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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

十字架のかげをいかで離れん

皆さんお元気でしょうか。
この頃、パソコンを置いている部屋の気温が高すぎるためか、思考能力が低下し、いつものような長文の記事が書けなくなりました。最近、記事がどんどん短くなっているのはそのせいです(これでやっと読みやすくなったと喜んでいる方もいらっしゃるかも知れません)。

書かねばならない問題は山積しているのですが、今はそれについて考える余裕がなく、さらに、今週末は諸用のため郷里を離れるため、来週明けまでは、ブログを更新できなくなります。コメント等、書いていただいてもいいのですが、戻って来るまでお返事できませんのでご了承ください。

さて、とても嬉しい報告が一つ。カルト化教会で深刻な被害を受けられたある方が、書いておられた。どんなに教会で意地悪をされたり、ひどい目に遭ったとしても、一度、心に灯った信仰の明かりは、そんなに簡単なことでは消えないと。たとえ消えたとしても、その人がキリストのもとへ立ち戻ることを望めば、必ずその火は再び灯るのだと。

この言葉を聞いて、私は、万歳、ハレルヤ!と叫びたくなった。心配は要らない、カルト被害者が何度、痛めつけられることがあっても、死の影の谷を歩まされることがあっても、主ご自身が必ず、その人を助けられるだろう。神の愛は考えうる限り全ての障害を越えて、さまよう羊たちの心にまで届くだろう。
そして一度打たれた人たちは、打たれなかった人たちよりはるかに強く賢くなって、鍛えられて、戻って来るに違いない。私はその雄姿を見て、驚かされることになるかも知れない…。

神の愛は、人間によるすべての救済活動の枠組みを高く超えて、川のように流れ行くだろう。街も、家も、丘も、人の築いたもの全てがその流れの下に隠れて見えなくなるだろう。しかし、緩やかで力強いその愛の流れは、小さく弱い人間を決して無造作に押し流したり、傷つけることなく、そっと温かく包み込み、川のほとりまで優しく運んでくれる。そこに着けば、どんなに傷ついた人も、心の重荷を降ろし、安らぐことができる…。

幾度も書いてきたように、カルト被害者に何よりも必要なのは、まことの癒し主であるイエス・キリストである。極限まで傷つけられた被害者の心をカウンセリングで癒すことはできない。真の悲しみ、苦しみの前では、人は無力だからだ。不注意かつ不完全な私のどんな努力も、善意も、圧倒的な悲しみの前では、全てわざとらしいものにしか映らない。人を癒す力を持っているのは人ではなく、ただキリスト、御言葉だけである。

しかし、それを分かった上で、クリスチャンは、カルト被害者のために熱心に祈り続け、彼らに寄り添うことを心がけて欲しい。多分、初めは拒絶されたり、不信感だけが返って来て、上手く行かず、当惑を覚えることもあるだろうと思うが、それでも、寄り添うことを続けて欲しい。そして、傷つけられて教会の外に打ち捨てられた羊たちが、一人でも多く、信仰に立ち戻るように、絶望の淵に立たされている人々の心に、少しでも早く、御言葉の光が届くように、祈って、呼びかけて欲しい。なぜなら、それが遅れると、死を選んでしまう人たちもいるからだ…。教会の中に戻ることが必要なのではない、キリストの十字架の救いに連なる者となることが何より必要なのだ。

もしも善良で心あるクリスチャンがいるならば、どうか私のためにも祈って欲しい。先にお祈りをお願いした被害者と全く同様かそれ以上に、私自身もいまだ被害から抜け切れていないためだ。張り詰めた生活のために生じた極度の疲労は今も抜けないし、将来の不安、失業問題もついて回っている、その上、家庭的な問題と信仰の迫害があり、幾度も人に利用され、捨てられてきたゆえの孤立無援感、そういうものに苛まれないで暮らせる日は一日もない。これは今、私の力では解決することができない諸問題である。もしも主のためにそれを耐え抜くのが私の仕事なのであれば、そこから逃げようとは思わないが、けれども、もしこれらの重荷が軽減される恵みをいただくことができるなら、幸いに思う。

すでに私のために祈って下さっている方がいらっしゃることは分かっています。けれども、さらに協力をお願いしたいのです。私の弱さのために、また、私と同様の苦痛を耐え忍んでいる被害者たちの環境改善のためにどうかお祈りください…。

さて、今日は懐かしい賛美歌を一曲紹介する。
キリスト教界でつまずかされた信徒たちが、一人でも多く、十字架に戻れるようにとの願いをこめて。また、同胞クリスチャンには、共に御国に入る時まで、十字架をしっかりと離さず、心の中で握り締めて、人生を最後まで歩み抜きましょうとの願いをこめて。

「十字架のかげに」聖歌 396番

十字架のかげに いずみわきて
いかなる罪も きよめつくす
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで

十字架のかげに ゆきしときに
み神の愛を さとりえたり
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで

十字架のかげを 求めつづけん
けわしきさかを のぼるときも
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで

十字架のかげを いかではなれん
みくにのかどに いる日までは
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで

何度つまずき、何度神を裏切り、何度信仰を離れたとしても、人には生きている限り、十字架のみもとに立ち戻るチャンスが与えられている。希望を失って悲しんでいる人たちには、今日、あなたのために死んで下さった主イエス・キリストの十字架の救いを信じて魂の安らぎを得て欲しい。

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