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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

わたしに敵意を抱く者に対して、わたしの魂をさいなもうと語る者に対して、主はこのように報いられる。

詩編には、次の通りある。ダビデの言葉としては非常に厳しいが、これは神の教会や、神が立てられた信者たちを呪う者に対する当然の裁きの宣告である。

「彼に対して逆らう者を置き
 彼の右には敵対者を断たせてください。
 裁かれて、神に逆らう者とされますように。
 祈っても、罪に定められますように。

 彼の生涯は短くされ
 地位は他人に取り上げられ
 子らはみなしごとなり
 妻はやもめとなるがよい。

 子らは放浪して物乞いをするがよい。
 廃墟となったその家を離れ
 助けを求め歩くがよい。

 彼のものは一切、債権者に奪われ
 働きの実りは他国人に略奪されるように。

 慈しみを示し続ける者もいなくなり
 みなしごとなった彼の子らを
 憐れむ者もなくなるように。

 子孫は断たれ
 次の代には彼らの名も消されるように。
 主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。

 母の罪も消されることがないように。
 その悪と罪は常に主の御前にとどめられ
 その名は地上から断たれるように。

 彼は慈しみの業を行うことに心を留めず
 貧しく乏しい人々
 心の挫けた人々を死に追いやった。

 彼は呪うことを好んだのだから
 呪いは彼自身に返るように。

 祝福することを望まなかったのだから
 祝福は遠ざかるように。

 呪いを衣として身にまとうがよい。
 呪いが水のように彼のはらわたに
 油のように彼の骨に染み通るように。

 呪いが彼のまとう衣となり

 常に締める帯となるように。

 わたしに敵意を抱く者に対して
 わたしの魂をさいなもうと語る者に対して
 主はこのように報いられる。」(詩編109:6-20)



* * *

M牧師の教会の信徒はほとんどが同氏に教会から出て行ってもらいたいと願っている。Mは2015年に自らのブログにて、若き40代の後継に道を譲るため主任牧師を降りると宣言したが、その後、信徒総会の決議により全会一致で選出された後継牧師を、信徒総会の決議を経ずに、密室での決定により、牧師の座から退けて、自分の妻を主任牧師に据えた。この出来事は、Mファミリーによる教会の私物化として、同教会では限りなく強い憤りを持って受け止められている。

A教団の平均的な退職年齢は80代であるから、本来、2015年に60代だったMにはこれほど早期に引退する理由がなく、いかに当時から信徒のMへの信任が著しく失われていたかがよく分かる出来事である。

Mはゆくゆくは自分の息子に教会を継がせたいために、妻を強引に主任牧師に据えたと見られるが、目下、教会の献金のほとんどは、M、Mの義父、Mの妻、Mの息子と、Mファミリーの教職者らで独占され、他の牧師は薄給で貧しい生活に追いやられている。Mファミリーによる献金の使途不明な管理も指摘されている。
 
Mファミリーはかつて教会2階の広間をほぼ独占していたが、引っ越す際、キャッシュ(現金)で家を買ったと信徒に自慢していた。どこからそんな金が手に入ったのか、信徒は非常に不審に思っている。

牧師を目指すMの息子も、教会で怪しげなミニストリーを提唱しては信徒らの反感を買っている。信徒らは、教会を私物化して我が物顔に牛耳るMファミリーが、一刻も早く教会から手を引いて立ち去ることを切に望んでいる。

A教団も、Mが元教団関係者も含め、あまりに多くの牧師らと争いを引き起こしたことに辟易し、これ以上ブログに同僚牧師の悪口を書かないようにとMに釘を刺した。Mのもとへ相談に通った信徒もブログに個人情報を書かれて迷惑している。

Mは同僚牧師を責められなくなって来たので、仕方なく他のカルト団体を相手に争いをしかけているが、戦いを挑まれた異端団体の側から、反撃として激しく呪詛されている可能性がある。
 
なぜなら、Mの家族には自殺者が出ているからだ(なるほどMが自殺者を擁護するはずである)。実の息子は家と教会から逃げるように北海道で就職したが、大けがで後遺症を負い、Mのもとへ戻った。
 
Mの娘と結婚した義理の息子は自殺、娘は嫁ぎ先から逃げるようにMのもとに出戻った。自殺の原因は色々噂されているが、有力説は事業の失敗だ。Mは義理の息子の事業を助けるために、教会からリフォームの仕事を強引に回すなどしたが、それでは足りなかったというのだ。牧師の娘にも関わらず、夫の自殺を防ぎ得なかったとの非難に耐えられず、Mの娘は家に逃げ帰ったと言われている。

牧師家庭には似つかわしくない、まるで何者かに祟られているか、呪われてでもいるかのような、幸福からはほど遠い家庭の有様であるが、見ようによっては、弱い者が真っ先に犠牲にされて行く典型的なカルト信者の家庭像でしかない。

ちなみに、教会の信徒らは、Mの娘が、かねてよりMの教会に出入りする被害者たちを「理由(わけ)ありの人間」と呼んで蔑んでいたことを知っているので、Mファミリーに降りかかった不幸に同情していない。

Mは教会や牧師を相手取って不当訴訟に及んだのみならず、多数のカルト団体にも戦いを挑んでいるため、他宗教の信者たちから真に呪われている可能性がある。そのように危険かつ無謀な活動からは手を引き、子供たちのためにも、壊れた家庭を立て直し、家庭に笑顔が取り戻される事を第一として、裁判やカルト団体との戦争に関わるなという忠告は、真っ先にこの牧師とその家族にこそ向けられるべきであろう。

ちなみに、表向きには訴訟の専門家を名乗っていたMが、信徒から挑まれた裁判をどれほど侮っていたかは、Mが毎回の口頭弁論時に、誤字脱字の訂正さえしていないわずか3ページの準備書面しか提出せず、どの準備書面を自分が提出したかも忘れ、その他は、ひたすらSとメールで悪口に明け暮れていたことを通しても判明している。

Mはその悪口メールを裁判所に書証として提出し、それゆえ侮辱罪などに問われる可能性が浮上している。まさに自滅行為と言う他ない。Mが訴訟に提出した書面を実際に読めば、今後はもはや誰一人彼を専門家とは呼ばなくなるだろう。

それにしても、牧師家庭で自殺とは。悪い木には悪い実しかならないとはこのことだ。これでどの口をもって他者の不幸を見下げ、嘲る筋合いにあるのか、笑止である。
 
キリスト者が立ち向かっている悪魔は、死を武器としており、キリストは十字架で最後の敵である死をすでに滅ぼされた。牧師であるにも関わらず、身内の自殺も防げない者が、自分が被告として訴えられたからと言って、汚名を返上できるはずもない。救いの確信のない人間には、いかなる嫌疑をも晴らす方法がなく、敗北は必至だ。

神は生きておられ、自分は女王の座についているから孤独を知らないと、貧しいやもめを見下し、勝ち誇ったバビロンは、一日で夫と子供を失って凋落する。その御言葉が真実であることが、今も証明されつつある。神に逆らう一家の行く末は、詩篇にも赤裸々に記されている通り、彼らが生きていた痕跡も、その名も地上から消し去られる。

Mの凋落を願っている人たちに、以上の不幸なニュースは福音のように受け止められることであろう。Mが今のままでは、子供たちも全宗教界の笑いものとなり、自立も結婚もできず、二度と幸福にはなれまい。

そう言われて当然であるほど、Mは教団内外の信者から恨みを買っている。一人の過ちの多い人間が、神を差し置いて、全宗教界の監督者になろうとしたことの罪は大きい。さらに、Mは、神がMに世話を託された羊たちを公然と呪うことで、自らの身に呪いを招いた。主が愛される民を嘲り、踏みにじり、呪うことの報いは絶大である。

神は、Mの一家が、悩み苦しんでいる主の民を、「理由あり」と呼んで蔑んでいたことを知っておられた。だが、神はMを討つ代わりに、Mの宝である子を討たれた。そうなってもまだ、Mが主の御手の下にへりくだることができないならば、Mの子供たちは今後、父の罪のゆえに、さらに苦しまなければならなくなるであろう。Mと支持者が主の民に投げつけた悪罵は、倍以上になって、Mの子らに跳ね返る。そうなってから、主の民を呪った恐ろしい罪を思い出してももう遅い。

KもSと内通し、不都合な信徒の情報を漏示して陥れたことが、S自身の証言により発覚しており、Kへの民事及び刑事での責任追及は逃れられない。Kの詭弁に満ちた陳述書や、KがSと交わした卑劣な内容のメールも、間もなく公開されるが、その暁には、Kの不誠実な人柄も、公然と世に知れることとなり、Kがかつて得意満面に元信徒に提起した刑事告訴も、虚偽告訴としてK自身に跳ね返る可能性も否定できない。

Kの出鱈目な陳述書には、かつての学者の知性は見る影もなく、Kが自らアカデミズムを去ったのも、ニューエイジとオカルトに影響を受けた結果だ。
 
会堂のないKの集会は、今やインターネットが頼りであるが、それを奪われれば、一切の発言ができなくなる。そうなるのも、時間の問題である。Kもかつて息子が透析を受けることになるかも知れないと発言していたことが思い出される。

かくて神に従うことをやめた指導者の末路は厳しい。K,S、Mはいずれも聖書に根本的に問題があるとみなし、聖書の二元論を退けて、聖書に立脚せずに、教会を非難し、信徒らを呪ったことにより、以上の結末が降りかかった。

プロテスタントはすでに信仰改革運動としては終焉しているとはいえ、読者は、聖書の御言葉を否定し、これに立脚せずに教会を敵に回す者が、神と人の前に立ちおおせない事実を知るべきであろう。

筆者は今まで父の罪を子に負わせないために、指導者以外の人間については故意に言及を控えて来たが、ネトウヨのような諸氏が、無差別に無名の信徒とその家族までも中傷合戦に引きずり込んでいるのを見て、情けは彼らのためにならないと判断した。

彼らが教祖としている人間が、裁判所に正式に提出した愚かしい準備書面や、書証、陳述書、メールの全文の公開に伴うインパクトは絶大であり、彼らのクライアントは、その文面を見ただけで、あまりの知性の欠如、倫理の欠如、底知れぬ悪意に驚愕・失望し、大慌てで逃げて行くことであろう。

これらの指導者・信徒が、あたかも正義の担い手であるかのような神話は、根底から崩壊する。そのあまりに幼稚過ぎる文面を読めば、彼らが気に入らない信徒を貶める目的で、夜な夜な掲示板にたむろしては自ら書き込んでいるという噂も、あながち嘘とは言えないと、誰しも思うようになろう。

(*ちなみに、筆者には離縁された過去などないため、作り話には注意を )

* * *

以上は、筆者がコラム欄に掲載した文章であり、著作権侵害の新たな告訴事実を追加するため、投稿しておく。
 
信者に偽装したネトウヨ諸氏は本当に愚かであるため、当ブログの文面を盗んでは、罰金を科される口実を自ら作っている。彼らはどうしても法違反を犯さずには発言できないという特徴があるようだ。ちょうど新たな書面の作成を行っている最中であるから、まことに都合が良く、ありがたく最後の毛糸一本まではぎとらせていただくのみである。
 
なお、冒頭に掲げた御言葉を初めて当ブログに掲載したのは、何年も前のことである。それから数年のうちに、当ブログに敵対する人々に、まさに以上の御言葉が預言のごとく降りかかったことに留意されたい。

神の子供たちに対して「馬鹿」と言う者が最高法院に引き渡され、ゲヘナに投げ込まれることは、聖書には記されているが、M,Sが本当に信者を「馬鹿」と罵るメールを書証として裁判所に提出したことを知れば、人々は唖然として返す言葉が見つからないことであろう。
 
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。

あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クォドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」(マタイ5:21-26)
 
また、ハビロンの崩壊については、黙示録第18章に次の通りある。

「「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。

  その罪に加わったり、
  その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
  彼女の罪は積み重なって天にまで届き、
  神はその不義を覚えておられるからである。
 
  彼女がしたとおりに、
  彼女に仕返しせよ、
  彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。
  彼女が注いだ杯に、
  その倍も注いでやれ。

  彼女がおごり高ぶって、
  ぜいたくに暮らしていたのと、
  同じだけの苦しみと悲しみを、
  彼女に与えよ。

  彼女は心の中でこう言っているからである。
  『わたしは、女王の座に着いており、
  やもめなどではない。
  決して悲しい目に遭いはしない。』

  それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、
  死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。

  また、彼女は火で焼かれる。
  彼女を裁く神は、
  力ある主だからである。」
  
 彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、
 彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ、彼女の苦しみを見て恐れ、
 遠くに立ってこう言う。

 「不幸だ、不幸だ、大いなる都、
  強大な都バビロン、
  お前は、ひとときの間に裁かれた。」

 地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。
 もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。」(黙示18:4-11)


さらにイザヤ書の以下の記述も、同様にバビロンの崩壊についてである。

バビロンが数々の愛人とその子らを誇り、自分を夫ある女と呼んで、貧しいやもめを見下げた罪のゆえに、一日で夫と子供を失い、寡婦となるという預言を思い出す頃合いであろう。

バビロンとは、神の御言葉を捨て、この世の栄耀栄華との結婚を選んだ腐敗堕落した教会を指し、やもめとは、御言葉に忠実に従い、花婿なるキリストだけを待つ、つつましい花嫁なる教会エクレシアを指すことは、改めて説明するまでもない。

バビロンには、恥辱と、破滅と、孤独とが、思いがけない時に、盗人のように襲いかかる。バビロンが、彼女が蔑んだエクレシアの二倍の苦しみを受けることは、誰も取り消すことはできない神の決定であり、当然の裁きである。御言葉の成就を待つ。

   
身を低くして塵の中に座れ おとめである、娘バビロンよ。
 王座を離れ、地に座れ、娘カルデアよ。
 柔らかでぜいたくな娘と呼ばれることは二度とない。

 石臼を取って粉をひけ。ベールを脱ぎ、衣の裾をたくし上げ
 すねをあらわにして川を渡れ。

 お前は裸にされ、恥はあらわになる。
 わたしは報復し、ひとりも容赦しない。

 わたしたちの贖い主、その御名は万軍の主 イスラエルの聖なる神。

 沈黙して座り、闇の中に入れ、娘カルデアよ。
 諸国の女王と呼ばれることは二度とない。

 わたしは自分の民に対して怒り
 わたしの嗣業の民を汚し、お前の手に渡した。
 
 お前は彼らに憐れみをかけず
 老人にも軛を負わせ、甚だしく重くした。

 わたしは永遠に女王だ、とお前は言い
 何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった。

 今、これを聞くがよい
 快楽に浸り、安んじて座る女よ。
 わたしだけ わたしのほかにはだれもいない、と言い
 わたしはやもめになることなく
 子を失うこともない、と心に言う者よ。

 その二つのことが 一日のうちに、瞬く間にお前に起こり
 子を失いやもめとなる苦しみが
 すべてお前に臨む。

 どれほど呪文を唱え
 どれほど強いまじないをしても無駄だ。

 お前は平然と悪事をし 「見ている者はない」と言っていた。
 お前の知恵と知識がお前を誤らせ
 お前は心に言っていた
 わたしだけ わたしのほかにはだれもいない、と。

 だが、災いがお前を襲うと
 それに対するまじないを知らず
 災難がふりかかっても、払いのけられない。

 思いもかけない時、突然、破滅がお前を襲う。

 まじないと呪文の数々をもって立ち向かえ。
 若い時から労して身につけたものが
 あるいは役に立ち
 それを追い払うことができるかもしれない。

 助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。
 天にしるしを見る者、星によって占う者
 新月によってお前の運命を告げる者などを
 立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。

 見よ、彼らはわらにすぎず、火が彼らを焼き尽くし
 炎の力から自分の命を救い出しえない。
 この火は体を温める炭火でも
 傍らに座るための火でもない。

 呪文を若い時から労して身につけ
 売り物としてきた者すら、この様だ。
 彼らはおのおの勝手に迷って行き
 お前を救う者はひとりもいない。 」(イザヤ書第47章)

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