だったと見るのが適当であると思われてならない。

なお、文中の赤字は筆者による強調津村師からの反論は紫字、さらに筆者の注釈は青字で加えた。個人名と地名は伏せ、伝道師夫妻の名前は便宜上A師(夫)B師(妻)とする。

 



「教団総務局長 内川 寿造先生


内川先生、先日は突然のお電話、失礼しました。今までの経緯について、順を追って出来るだけ➀客観的に事実を報告させて頂いた方がいいかと思って改めて文書にしています。

➀ 事実だけではなく、想像して記載されている部分が多い

(残念ながら、この資料において、AB伝道師が事の次第を極めて丁寧に詳細に説明しているのに対し、津村氏からの反論はその10分の1にも満たないごくわずかな量であり、とてもではないが、事実関係を丁寧に説明した信憑性のあるものとは言えない。

 この他にも、津村氏が教団に宛てた手紙も鳴尾信徒らに配布されたが、そこにもこの資料以上の具体的な反論は何も記されていなかったので割愛する。

 上記のような津村氏の短い反論を通しても明らかになるのは、同氏は普段から何事についても圧倒的な説明不足であった(もしくは説明しようとの意欲が不足していた)という問題である。
 
 津村氏は教会内で物事を決める際にも、きちんと物事を周囲に相談し、予め十分に周囲の納得を得られるように説明することがほとんどなかった。むしろ、説明抜きに、自らの意志を一方的に押し通してしまうことがほとんどであったと言える。
   そういった事情から、鳴尾信徒らは常に津村氏の説明不足の部分を「推測」や「想像」で補いながら、同氏の心中を忖度して行動するしかなかったのである。

 それは伝道師も同じであったろうと見られる。従って、たとえこの手紙でAB伝道師が「想像」で何かを書いている部分があったとしても、それは津村氏の説明不足が原因で引き起こされたことであり、伝道師の「想像」が先走りした結果ではないのだと言える。

 だが、むろん、津村氏自身はそんなことには全く思いが至っていないことは言うまでもない。) 

   
    実はAPTSを卒業する前に七条教会で村上師と卒業後のことについて話し合う機会がありました。2000年の冬だったと記憶しています。村上師の話では、「津村師は二年後に引退する意志がある」「引退は鳴尾教会の役員も承知のことである」「その上でA師を鳴尾教会の後継として招聘したい」「礼拝説教も少なくとも月に一度はA師に任せる。二年目からは月に二度は依頼する」との事でした私達は当然、村上師個人の見解というよりもむしろ一理事の発言として理解しました。我々としては卒業後の任地に特に希望はなく地方教会でも小教会でも構わないという考えでしたので、何故鳴尾なのだろうかと戸惑いましたが、理事の見解がそうであるならと祈りつつ備えました。

(ここから、AB伝道師の鳴尾教会への赴任前、村上密氏がAB伝道師を呼び出して、鳴尾教会への派遣の際の具体的な「条件提示」を行なっていたことが分かる。

 その条件とは、 
1.津村氏は二年後(2002年)に引退する予定
2.津村氏の引退には教会役員も同意済である
3.津村氏の後継者となる前提での赴任である
4.礼拝説教は月1度行う
5.二年目からは月に2度は行う
 というものであった。

 しかし、ここでなぜ津村氏は自らの口から以上の条件を伝道師に伝えず、村上密氏がまるで津村氏の代理人のようになって、津村氏の同席もない場所で、むろん、鳴尾の信徒も一人もいない密室に等しい場所で、AB伝道師に、証拠の残らない形で、これほど重大な話を非公式に持ちかけたのだろうか。そのこと自体が極めて異常であり、適正な手続きの欠如を示す深刻重大な問題であったと言える。

  村上氏は一体、どんな権限に基づいて、このように鳴尾教会の人事問題に介入したのだろうか?

 仮に村上氏が津村氏から何らかの委託を受けてそのような行動に及んだのだとしても、津村氏の同席なく、第三者の立ち合いもなく、役員会のような開かれた場でなく、記録も証拠も残らない形で、このような重大な「条件提示」を一方的に伝道師夫妻に行ったのは、あまりにも適正を欠く非常識な行為であったと言える。

 そもそも鳴尾教会の後任者を誰にするかという極めて重大な問題は、津村氏の立ち合いなしに決められて良いことでなく、さらに、鳴尾教会内での役員会を含めた信徒の話し合いを経てから、決定されるべき事柄であった。鳴尾教会の指導者でなければ、役員でもなく、同教会と直接の関係を持たない村上密氏が、鳴尾信徒をよそにして自らの一存で介入できる立場にはなかったことは明白である。

 教団理事といえども、緊急事態でもないのに、他教会の指導者及び信徒のいない非公式な場所で、他教会の人事について一方的に関与できるような権限は与えられていないはずである。

 そこで、これは正当な根拠に基づかずに尾教会の信徒全体の頭越しに密室で行われた談合のようなものであり、そこから見えて来るのは、この当時から、村上密氏が津村氏の義理の息子であるという立場を存分に利用して、自らに公に与えられた権限の範囲を踏み越えて、鳴尾教会の内政に暗闇で介入をはかろうとしていた事実である。

  しかも、さらに悪いことに、この時、津村氏の同席なくして村上氏がAB伝道師に行った「条件提示」の内容は、後になってことごとく、事実ではなかったことが判明した。そうなったのは、この時、村上密氏が創作で嘘をついていたせいなのか、それとも、津村氏が村上氏にそのような事実ではない条件を伝えて話し合いを依頼していたためなのか、今となっては不明である。

 いずれにしても、村上密氏は誤った情報をAB伝道師に伝え、それを前提条件として彼らに鳴尾教会への赴任を促したわけであり、これが後に大きな事件を引き起こす原因となって行ったのである。

 にも関わらず、村上氏は自分がAB伝道師に伝えた内容の誤りについては、今日に至るまで何の責任も取っていない。むしろ、村上氏は、初めから、そのようなこじれた事態に発展する可能性があることを見越した上で、後々、自分が矢面に立たされて責任を追及されることがないよう、あえて第三者もおらず、記録も残らない密室で話し合いに及んだのかも知れないという疑惑が生じる。
 
 このように、鳴尾教会内では何の権限も持っていなかった村上密氏が、津村氏の立ち合いもなしに、証人もいなければ、記録も残らない、非公式な閉ざされた話し合いの場で、鳴尾教会の命運を左右するような、極めて重要な決定に関与したことは、恐るべきことであり、不透明かつ適正さを欠く事柄であった。一体、同氏は何を目的にそれを行ったのか、追及されなければならない。
 こうして、正当な権限を持たないのに、他教会の人事に不当に介入を試みる者が、到底、信用に値せず、また、介入の動機も疑われてしかるべきであることは疑いの余地がない。)

 
 2000年の三月にはAPTSの卒業式があり、日本からは内村師が理事として出席くださいました。その時、我々は復職に当たり、内村師から面接を受けています。その後、しばらくクラス等の関係で帰国が遅れ、四月の半ばに帰国し、4月30日に正式に鳴尾教会の伝道師として赴任しました。

 しばらくして気付いたのは、村上師の認識と津村師や役員会の認識との間に相当のズレがあるという事でした。先ず、津村師が二年後の引退を毛頭考えておられないこと、役員会は何一つ知らされていないこと、津村師は主管を退く意志はあっても、その後も鳴尾教会で奉職したい希望を持っておられること等でした。また、②礼拝説教に関しましても私が2000年度に奉仕させていただいた回数は合計5回でした。因みに2001年度は10月20日現在で10回です。実際、私達は派遣されて二年近くになりますが③未だに教会の経済状態が分かりません。過去の教会資料に関しても④牧師館にしまわれていて全く分からない状態です。

(ここでAB伝道師は、村上密氏によって行われた「条件提示」が事実と異なるものであったことを指摘している。具体的な相違点は以下の通り。
 
 1.津村氏は二年後に引退する予定 ⇒ 二年後に引退する予定などなかった
   2.引退は教会役員も同意済である  ⇒ 役員会は引退の予定など知らない
 3.津村氏の後継者となる前提での赴任である
    ⇒引退後も、津村氏は鳴尾で奉仕を続けるつもり。
 4. 礼拝説教は月1度伝道師が行う    ⇒ 年に5回しか説教を担当できなかった
 5.二年目からは月に2度は行う        ⇒ 2年目になっても月1ペース
 
 さらに、教会の経済問題が分からない という問題が発生した。

 また、津村氏はたとえ引退しても、鳴尾を退くつもりはなく、(あるいは名誉牧師のような形で?)鳴尾で奉職し続けるつもりであることが判明した。
 これはつまり、伝道師が本格的に後継となれるのがいつの日になるか分からないことと、津村氏の引退後の世話はすべて伝道師が行わねばならないことを意味したが、津村氏はこの点について全く否定していない。)

② 礼拝説教の回数はそのとおりだが、第1祈祷会、第2祈祷会、および、地区集会の説教を多く担当した。早天のお話し、英会話時の聖書のお話等
 
 (②における津村氏の反論は、どれもメインとは言えない行事の説教のことなので、伝道師の主張に対する具体的な反論とはなっていない。要するに、メインの説教は津村氏がほとんど独占し、なかなか伝道師には回そうとしなかった事実が見て取れる。)

 ③ 教会では毎月の会計報告は、役員会で検討・承認している。伝道師両師は毎回役員会に出席しているが、会計については一度も質問したことがない。信徒総会で1年の決算・予算について審議したが、両師は一度も質問したことがない。
 
(③については、確かに毎月の会計報告は役員会で承認されていたが、その会計報告は形式的なものでしかなかった。津村氏は役員会でも信徒からの意見や質問に十分に耳を傾けずに一方的に話を進めるのが常であったため、役員会での「検討や承認」は十分なものとは言えなかった。
 さらに後になって、津村夫妻のために会計から計上されていた「伝道牧会費」の使途を津村氏は尋ねられたが、その具体的な用途を信徒らにきちんと説明することができなかった。)

④ 過去の教会資料について両師は一度も閲覧希望したことがない。

(④ 牧師館資料については、牧師館に住んでいるのは津村氏夫妻だったので、伝道師らは立ち入るのに遠慮があったろうし、おそらくは津村氏のワンマンぶりがひどかったので、言い出せる状況になかったものと推測される。しかし、そうした事情を考慮に入れて、たとえ伝道師からの閲覧希望がなくとも、本来は当然、津村氏から伝道師に説明して引き継ぐべき事柄だっただろう。)

 
 この時点で我々の立場は何なのだろうかと戸惑いましたが、とにかく理事会に任命された異常、務めを果たそうと努力してまいりました。

 そして、2001年の10月18日、理事会が終わった翌月の朝、突然村上師より電話を頂きました。話があるので午後、訪ねていっていいかとの事でした。我々としては理事会の翌日のことでしたので、人事のことかもしれないと推測しました。

 村上師の話の内容を正確に伝えますと「津村師は2002年に引退なさる意志はなく、少なくとも教会50周年を迎える77歳までは現役でいたい」ということと「AB伝道師を後継者とみなすには疑問を感じる」との事でした。但し、これはあくまでも村上師から伺った話であり、⑤津村師本人からはこの旨を一度も伺ったことはありません

⑤ 両師の正教師任命後、私は来年、主監者になって欲しいという希望を両師に対して個人的に述べた。

(⑤での津村氏の反論はあまりにも言葉足らずだが、言わんとしていることを通訳するならば、次のようになるだろうと思う。

「当初は私も2002年からA伝道者に主監者を譲るつもりでいた。その旨は伝道師にきちんと伝えていた。だから私には引退する意志がなかったというわけではなく、また、引退するとウソをついて騙したわけでもない。ただ、伝道師が後継者にふさわしくないと判断せざるを得ない問題が起きたので、結果として私の引退の話はなくなったのだ」
 
 しかしながら、もし津村氏が本当にAB伝道師を「後継者にふさわしくない」とまで判断したのであれば、なぜそのような重大な決意を、津村氏は(同じ教会に住んで毎日顔を合わせている!)伝道師に直接、誤解のないように伝えなかったのか。

 また、なぜ役員会できちんと発表して、信徒らに理解を求めなかったのか。

 なぜかここでも再び、村上密氏が登場する。村上氏はあたかも自分こそが津村氏の代理人であり、鳴尾の命運を決定できる権限を持っているかのように振る舞い、またもや津村氏の同席なしに、「津村氏の意向」をAB伝道師に伝え、鳴尾人事に資格なく介入するのである。

 こうした村上氏の度重なる介入のために、鳴尾信徒は常に蚊帳の外に置かれたまま、事態は余計にこじれ、悪化し、不透明なものとなって行った。伝道師夫妻にも、一体、どこまで村上氏が津村氏の内心を正確に語っているのか、それさえ分からないまま、密室で一方的に話が進められたのである。)

  
    村上師は後継として疑問を感じる点に関しては次の二点を理由に挙げておられました。第一にB師の説教がまずいという事。これは少し説明させてください。2001年5月20日の礼拝でB師が始めて礼拝説教を担当しました。テキストはヨブ記1:1-12でした。ここでB師は⑦ヨブ記において、サタンは神の敵ではない、という発言をしました。彼女の未熟な点もあり、後から考えると誤解を招きかねない表現だったのですが、彼女としてはサタンと雖も神の主権の下にあって神の意志を超えては働けない。従って、我々は必要以上にサタンを恐れる必要はない。サタンは神と対等の力を持っているのではないという事を一番強調したかったのです。それはメッセージをちゃんと聞いてくだされば十分伝わる事と思います。

⑦ 説教の中で、B師は続けて「サタンは神のしもべである」と発言した。

(⑦ ここで、村上氏が伝道師に伝えたところによると、津村氏がAB両氏を「鳴尾の後継にふさわしくない」と判断した最も重要な理由の一つが、B氏の説教が「異端的だ」と津村氏が考えていることであると判明した。

 「説教がまずい」というのは、話下手だという意味ではない。以下のA氏の指摘からも分かるように、説教内容が「異端的だ」という津村氏サイドからの非難なのである。だが、これはB氏が初めて鳴尾で説教を行なった際の津村氏の指摘であり、つまり、津村氏は一度たりともB氏の説教を温かく応援したり、祝福し、励ましたことがないという事実にも注意が必要である。
 
 そして、もちろん、伝道師の言う通り、説教内容の「異端性」を論じるためには、津村氏のしたように膨大なメッセージの中から一文だけを抜き出すのではなく、全体の文脈を考慮して論じなければ意味がない。さらに、異端的かどうかという判断を下すにあたっては、公の討論が必要であり、津村氏一人だけで決められることでもないだろう。

 たとえば、「サタンは神のしもべである」という表現も、場合によっては、「サタンももとを辿れば神のしもべである」という意味で発せられたかも知れないし、また、「サタンは神の敵でない」という表現も、「サタンでさえ最終的には神の敵になり得ない」という意味で使われたかも知れない。こうしたことは、口頭のメッセージでは分かりにくく、前後の文脈を見なければ判断がつかない事柄である。一文だけを取り上げて議論するのがふさわしくないのは明白である。)

 
   ところが、津村師にしてみれば「サタンは神の敵ではない」という言葉だけが強烈だったようで、5月23日の打ち合わせの際にひどいお叱りを受けました。「今まで、私はサタンは神の敵だと信徒に教えてきたのに牧会上、混乱をきたすことを講壇から伝えられては困る。⑧あなたが謝らない限り、二度と説教の奉仕は回らない」と相当感情的になっておられました。

⑧ サタンは神の敵ではないということを、誰から学んだのかを質問したら、B師は「ダビデ先生から学んだ」と答えた。私は「もう一度、ダビデ先生に聞いてください」と言った。特に私が強調したのは、「神学的にではなく、牧会的に牧師と伝道師が相反する教えをするのは矛盾ではないのか」ということである。

(⑧ この反論では、津村氏は実際に伝道師を叱りつけた時に比べ、かなりトーンダウンしており、神学議論を避けようとしているように見える。
 伝道師夫妻を直接、叱責した際には、津村氏はあたかも異端的な発言が行われたかのように憤慨し、謝罪を求め、それがなければ二度と説教は担当させないとまで言ったものの、反論では、異端の疑いという言葉を津村氏は一切、述べていない。むしろ、「神学的にではなく」とあえて神学論争をするつもりがないことを強調し、ただ自分の説教と異なる主張をされると矛盾が生じて困るから注意をしただけなのだと話をすり替えている。

 当初は、特定の人物に対して大々的に異端の疑惑をかけて騒ぎ立てておきながら、いざ細かい神学論争が必要になると、急に話をすり替えてごまかすという手法は、津村氏がB氏に対してだ行っただけでなく、後に村上密氏が後に鳴尾教会の牧師夫人山田晃美氏に対して異端の疑惑をかけた際にも用いたことに注意が必要である。

 つまり、このように正当な議論も根拠もないのに一方的に異端疑惑を「ふっかける」ことによって、ターゲットとした人物を貶めようとする手法は、村上+津村サイドの常套手段であったと言える。)
 

  
    これに対してB師は「私の説教に関して何か信徒から苦情やつまずいた等の連絡はあったのでしょうか」と伺いました。津村師はそれに対しては「ない」と答えられました。B師にしてみれば、信念を持って御言葉を語ったこともあり、信徒がつまずいてもいないのなら謝る筋合いのことでもないと判断し、「表現には至らない点はあったかもしれませんが、よく説教を聴いてくだされば私の趣旨がご理解いただけると思います」とだけ申し上げてその場では喧嘩別れのようになりました。

(確かに、鳴尾信徒がB氏の説教を聞いて異端の疑惑を持ったり、その内容につまずいたり、苦情が発生したという出来事はなかった。もちろん、B氏が鳴尾教会を去った後も、そのような疑惑が招じたという話は聞いたこともない。そのような問題を提起したのは津村氏1人しかいないのである。)


 その後、6月20日に再び、打ち合わせがありました。津村師はその席でもヨブ記の件を取り上げ、⑨「まだ謝る気はありませんか」と念を押されましたB師は「何が間違っているのでしょうか」と自分の信じているところを再び説明申し上げたのですが、津村師は前回以上に感情的になられ、暴力の危険を感じるほどでした。もう少しで手が出るのではないかというところでした。私も彼女が誤解されたままでは気の毒と思い、⑩援護射撃に回りました。津村師は「先生までそんなことを言われるのですか。もういいです」と一方的に話を切り上げられました。まるで我々の信じているところが⑪教理的に致命的な間違いで異端でもあるかのようなご様子でした

⑨ 私はB師に「ダビデ先生に聞きましたか」と尋ねた。B師は「ダビデ先生には聞いていない。私は他の本も読んでそう教えられた」と答えた。「5月30日にはダビデ先生に責任があるように発言したのに、他の書物や先生から教わったのであれば、ダビデ先生に謝る必要があるのではないか」と私は言った。私は6月20までにダビデ師に直接この件について電話で尋ねた。ダビデ師は「私はそんなことは教えていない」と答えた。

(⑨ ここでの津村氏の反論では、議論そのものが成立していない。津村氏自身が、B氏は「ダビデ先生を含め、他の本や先生からも教わった」と述べたと主張している。ところが、津村氏はそれをあたかも「ダビデ氏ではない他の本と先生から教わった」という意味であるかのようにすり替え、「ダビデ先生から教わってもいないことを、ダビデ先生から教わったかのように主張したのだから、あなたはダビデ先生に謝らなければならない」と、話をすり替えて、今度はダビデ氏への謝罪を迫っているのである。

 こうして、話の内容がどんどん変わって行っていることに注意が必要である。津村氏は、当初は「異端的な内容を説教したのだから、あなたはこれを撤回して私に謝罪せねばならない」と言っていたのが、いつの間にか「ダビデ先生が教えていないことを主張したのだから、ダビデ先生に謝罪しなければならない」と話が変わり、「異端の疑惑」もうやむやにされ、ただ「私の説教と矛盾した内容を話されては困るから注意をした」と、叱責の理由も変わっているのである。

 ダビデ氏については、津村氏がどのような形でこの事件をダビデ氏に伝え、何をどう説明し確認したのかも分からない以上、津村氏の反論は具体性がないと言える。ここから感じられるのは、とにかく謝らせたい、何が何でも謝らせたい、というB氏に対する津村氏のおさまらない怒りだけである。

 これがB氏の鳴尾での初めての説教の時になされた叱責であったことを考えても、こうした津村氏の反応は、あまりにも行き過ぎているように思われる。最初の説教であることを考慮すれば、もし仮に不慣れさから多少表現に至らない点があったとしても、血相を変えて叱責するほどのことでなく、やんわりと注意すれば済むことだったであろう。

 にも関わらず、B氏への一言の温かい応援も励ましもないまま、さらに信徒から苦情があったわけでもないのに、ここまでの叱責を津村氏が繰り返し行ったこと、さらにはそれを後に伝道師らの異動の口実にさえしていったことから感じられるのは、説教の内容以前に、津村氏は女性伝道者が説教をすること自体を快く思えず、B氏の説教を会衆の一人として穏やかに謙虚に聞けるような心境は全くなかったのではないか、という疑問である。

 しかも、A氏は、津村氏がB氏に対してひどく感情的になり、暴力の危険さえ感じるほどであったと述べているが、津村氏はこの点についても否定していない。津村氏を知っている者として、そういうことは十分にありうると考えられるのである。


⑩ A師は「津村師がノーと教えて、私がイエスと教えても良いんじゃありませんか」と言った。

(⑩ 残念ながら、津村氏は全く知的な議論ができない人であった。議論すること自体が苦手であればこそ、同氏は人から反論されることにプライドを傷つけられたように感じ、まして女性から反論されることには、それだけで耐えられなかったのだろうと想像する。
 
 だが、何を言っても議論にならない相手に対しては、A氏がしたように、⑩のように返答するしか方法がない。) 

⑪ これはA師の推測である。私は信徒に対して牧会的に矛盾のない話しをすることが必要ではないかと強調した。

 ⑪でも、津村氏は一生懸命に自ら述べた「異端疑惑」を打ち消そうと努力している。神学論争になると困るので、自分は異端だと指摘したのではなく、ただ自分の説教と一致しない内容を話されては困るから注意したのだと後から話をすり替え、細かい議論を避けようとしているように見える。

 もしB氏の説教を異端だと言ってしまえば、当然ながら、神学論争に発展し、そうなると、自分は議論に負けるだろうと予測してのことだと思われる。

 だが、もし津村氏が神学論争によってB氏の異端疑惑を証明できないことを自ら認めるのであれば、B氏が説教で述べた事柄は、何ら聖書に反する虚偽ではないということになり、津村氏の怒りを正当化する理由がなくなってしまう。
 
 もしB氏の説教が異端的でないのであれば、B氏が津村氏の見解に一方的に合わせなければならない理由も存在しない。津村氏の言うように、同じ教会で、牧師と伝道師の説教が食い違うと困るということがあったとしても、だからと言って、どうして津村氏だけが自分の見解に一方的に合わせるよう他人に求めて良いだろうか。逆に津村氏が他人に歩み寄ることもあってはいいのではないだろうか。
 
 しかし、津村氏の主張は一貫して、自分こそが主監者であるから、自分の見解に他人はみな合わせ従うべきであるという考えを出ない。聖書の御言葉を曲げるような妥協ができないのは聖職者として当然であるが、津村氏が述べているのはそういうことではない。異端の疑惑もないのに、自分と異なる見解や表現を他人が使うことが全く容認できず、ただ相手にだけ一方的に自分に合わせるよう求めるその態度からも、津村氏のワンマンぶりが浮き彫りになっていると言えよう。)

 
   話が長くなりましたが、第一の理由の背景は以上です。

 第二の理由としては「Aが何の報告もしてくれない」というものです。具体的に何の事をおっしゃっておられるのか見当もつきませんが、私としては⑬津村師には大切なことは逐一報告させて頂いているつもりですし、見解の相違があるようです。

   勿論、この二つの理由もあくまでも村上師から聞いたことで、津村師本人からは何一つ伺っておりません。

⑬ 毎月1回、牧師とAB両師との打ちあわせのときに私は「伝道について提案はありませんか」と聞いたら、それについては、いつも「ありません」との答えしか返ってこなかった。

(⑪ ここから、「B氏の説教の異端疑惑」に加えて、津村氏がAB伝道師が「鳴尾の後継者にふさわしくない」と判断した第二の理由が、「A氏による津村氏への報告義務違反」であったことが分かる。といっても、これも村上密氏の言葉を通して伝道師に伝えられたことなので、どこまでが津村氏の本心であったのかは誰にも分からない。

 ここでA氏が述べているのは、「A氏が津村氏に重要なことを何も報告しておらず、それゆえ、後継者として不適格だと津村氏がみなしている」と、村上密氏を通じて知らされたという事実である。

 ところが、これに対しても、津村氏は話をすり替えて答えている。津村氏は「毎月1回の打ち合わせの時、伝道についての提案が何もされなかった」と、ここで全然別の話を持ち出して反論しているのである。「重要な報告を怠った」ことと「伝道について提案をしなかった」ことは誰が聞いても全く別の話である。

 このように、両者の言い分が完全にちぐはぐになって議論が成り立っていないことが、果たして、村上密氏が津村氏の内心を誤って伝道師に伝えたせいで起きているのか、それとも津村氏が後から話をすり替えているだけなのか、それははっきりとは分からない。

 だが、以下で伝道師が示しているように、津村氏は伝道師夫妻に対して「朝・昼・晩」の一日三回も予定表を提出せよと要求していたのである。ブラック企業でも見られないほどの統制ぶりと言えるが、ここまで綿密に部下に報告を出させておきながら、「重要な報告を何もしてくれなかった」とは、主張できるはずもない。だから、これは津村氏が後から話をすり替えて、自らの言いがかりの不当さをごまかそうと弁明しているのだと判断されるのである。

 
 結局、津村氏の反論から分かるのは、津村氏がAB伝道師夫妻を「鳴尾の後継者にふさわしくない」と判断した二つの理由は、両方とも正当性がなく具体的な根拠にも欠けるということである。

 もし百歩譲って、本当にそれが重大な疑惑であったとしても、そうであるならば、なおさらのこと、きちんと公の場での検証が必要であった。役員会等での検討も経ないうちに、鳴尾の後継者問題を、津村氏だけの一存で決めて良かったという結論にはならない。ましてその一方的な決断を、津村氏の同席なしに、村上密氏が密室で伝道師に伝えて異動を迫るという形式が言語道断なのは言うまでもない。)

 
 村上師は以上の二つの理由を挙げられた後、「今後、先生方はどうなさいますか」と尋ねられました。誤解にならないように申し上げますが、直接、異動届を出せという促しは一度もありませんでした。但し、我々としては異動させたいというニュアンスを感じたのは事実です。私としては「もし、異動を我々が希望するなら津村師の許可を得ないで黙って理事会に提出してもいいのですか」と尋ねました。これに対して村上師は「津村師には私から伝えるから構わない」との事でした。

(村上サイドがここで伝道師に強いた展開には呆れて言葉もない。

  まず、AB伝道師が鳴尾の後継にふさわしくないほどに問題があるかどうかという点については、すでに述べた通り、きちんと教会内の公の場で議論されるべきであった。

 その上で、もし仮に彼らが鳴尾の後任としてどうしてもふさわくないと津村氏が判断したとすれば、その事実は当然ながら、教会での議論の後、津村氏本人から、直接、伝道師に伝えられるべきであった。

 ところが、その二つともの手続きを経ないまま、今回もまた鳴尾教会とは直接の関わりのない村上密氏がしゃしゃり出て来て、津村氏の同席なしに、津村氏の代理人であるかのように、「津村氏の意向」を伝道師に伝えるのである。

 そもそも教会内人事という極めて重大な問題が、このように閉ざされた非公式の話し合いで決められること自体、すでに述べた通り、極めて異常であると言わざるを得ない。

 それにさらに輪をかけて異常なのは、津村氏以外には知ることもなく、教会内で議論もされず、十分な裏付けも取れていない「疑惑」に飛びついて、村上氏が伝道師夫妻に密室で異動の決断を迫ったことである。
 
 村上氏はその際、あろうことか、「先生方はどうなさいますか」というあいまいな質問でお茶を濁し、伝道師夫妻に自主的に鳴尾を去るように暗に圧力をかけている。村上密氏が、自身の口からからはっきりと異動届を出せと言わなかったことも、同氏が自らこの事件に関与していることを公には隠して、自分が後から言質を取られたり、責任を負わされずに済むように、この異動をあたかも伝道師夫妻の自主的な決断であるかのように見せかけて、証拠を残さないあいまいな形で介入した事実をよく示している。

 こうした村上氏の言動には、自分に与えられた権限の範囲をはるかに超えて、密室において他教会の人事に介入し、しかも、阿吽の呼吸で自分の願いを相手に読み取ってもらうことで、自分は矢面に立たず、証拠を残さず、暗黙の圧力によって物事を密室で自分の思う通りに決定していこうとする信用ならない行動がよく表れている。)
 

 
   また、「もし仮に、異動願いを提出するならどんな理由を挙げればいいのか」と尋ねたところ、村上師は「津村師が77歳まで引退する意志のないこと」「津村師が我々をを後任とはみなしておられないようなので、これ以上鳴尾にいる必然性を感じないこと」を挙げればいいとアドバイスされ、「B師の説教がまずいこと」と「Aが何の報告もしないこと」は伏せたほうがいいと助言されました。

(伝道師の手紙を通して、村上密氏の卑劣な脅しの手法がさらに浮き彫りになる。ここで、村上氏は津村氏の言い分を盾に、伝道師夫妻に取引をもちかけている。つまり、もし伝道師夫妻が「四の五の言わずに、黙って鳴尾から手を引き、自主的に異動した形にするならば、そうなった原因は、津村氏に引退する意志がないことにあったとしてあげよう。あなたたちにかけられている「嫌疑」は公にされることはない。あなた方はこの先も何ら鳴尾のことで責任を追及されることはないだろう。どうするかね?」とほのめかし、決断を迫っているのである。

 これは暗黙の脅しである。つまり、もし伝道師夫妻が村上氏の願い通りに異動届を自主的に出さず、鳴尾から手を引かず、津村氏の意向に真っ向から対立して、自らの潔白を主張して反論するようなことがあれば、津村氏が夫妻にかけた事実無根の言いがかりを、あたかも真実であるかのように言いふらし、教団内での伝道師夫妻の立場を悪くしてやるぞという脅しと受け取れるのだ。

 村上氏はこうして、津村氏が伝道師夫妻にかけた「疑惑」を可能な限り利用して、伝道師らを鳴尾から異動させるために「圧力」をかけるとし、もしこの疑惑をかき消したいならば、交換条件としておとなしく「取引」に応じ、自ら異動届を出すようにと伝道師に迫っているのである。(しかもその提案さえ、きちんと言葉にして伝えず、暗にほのめかすだけで、裏付けも取れていない疑惑が異動の真の理由であることを隠して、異動届を書かせようとしているところが、まるでヤクザ並みの手法である。)

 こうしたことをすべて証人もおらず、議事録も残らない密室で、暗黙のほのめかしによって実行した村上密氏の卑劣さ、不誠実さ、胡散臭さについては、何度、疑問を呈しても十分ということはない。このように常に公正な手続きを経ずに、密室の暗闇で影響力を行使しようとする人物が、到底、信頼に値するクリスチャンでないことは誰の目にも明白である。)


 三時間ほど話したでしょうか。私は人事の手続きに明るくありませんし、どうも筋の上で釈然としないものを感じましたので19日に〇〇の父に相談しました。「それは内川先生に連絡したほうがいい」との事でしたので、電話させていただいた次第です。

(むろん、以上のようなことは、伝道師のみならず、誰が聞いても「釈然としない」話である。いかに人事に明るくない人物であろうと、村上密氏によるこのような話の運び方には、ただ胡散臭さしか感じられないのが当然である。

 この時、AB伝道師は自分たちが村上氏に脅されており、根拠もない「疑惑」を材料に、交換条件として異動を迫られているとまでは気づいていなかったかも知れない。だが、彼らも、津村氏と村上氏の暗黙の圧力によって、自分たちが不当に追い詰められていることに危機感を覚えていればこそ、教団内にこうした事態を食い止めることのできる人物がいないかと助けを求めたのである。)


  もし、村上師が津村師の本音を我々に隠しておられたなら、事態はここまでこじれなかったのかもしれません。しかし、間接的にではあれ、津村師の気持ちを聞かされた以上、今までどおりの気持ちで奉仕するのは困難です。津村師と毎日顔を合わせるわけですから、当然しこりが残ります。

(このように、本来そのような権限を持っていなかったにも関わらず、村上氏は津村氏と伝道師との間に割って入り、両者の直接の対話を妨げることによって、両者の間に決定的なくさびを打ち込み、二度と信頼関係が回復しないようにしてしまった。それだけでなく、伝道者の心中で、もはや鳴尾で奉仕したいという気持ちが完全に失われて、彼らが自主的に鳴尾を去るように仕向けたのである。

 このように、異なる利害を持つ人々の間に巧みに割って入り、あたかも両者の言い分を仲裁するかのように見せかけて、不信感と対立を煽って信頼関係を損い、両者を分裂させて意思疎通を決定的に不可能にすることにより、自分が両サイドに対して優越的な支配権を握れるようにして、人間関係を思うがままに操作・支配しようとする分断のテクニックは、村上密氏の常套手段である。

 後にネット上で村上氏の支持者によって行われた信徒やカルト被害者に向けた分裂工作もそうであるが、村上密氏は常にこうしたやり方で、証拠の残らない密室で、信者同士の対立を巧みに煽っては、団結を阻止し、リーダーを追放したりして組織を弱体化させ、その結果、寄る辺のなくなった信者や教会を自らの教会に併合したりと、自分の利益を得て来たのである。

 このように暗闇で信者に分裂工作をしかける方法は、村上密氏が不都合な人物を失脚させる際に絶えず利用して来た手法であり、後に同氏が鳴尾教会に恫喝裁判をしかけた際にも、鳴尾信徒らの意志決定を分裂させるために積極的に利用された。村上氏は現在の牧師の頭越しに鳴尾信徒らに接近し、牧師への不満を煽っては、彼らを焚きつけ、教会が教団を離脱するという決定を下せないように(あるいは撤回するように)仕向けようとしたのである。

 推測するに、村上氏はAB伝道師に対して、決定的な形で津村氏への不信感を吹き込んだのと同様に、津村氏に対しても、伝道師夫妻への悪印象が残るように話を伝えて、両者の関係を回復不可能なまでに損なったのだと思われる。)


 我々は教団の任命によって鳴尾教会に派遣されたわけですから、今後の展開につきましても理事会のご判断にお任せいたします。但し、津村師の本音を聞かされた以上、鳴尾教会に留まりつづけることは正直言って気が重いのも事実です。この辺りのことをご配慮頂いて適切な判断をしてくださいますように宜しくお願いします。

(このように、村上密氏による信頼できない暗闇で卑劣な介入・分裂・分断工作によって、AB伝道師夫妻は、鳴尾で奉職したいという願いを失ってしまった。津村氏からの「言いがかり」に毅然と立ち向かい、同氏及び村上氏と公然と闘って、いわれなき嫌疑を晴らした上で、鳴尾の後任者としてとどまるよりも、ことを穏便におさめて自ら異動届を出し、鳴尾の地を去った方が良いと思い込まされてしまったのである。

 津村氏の身内である立場を利用して、このような圧力を、暗闇の密室で、徹頭徹尾、鳴尾信徒を蚊帳の外に置いて、伝道師に対してかけ続けた村上密氏の手法が、どれほど陰険かつ不誠実かつ信用ならないものであり、それが村上密氏による鳴尾教会内の人事へのどれほど不当な介入であったかは今更言うまでもない。だが、そのことを十分に理解した上でも、なお、次に示すように、当時、AB伝道師が津村氏の下で置かれていたひどい生活状況を考えるならば、彼らが津村氏と村上氏の「魔の手」を逃れるために、鳴尾を早々に去ったことは、彼ら自身にとっては良策であったかも知れないと思う。

 こうして弱い者を脅しつけて黙らせておきさえすれば、事は丸く収まると津村+村上サイドは考えていたのであろう。後継者を追放しさえすれば、津村氏は好きなだけ鳴尾にとどまって説教を続けられる。信徒は黙って教団の言うことを聞き、献金だけ払っておけばいいのだ。

 しかし、事態はそこまで単純ではなかった。それは鳴尾信徒らが彼らが予想していたほど愚かではなく、約四十年間の牧会期間を通して、津村氏の本質を鋭く見抜いていたためでもあった。

 もはや随分前から、鳴尾は津村氏を必要としていなかったのである。津村氏の牧会のワンマン運営、鳴尾信徒にとって重い負担となっていた。自分は少しも後ろに退かず、信徒との十分な対話の場も設けずに、教会の若返りなど、全ての課題を一方的に信徒だけに押しつけて、信徒の重荷を理解し軽減しようとしない津村氏の冷淡な態度に、鳴尾信徒らはどうしようもないやるせなさを感じていたのである。

 だが、それでも、同氏が後継者を快く育てようとしてさえいれば、結果は違ったかも知れない。突然、期待していた伝道師を訳の分からない理由で失うことを知らされた時、鳴尾信徒は、この事件の背後に大きな暗闇があることに気づいた。そして、疑惑の矛先は伝道師ではなくむしろ津村氏に向かったのである。

 繰り返すが、そうなったのは、伝道師が書簡で訴えた理不尽な状況に、鳴尾信徒の同情票が集まったからではない。もし約四十年間の牧会生活の間に、津村氏が鳴尾信徒の本心からの信頼を得ていたならば、後から来た若い伝道師が何かを主張した程度のことでは、牧師と信徒の信頼関係は揺るがなかったろう。

 だが、そうなるまでに、鳴尾信徒の多くは、津村氏の人柄をかなり正確に理解していた。だからこそ、事実は決して教団サイドにはなく、津村氏+村上氏サイドにはないということに、当初から多くの人々が気づいていたのである。)

 <後半に続く>
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