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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

肉のものと霊とのものを区別する必要性~キリスト教界に入り込むグノーシス主義的・東洋的神秘主義の危険④~

さて、ここで少しだけ、映画『龍の正体』の解説を離れたい。ウィルソン青年が武術を身に着け、次第に自信とプライドを増し加え、キリスト教の信仰を離れて行く様子を見ながら、筆者は、カルト被害者救済活動を率いている村上密牧師のブログ内容を思い出さずにいられない。

カルト被害者救済活動が、当初は拉致監禁という方法を用いて、暴力的にカルト宗教から信者を奪還し、密室で説得工作を行い、強制的に彼らの信仰を打ち砕いていたことは、すでに述べた通りである。

最近では、このような方法で信者の心を無理やり入れ替えることはできない相談であることが常識となりつつある。拉致監禁などという暴力を用いた方法に非難が集まり、それが信教の自由、身体の自由の侵害を含む人権侵害であるとして、カルト宗教の側からも訴訟などが起こされているだけではない。

そのような暴力的な方法で人の心を変えようとする説得工作自体に、大きな問題があり、そのような方法で棄教を強制された人は、心に深い傷を負い、場合によっては、強い洗脳を短期間で一挙に解こうとすることで、人格が崩壊する恐れさえあるとされている。

筆者はこれまで、そのようにして強制的に脱会させられ、クリスチャンとなった人たちと幾度か接触したことがあるが、その際、彼らの内心が根本的に変化して、心底からのクリスチャンになったとは思えない何かの違和感を感じ続けて来た。

むろん、そうした脱会者らは、表面的には穏やかで、敬虔そうに見える。彼らは口では、脱会できて良かった、何某先生のおかげでカルトから足を洗うことができて、自分は本当に幸運であった、などと一様に感謝を述べるが、一旦、彼らの心の琴線に触れるような話をすれば、心の内側に隠されていた憤りと憎しみが噴出する。これらの人々は、本当に解決すべき問題と向き合わないまま、表面的な回心を経て、キリスト教に入信させられた上、自分の精神的支柱を打ち砕かれているため、あまりにも傷ついた自己を抱えており、デリケートな話になると、常に感情的な爆発に直面する恐れがある。

だが、カルトでの洗脳が終わったかと思うと、今度はカルト被害者救済活動によって、新たな洗脳を施され、自我をへし折られたまま、いつまで経っても本当の自分を取り戻すことができずに、力の強い指導者の言いなりになって生きねばならないことは、本当に哀れである。

筆者から見て、本当に注目せねばならない問題とは、この人々がカルトに入ったことが間違っていたという事実ではなく、むしろ、なぜ彼らが、カルトに逃避の場を求めずにいられなかったかという理由である。

人は自分に何も悩みがないのに、いきなりカルトに接近したりはしない。青年期にカルト宗教に接近する人たちのほとんどは、そのきっかけとなる何かの悩み苦しみ、人生や世界に対する疑問を抱えており、そうした悩みのきっかけとなるのは、ほとんどが家庭内問題ではないかと筆者は見ている。

人は幼少期から受けた教育の中に、何かしらカルト的な教えに心惹かれるような土壌がなければ、そのような宗教に抵抗感を覚えずに接近して行くことはなかなか少ない。つまり、常日頃から何かしら「カルトと似たような教育」を家庭で施されているために、抵抗感が薄められている場合が少なくないのである。

そこで、こうした人々が最も考えなければならない問題は、一体、自分が何の問題からの逃避を求めてカルトに接近したのか、という具体的な理由である。それは家庭内の問題であったかも知れないし、親の暴力や暴言、抑圧的な態度、あるいは両親の離婚、学校や職場のいじめであったりと、原因は様々であろう。

だが、いずれにせよ、彼らが、一体、自分は何から逃げるためにカルトへ走ったのか、自分の個人的な人生にスポットライトを当てて、その本当の原因に迫ってこれと向き合って問題解決しようとしない限り、ただカルトの教義の誤りだけを認めただけでは、彼らが心の深いところで抱えている問題は何ら解決しないままなのである。

そのような状況だと、彼らはキリスト教に改宗しても、以前から引きずり続けて来た問題をまた新たな宗教の中に持ち込み、さらなる厄介な問題を引き起こし、それに巻き込まれて行くことになるだけなのである。

そこで、カルト被害者救済活動が、なぜこうした人々がカルトへ走らざるを得なかったのかという本当の原因を考えてこれを解こうとするのではなく、ただ親たちの訴えだけに耳を傾け、子供たちが親に迷惑をかけて、人生を棒に振っているという理由で、子供たちの信仰を強制的に打ち砕いて、誤りを認めさせ、その逃避をやめさせようとして来たことは、非常にまずい悪質なやり方であったと言えよう。

もしもこれらの人々がカルトに助けを求めた最も深い理由が、家庭内問題にあった場合、ただ親たちの言い分だけを鵜呑みにする被害者救済活動では、子供たちがカルトへ走った真の原因を探り出して明るみに出すどころか、それをより深く隠ぺいし、見えにくくして、こじらせる結果にしかならないためである。

その危険性は、村上密自身の人生を見ても分かることだ。村上は、若い時分に統一教会に入信していたわけであるから、本当は、こうした問題点を理解していておかしくなかった。暴力的に信仰を打ち砕かれることが人の心にもたらす傷や、強い者が支配する理不尽な環境の家庭や学校や社会からの逃避の場を求めてカルトに走らざるを得ない者たちの心の痛みを理解していておかしくなかった。

にも関わらず、なぜ村上は、暴力的に他人の意志を打ち砕いてまで棄教させるという活動に関わり、これを「救済」ととらえていたのだろうか。それを考える上で興味深い材料が、村上のブログに記載されているので、今回、その問題について具体的に考えてみたい。

この問題を理解する鍵となるのは、村上と父との関係である。村上はブログにおいて幾度も、幾度も、子供時代に父から暴力を振るわれ、深刻な虐待を受けていたことを示唆する記述を行っている。ただし、村上自身は現在に至っても、これを虐待と認識しておらず、実はそのことこそ、村上の抱える最も深刻な問題なのである。
 
通常、牧師は回心前などに、学校で級友と流血沙汰の喧嘩をしたことがあったとしても、それは信仰を持つ前の神を知らなかった頃の行為であるから、愚かだったと思いこそすれ、そのような話は福音伝道のためにならないと思い、公に告白しないことであろう。

ところが、村上密は今になっても、自信ありげに、子供時代の殴り合いの喧嘩を武勇伝のごとく吹聴している。村上はいくつかの記事で、高校時代に他の生徒ににらまれた際、殴り返して撃退し、それに懲りた相手方の生徒が、自ら転校して行って勝利をおさめたという話を自慢げに繰り返している。

だが、この記述の中で、注目すべきは、そのような喧嘩の仕方を村上に教えたのが、彼の父であったことである。父が息子に喧嘩の仕方を教えていたので、高校時代には、村上はすでに相手を殴るだけでなく、蹴倒して蹴り回すなどの術をも身に着けていたのだという。

村上の父は、言葉で息子を諭すよりも、体で「教える」タイプの人間だったらしいが、そのように喧嘩の仕方を教わったことで、いじめっ子を撃退できたことが、村上の中では誤った「成功体験」となり、村上は牧師になった今でも、それを「父のけんかの教え」と呼んで(あえて「教え」という言葉を使っていることに注意したい)、「父の先見の明に感じ入った」などの賞賛の言葉を記している。未だに「父に忠実な息子」であることを誇りとし、その教えの中に悪しき思いが入り込んでいることに気づかないのである。
 

高校1年生の時のことである。Aが私の机でパンを食べ散らかした。私はごみをかき集めて、Aの机の上に置いた。Aは授業が始まってから、教師の目を盗んで、パンくずを私に投げてきた。授業が終わって教師が退室すると、ぬしゃ~(おまえは)と言い寄り、つかみ合い、殴りかかってきた。椅子や机がなぎ倒され、けんかの場所がべランダになった。私は父の言いつけを守ってきた。1発、2発は殴られてやれ。3発目は油断して殴ってくるのでカウンターで急所を殴り返せ。忠実に相手の鼻を拳骨で殴った。たちどころに鼻から血が流れだし、戦意を喪失した。私は蹴倒して、蹴りまわそうかと、父のけんかの教えを再現しようと思ったが、さずがに同級生たちが束になって止めにかかった。Aは翌日から高校に来なくなった。いつまでも来ないので心配していたら、転校していったとのことだった。高校生の時「わる」に絡まれたのはこの時一度だけだった。以後は争いのない高校生活を終えた。

それでも、私は二度高校をやめようと思った。一度はけんかの後、退学か停学かを受けるのではないかと思い、どうせなら自主退学をしようと覚悟していた。ところが、担任教師がこのことを知っても何も処分について口にしなかった。正当防衛が成立しているからである。ちょっと行き過ぎた正当防衛である。父の先見の明に感じ入った。<略>
拳骨で平和を 2018年 04月 25日 )


この記事の後半で、その当時に村上が禅に心惹かれていたと記述されていることも興味深く、やはり、東洋思想からの思想的な影響を感じさせる。筆者はDr.Lukeを初めて実際に見かけた際にも、どこかしら禅寺の僧侶を思わせるような人物だという印象を記事に記している。(筆者は実際に禅寺がどういうところであるかを知っているので、これは単なる印象批評ではない。)

村上は暴力事件については、さらに、なんと保育園時代から、年長者に兄を相手に、相当な手傷を負わせることで、兄から手を出されることがなくなり、不戦の関係が築かれたと自慢している。
 

私は兄とけんかした記憶がない。これは両親と兄から聞いた話である。私は保育園児の頃に兄とけんかをした。肥後刀の取り合いになって、貸して、貸さんのやり取りになった。兄は怒って、肥後刀を私に投げた。それが私の左目の目じりの端で眼球まで数ミリの骨の部分に当たった。瞬く間に左目は血だらけになり、ポタポタと血が流れ出した。私は近くにあった鎌を手にかけて上段に兄の頭に振り下ろした。兄は頭から血がだらだらと流れた。兄弟とも血まみれになった。急いで病院に連れて行かれたと聞いた。昨年、兄と何かを話しているとき、まだ、あの時の傷が目じりに残っているよと話すと、おる(私)もまだ頭に傷が残とっととたいと頭の傷を指した。互いに大笑いした。私たちは私たちのけんかがどのような結果になるかを経験した。その結果、私たちは互いを恐れ、暗黙のうちに不戦の関係を築いたのではないかと思う。口げんかさえ記憶にない。
血まみれのけんか   2018年 04月 25日)


幼児だから力が足りなかっただけで、もう少し成長していれば、殺人事件になっていてもおかしくなかった。このことから分かるのは、村上は、かっとなると、見境のない行動に出て、身内が相手であっても、とてつもない暴力性を発揮する可能性のある性格の持ち主だということである。

だが、なぜ幼児期から、村上はこのような衝動的な行動に出ていたのであろうか? おそらく、この兄弟喧嘩が発生したこと自体に、親の影響が相当にあったと思われる。村上の父がどのような人間であるかは、以下に挙げる記事からも分かるが、父の影響を受けて、すでにこのような幼児期から、村上は、自分の家庭では、「目には目を、力には力でやり返せ」といった、力の論理で生きるしか、身を守る術はないという考えを会得しており、口で説得したり、言葉を用いて相手をねじ伏せるよりも前に、まず手が先に出て、体でやり返し、本能的な自己防衛の思いから、相手に打撃を与え、痛い思いを味わわせることで、自分を守ろうとする方法論が身に着いていたと思われる。そして、そのような方法論を村上に体得させたのは、他ならぬ父だったのである。
 

子どもの頃、けんかして泣いて帰ると、父からげん骨を食らう。やり返してこい。何かで泣いていると、男が泣くもんじゃない。馬鹿たれ。なんば泣くか、とげん骨である。父の前では涙を見せられない。歯を食いしばって我慢するしかない。おかげで奥歯が擦り切れた。けんかに負けないように、教えてくれと言っていないのに、勝つ方法を教えてくれた。以来、けんかで負けたことはない。負けるかんか(ママ)はしない。父親の方が怖い。

高校の時である。クラスのワルがけんかを仕掛けてきた。二発殴らせてやった。向こうは安心して三発を打ってきた。それで相手の鼻をカウンターで打ち返した。鼻血を流して戦意喪失。クラスメートが間に入って止めた。相手は翌日から学校に来なくなった。転校したのだろう。以来、私はけんかをしなくなった。その代り、論争に負けないように努めた。こうやって、私の性格は父のげん骨で作られた。父の最高傑作品ではない。父の前で泣かないだけだから。クリスチャンになって、天の父の前ではよく涙を流すようになった。私は二人の父親を使い分け、次第に変わってきた。
ところが、自分が父親になって、子どもが泣いたり、めそめそしていると、なんば泣くか。男が泣くもんじゃない、と聞かなくなった父の言葉を今度は自分の子どもに言い、げん骨を食らわしている。父親の血は私の中に流れていたわけである。そのたぎる血も、頭を打つのは止めてください。手でおしりを叩くぐらいにしてくださいとの懇願に転向を余儀なくされた。そして父親と同じように子たちが中学生になる前には手をあげることを止めた。
父とげん骨 2017年 11月 19日)


 
これはまさに武術に励むことで、いじめっ子を撃退し、プライドを立て上げようとしたウィルソン少年の姿を彷彿とさせる。村上ははっきり述べている、「私の性格は父のげん骨で作られたと――。これは非常に恐ろしい告白である。彼はキリストの成分が自分を形作ったのだと言っておらず、父の暴力が自分の性格を形作ったと言うのである。

クリスチャンには、「二人の父親」はいてはならず、まして「二人の父親の使い分け」などあってはならない。だが、村上の告白は、クリスチャンになった後でも、村上の中には、キリストの教えと、もう一つ、それとは異なる肉の父親が教えた「力の論理」がずっと併存して息づいていたことを示している。

村上は少年時代に、たとえ子供のけんかであっても、負けて帰って来ることは恥であると父に責められ、自分で自分の身を守れと言われ、力の論理を体得させられた。すでに保育園時代から、村上は、自分の家庭では、力が弱いがゆえに喧嘩に負けても、誰からも同情などしてもらえず、相手が兄であっても、負けることは恥であり、涙を見せることは心の弱さの証拠でしかなく、馬鹿にされるだけだと学んでいたのではないかと思われる。

以上の喧嘩に関するすさまじい記述は、どれもこれも、村上が少年時代に、親から事実上の虐待を受けていたことをよく物語る。たとえば、子供同士の喧嘩で負けて帰って来た子供を、親が慰めず、子供の心配をするどころか、みっともないと叱りつけたり、「泣いてはならない」と命じたり、「喧嘩の仕方を教えてやる」という口実で、父が子供に取っ組み合いのわざをしかけるなどの行為は、れっきとした虐待である。さらにもっとひどい虐待の様子も、後述するように、村上の記事にはいくつも記されている。
 
親の庇護がなければ、子供はもともと生きていけない存在である。弱い子供に自分で自分の身を守れるはずがない。ところが、親が、子供の弱さをかばうどころか、子供自身が強くなって自衛するのが当然であり、それができないのは恥だと教え、弱い子供を突き放し、泣くことさえ禁じるのは、ただ親が子供への保護責任を放棄しているだけである。

だが、問題は、村上が未だに自分の親のこのような行動が、深刻な虐待であったという意識をまるで持っていないことである。それどころか、村上はキリスト者になっても未だに、そうした父の「教え」が、自分に役に立ったと考えて、それによって得られた「成功体験」を重んじ、継承しているのである。

級友に暴力を振るい、級友が学校に来なくなった時点で、村上は、自分の暴力が、イジメ問題に発展し、自分が学校で罰せられるかも知れないという自覚を持っていたと書いている。正当防衛を主張するには、明らかに分を超えてやり過ぎたのだ。しかも、相手が不登校になってしまえば、何が原因であれ、やはりそれはあるまじき結末だ。きちんと和解して両方が同じ教室で学べるように決着をつけるべきだったのだ。

ところが、学校側は無責任で、和解の努力もせず、村上は罰を受けることもなく、ただ喧嘩の相手となった生徒だけが転校するという重荷を負うことで、事件が済まされてしまった。そのことは、村上にとって悪しき「成功体験」となる。この時、村上の中では、大人たちの世界では、たとえどんな卑劣な方法を使おうと、どんなにやり過ぎようとも、とにかく力の勝負で勝ちさえすれば、それが勝利としてまかり通るのだ、従って、そのような方法で自分が身を守ったのは正しいことだったのだという認識がさらに強化されたと思われる。

それは、喧嘩に負けることを恥であると普段から教えて来た父親の言葉に、学校側も呼応して同じ見解を示したことを意味する。そこで示されたのは、世間は「力の論理」で成り立っている、何が正義であるとか、真実であるとか、何がほどほどの妥協点であるかなどは関係なく、「力の論理」で相手を打ち負かした者が、勝つのだという理屈であった。

こうして、村上はキリスト教に改宗した後も、暴力で弱い者を打ち負かすことを恥とせず、何事をも父から教わった「力の論理」によって解決しようとし、力によって身を守れた者が勝つのであって、それができなかった者は敗北するのが当然だという考え方を持ち続けることになる。そして、キリスト教とは根本的に相容れないこのもう一つの肉的な教えを、キリスト教と同時に使い分けて行くのである。

村上の「力の論理」は、村上自身が親となった際にも、自らの子供への体罰という形で受け継がれる。 

前にも書いたことだが、筆者は村上密の教会に実際に通い、村上の家族を実際に目撃しているが、一番最初に疑問に思ったのは、村上の妻が少しも幸せそうでない、ということであった。

牧師がワンマンでないか、本当に謙虚な人格を持ち、周囲のことを思いやっているかどうかをはかる最も良いバロメーターは、妻との協力がどれくらいうまくいっているか、牧師夫人が本当に生き生きして満たされて行動しているかに注目することである。牧師の行動はいくらでもごまかせるが、牧師夫人が幸せであるかどうかは、人の目にごまかすことができない。
 
村上自身は、筆者の前で、一度も怒鳴り散らしたり、不機嫌なところを見せたり、取り乱した態度を取ることはなかった。むしろ、常に温和で人好きのする態度を見せていたので、筆者は初めの頃、村上の人柄に全く不信感を持たなかった。だが、おかしなことに、まだ若く、幸せいっぱいの家族であるはずの村上ファミリーの様子が筆者にはどうにも変に感じられたのであった。子供たちは比較的、のびのびしているように見えた(弱さを見せることを禁じられていたので、そのように振る舞うようしつけられていたのかも知れない)。だが、夫人は、村上と接触する時でさえ、感情を押し殺したような表情で、伸び伸びした態度も、心の余裕もないことが分かった。
 
これは非常に奇妙なことであった。特に、被害者のケアに当たるという仕事を常日頃から夫婦でやっているのであれば、夫人の側には、夫の手が回らない部分まで、慈愛に満ちた思いやりある行き届いた態度が求められるのが通常であるが、そういうものからはほど遠い夫人の行動を見たあたりから、この家族は何かどこかが変なのではないかという気が筆者にははっきりとし始めたのである。

だが、以上の村上の記事などを読めば、なぜそのようなことになっていたのか、その理由もある程度は理解できよう。村上は、決して信徒らの目には触れない場所で、子供への折檻を行っていたと自ら告白しているのである。しかも、その折檻は、子供が何かあるまじきいたずらに手を染め、あるいは万引きしたり、非行に走ったりと、誰が考えても社会的に容認できない行動に走ったために加えられた体罰ではなく、ただ「子どもが泣いたり、めそめそしていると、なんば泣くか。男が泣くもんじゃない、と聞かなくなった父の言葉を今度は自分の子どもに言い、げん骨を食らわしている」と村上が書いている通り、ただ子供が気落ちして、心弱くなっているところを目撃しただけで、それを「罪」のようにみなして殴っていた、というのであるから驚きである。

その記事からも分かるのは、おそらく、村上は、かっとなれば、突然火がついたように自制心を失い、普段とはまるで違った形相になって、子供を思い切り打ち据えずにいられなかったのだろうということだ。決して人前で弱さを見せるなと、自分が幼少期から父に厳しく叩き込まれたために、子供たちが弱さを見せただけでも、許せない思いになり、見境なく手を出さずにいられなかったのである。
 
しかし、妻を含め、周りで見ていた者たちは、村上の血相を変えた尋常ならぬ様子に怯え、その体罰に命の危険をさえ感じていたのであろう。その記述は、幾度、やめて下さいと、妻も懇願したか分からない様子を伺わせる。だが、村上を止めることは誰にもできない相談であった。

こうしたことは、まさにこれまで書いて来た「般若の面」を思わせる出来事である。明らかに、村上には、表向きの、弱者に対して優しく親切そうな表情とは別の、牧師として第三者に接触している時には、決して見せることのない、もう一つの顔があった。彼は二つの面を使い分けており、隠れたもう一つの面が隠されていたのである。

その「鬼の面」は、カルト被害者に対して親切で、思いやり深く、彼らの心の傷や弱さに寄り添い、それに我が事のように共感を寄せる牧師という表向きの顔とは全く逆の、決して人が自分の弱さを打ち明けることも、そのために涙を流すことも許さず、力の勝負で「負けて帰って来る」こと自体を恥とみなし、負けて帰って来た者にはさらなる罰を加えてこれを恥として責め立てるような、残酷な般若の面だったのである。

その鬼の面は、村上自身にもコントロールできない「父親の血筋」であり、一旦感情に火がつくと、自分の生んだ子供たちという最も身近な愛する者たちにさえ、容赦なく手をあげ、向けられるような憎しみだったのである。

だが、村上は、自分の中にそのような「父親の血」が流れていることを、以上の記事でも、反省すべきあるまじき出来事としてはとらえていない。むしろ、子供が中学生になる前に手をあげることをやめたのだから、それでいいではないか、と言いたげだ。自分は親から教えられた通りのことを忠実にやっているだけで、それで自分も無事に生きて来たのだから、それはしつけであり、処世術であって、何が悪いと言いたげである。

自分の仕打ちが、子供たちの心の中で深い傷となり、それを見ている者にもはかりしれないショックとトラウマを与え、自分が育てた子供たちが、いずれ親になって、自分と同じことを繰り返すかも知れないということには、全く思いが至っていないのである。

さらに、もっと注目すべきは、村上が統一教会から脱会したいきさつである。

筆者はまだ幼い頃に、筆者が所属していた教会に、村上がやって来て、セミナーやら講演やらを開いていたことがあるのを覚えている。そのような集会の一つで、村上は直接、自分の口で、どうやって統一教会を脱会したのかといういきさつを語っていた。

一方では、村上は、統一教会の用事であったのか、それとも他の仕事であったのかは分からないが、トラックか何かを運転中に、「密、密、なぜ私を迫害するのか」というキリストの声を聞いて、滂沱の涙を流して自分の誤った信仰を悔い改めた、などと話していた。

あたかも、パウロのダマスコ途上の回心のような、劇的で自主的な回心があったような話しぶりであったが、この種の話はかなり眉唾物だと思わざるを得ない。

ところが、そのように話した舌の根も乾かないうちに、村上は、統一教会を脱会するに当たり、もう一つの決定的事件が起きたことを自ら告白していたのである。彼は会衆からの質問に答えて、「統一教会を脱会する際、父から半殺しの目に遭わされ、力づくで連れ戻された」と自分で語っていたのであった。

「半殺しの目に遭わされた――」、この非常に穏やかならぬ、牧師にふさわしくない言葉に、筆者は驚き、それが記憶にとどめられた。 今、村上のブログを開いてみると、やはりその言葉は、筆者の思い過ごしでもなく、誇張でもなく、まさしく事実であったことが分かる。村上は脱会のいきさつについて、次のように語っている。

統一教会の研修に参加するため家を出た。その後、家は大騒動。父と兄と叔父が、私が匿われている場所を捜し当てた。父が2階にいる私を見つけ出し、私が死んでも帰らないというので、父が殺して連れて帰ると言って、殴る、蹴る、引き回す。2階から髪の毛をつかんで引きずりおろし、車で連れ帰された。

11月に熊本で兄と母と一緒に食事をしているとき、先の話をしていると、兄が、そるわ~、おとっつあんじゃなか、おったい。用心棒がおっと思ったけん、木刀ば持って殴り込んだたい。わっが、死っでん帰らんていうけん、うちくらわし、けたぐっ、ぞびきまわし、連れち帰ったたい。兄から記憶違いを起こしていることに気づかされた。私の瞼に浮かぶ、手をあげる父は実は兄だったとは。驚きである。そして、兄が、おまえがにぐっといかんけん、3日間、ロープでしばって、座敷にとじこめとったたい。おまえは3日間、めしもくわんでおったたい。この辺の記憶はない。母がそぎゃんだったたい、と言ったので確かだろう。私は兄に、その節は大変お世話になりました、とその場でお礼を言った。その場で私たちは大笑いをした。

兄が、おまえはこまかっとき、おやじに梁からロープで吊るされ、竹ん棒でたたかれたこつば~あったたい。母が、あんたはなきもせんで、歯ばかみしめっ、引きつけばおこして気おとしゃせか~、しんぱいしたとたい。
これも記憶にない。記憶は作り変えられ、消されるものだと分かっているが、自分のことでわかって驚いている。

一部を熊本弁で書いた。迫力ある場面、追憶する話し方、このような話し方はどれもなじみの言葉である。「その場で私たちは大笑いした。」つらい事、悲しい事、大変なことも笑いでくるむ話し方は我が家の話し方である。
記憶は作られ 削られる 2017年 12月 12日)


ここでは、笑いごとではない話が、笑いごとのように済まされている。しかも、この記述は、本当のところは、どうだったのか分からないと思わせる。父と兄と叔父の三人が、村上を連れ戻すために、統一教会のアジトに殴り込んだのだ。そこで行われた乱闘において、誰が村上に手心を加えたのかは、今となっては誰にも分からない。それは兄だったのかも知れないし、父だったのかも知れないし、叔父だったのかも知れない。いずれにせよ、みなの連携プレーがあったのだ。みなが一体となって暴力を振るっていたことはほぼ間違いない。兄が後になって父をかばっているだけの可能性も高く、記憶違いをしているのが誰なのかすらももう分からない。

さらに、この話の中には、村上が小さい時から、父が彼をロープで縛って、梁から吊るし、竹刀のような棒で打ち据えていたなどのことも書かれている。しかも、子供は泣くことも許されなかった。幼い頃から、このようなすさまじい有様だったのだから、この父ならば、何でもやりかねないと思うのは当然である。

いずれにせよ、親族たちの暴力的な連携プレーで、村上青年がカルトから連れ戻されたのは確かであり、そこで誰がどれくらい村上に直接、手を下したのかなどは重要な問題ではない。とにかく村上青年は、父、兄、叔父の三人によって、殴る、蹴る、引き回す、髪の毛をつかんで階段を引きずりおろす、殺してでも連れ戻してやる、などの暴行と暴言を受け、無理やり拉致されて、車に詰め込まれ、その後、家では、逃げないようにロープで縛られた上、座敷に閉じ込められて、三日間、飲まず食わずだった、ということが分かるだけである。

全く恐ろしいほどの暴力沙汰の脱会劇である。しかも、これを身内がみなで一致協力してやったというのだから、恐ろしく、通常であれば、これほどのことをされてしまうと、身内に対する不信感から、完全に周囲に対して心を閉ざしてしまったとしても不思議ではない。村上の場合、そうならなかったのは、おそらく、普段からそのような暴力沙汰が、珍しいことでなかったためであると思われる。
 
こうして、「死んでも帰らない」と豪語していた村上青年の脱走劇は、あえなく暴力によって打ち砕かれて終わった。そもそもなぜ村上が統一教会に心惹かれ始めたのか、その動機はそれほど定かではなく、世界を滅びから救うとか、日本が罪の懺悔を果たすとか、統一教会が表向きに掲げているスローガンはいくらもあって、そのどれに心惹かれたのかも定かではない。

だが、村上自身の記述を読むにつけても、想像されることはただ一つ、そういった統一教会の唱えている表向きのスローガンへの傾倒とはまた別に、村上には、自分の家庭から何とかして逃げたい、もしくは、家庭で味わい続けて来た苦痛の意味を知りたい、という動機があって、その逃避の場を統一教会にしか求められないと考えて、カルトに走ったというのが真の動機ではないかということだ。

「死んでも帰らない」という穏やかならぬ村上青年の言葉が、家や、親に対する悲壮なまでの抵抗の決意を表しているように思われてならない。それがただ統一教会の洗脳だけの結果であったとは思えず、もっと深い動機から出たものであったと考えざるを得ないのである。とにかく、それが本人にとっても命がけの家庭からの逃走劇だったことを思わせる。

だが、不幸なことに、その命がけの試みさえも、中途で打ち砕かれて、再び、彼は以前と同じ牢獄に引き戻されてしまった。ロープで縛られ、身体の自由も奪われ、憔悴の果てに、飲まず食わずで時を過ごし、それによって、「どんな卑劣な手を使ってでも、最終的には、力の強い者が勝つのだ」という、村上家の暗黙の掟が、またもや彼に体で叩き込まれたのである。

肉の父親による暴力的な支配と、家に恥をもたらさないように行動をすることだけを第一とする価値観は、文鮮明の教えよりももっと強かった。肉の父に対する反抗は、どんなことをしても許されず、カルトに走り、父に逆らい、家の恥となる行動をしたことに対する罰は耐え難く重かった。

村上はこうして統一教会に逃げることで、何とか得ようとしていた家庭からの脱出口も失ってしまう。そして、そのまま、一体、自分がどんな問題に悩み、何からの解決を求めてカルトに走ったのか、という根本問題をさえ、自分で封印してしまった。もはや父親に対する抵抗はどんなものであれ、許されないものとなり、父が間違っているかもしれないなど、考えることもできないタブーとなった。
 
村上は実際には、幾度も、幾度も、弱い立場にある子供としての自分からのSOSを無言のうちに発していたのであろう。カルトに走ることも、親に対するSOSだったのだ。ところが、親からも親族からも、その言い分に耳を傾けてもらうことができず、ただ一方的に自分の心の弱さだけが「悪」であると決めつけられ、暴力的に発言の機会を奪われ、口を塞がれ、意志を打ち砕かれて従わされた。彼は、ウィンストン・スミスのように、絶対的な権力によって無理やり自分の意志を打ち砕かれたことにより、暴力事件によって深い心の傷を負ったと考えられる。

そのために、村上は、自分の子供たちが心の弱さを見せることさえ許せなくなり、キリスト教の牧師になった後も、カルト被害者救済活動という名目で、自分以外のカルト信者に対して、自分が受けたのと同様の暴力行為を行うことで、暴力の連鎖を生み始めたのである。つまり、他のカルトへ走った信者らに対しても、拉致監禁という方法で、自分がされたのと同じような暴力に走り、他の信者らの信仰を容赦なく打ち砕いて来たのである。それは信仰がなせるわざではなく、人の心の傷が生み出す連鎖であり、救済ではなく、トラウマの連鎖であった。

いかにカルトから脱会させることを目的に掲げていても、暴力を振りかざす親の理屈が間違っていることを心から理解せず、親から訣別を果たすことができないままであった村上は、傷ついた自分の心と向き合う機会が失われたまま、その傷を、今度は他人に植えつけ始めたのである。

村上の信仰は、いわば、強者の論理によって獲得されたものであると言えるだろう。彼は暴力的に自立の試みを妨げられたため、父を批判することが未だに出来ず、「それで人はその父と母を離れて・・・ 」(創世記2:24)というステップが未だに完了していないのである。しかも、ただ両親から離れられないでいるだけでなく、受け継いではならない「父親の血(肉による力の論理、暴力の連鎖)」に疑問も持たずにこれをそのまま継承してしまっているのである。

それゆえ、牧師であるにも関わらず、このような物騒な暴力事件の話を自慢げにブログに書いているわけだが、しかし、その心の中には、「とにかく勝ったのだから、あれで良かった」という思いと、「なぜ自分があんなことをされなければならなかったのか」という思いが無意識に交差しているように見える。

村上は気づいていないであろうが、彼が救おうとしているのは、カルト被害者ではなく、本当は、痛めつけられた自分自身なのである。弱く、言葉を発することもできず、立ち向かう力もなかったがゆえに、無視され、侮られ、踏みつけにされ、否定され、傷つけられ、それでも立ち上がるよう強制されて来た自分を救いたいという動機が、被害者への共感を生んでいるのである。

だが、彼は、それを父親が自分に教えたのと同じ理屈で成し遂げようとしていることろに誤りがある。すなわち、弱い被害者たちに「裁判」という力を付与し、自分の力で戦わせることによって、彼らに自衛の方法を教え、この世の力を帯びさせて勝利をおさめさせようとしているところに誤りがある。

村上は自浄作用の働かない教会では、被害者の訴えは浮かばれず、そんな教会は教会とは呼べず、「だまされ続けることを聖書の教えと思い込む愚か者の集まり」だと決めつける。

互いが和解できなければ、それは裁判に持っていくべきではなく、教会の中で正しく裁かれるべきである。それをしないで、世の裁判に訴えることは敗北であると言うのである。<略>パウロは教会の中に「兄弟の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。」(1コリント6:5)と語りかけている。赦しなさいは仲裁ではない。正しく判断をしないならば加害者への加担である。教会の中で正義と公平を持って裁く人がいないなら、教会は教会性を失ってしまうことになる。すなわち、もはや教会は教会ではなくなっているわけである。どんなに礼拝会や祈り会に出席者が多くても、賢い者のいない教会、正しい判断をすることにできない教会となる。不正が正されず、不正のはびこる教会、だまされ続けることを聖書の教えと思い込む愚か者の集まりとなる。
誤用される聖句 2018年 04月 19日) 


しかし、このようなものは本当の解決とは言えない。人間の世界で起きる真に残酷な「被害」は、決して人が口に出せるようなものではなく、裁判にも持ち出せるようなものでもない。世の中には、赤ん坊や、子供を含め、自分が受けた不当な仕打ちを、決して論理的に説明することもできず、それを代わりに訴えてくれる味方もいない人々が数多くいる。

村上は言う、教会が教会性を失わないためには(何を持って「教会性」と考えているのかは不明だが)、裁判によって、被害者を救済せねばならないと。外から力を行使して、教会を正さねばならないと。

しかし、そういう理屈だと、人が言葉にもできず、裁判にもできず、誰にも打ち明けられない問題は、どこへ消えて行くのであろうか? 誰に助けを求めることもできない環境に置かれ、訴えを出すこともできない人々の「被害」はどこへ行くのであろうか? 自ら立ち上がり、理屈を駆使して相手を言い負かし、裁判という力を行使して、それによって勝利をおさめて、初めて教会が「教会性」を取り戻すというなら、被害者が名乗り出ず、訴えもしないがゆえに、誰も気づかない不正はどこへ消えるのであろうか? それらは神の御前に悪事でさえなかったことになるのだろうか?
 
村上が述べていることは、どこまでも終わりなき「力の論理」であって、そこには、被害者といえども、ただ力を行使することに成功した者の訴えだけが、最終的に認められるという理屈しか存在せず、すべてのことを公平に裁かれる神が不在なのである。
 
このような考え方は、被害者の中にも、格差を生み出す。裁判で勝ったのか、どれくらいの賠償金を取り返せたのか、相手をどれくらい重い罪に問うことができたのか。どれくらい短い間で訴えを終わらせたか。効果的な裁判を行えたか。弁護士はいたのか。云々。

だが、私たちの聖書の神は、そういうお方ではない。我々の聖書の神は、乳飲み子、みどりご、やもめ、寄る辺ない者全ての庇護者であり、自分で声を上げることができないすべての弱い人々の味方であって、一人一人の思いを知っておられ、自ら立ち上がることのできない人々のために正義を行って下さるのである。

村上の論理の矛盾と破綻は、この世の力を行使しなければ、決して教会に是正はあり得ないと考えている点にある。それでは、教会の主人は人間ということになってしまい、教会は神の支配が及んでいる領域ではないと言っているも同然である。つまり、そこでは、正しい裁きを行う者は、常に人間でなくてはならず、神が裁きを行われるということを信じてもおらず、それに任せるつもりもいないのである。

だが、人間の行う裁きは、そもそも偏っていて、不公平であり、必ずしも正しいものとは限らない。現に、世間では、冤罪事件で有罪とされた人もおり、裁判という枠におさまらない悪しき事件は日々、膨大に起きている。裁判の判決さえ、しばしば公正でなく、まして、裁判に訴えることもできない人々の訴えはどうなるのか。

教会の問題を裁判所に持ち出し、そこで勝利を収められさえすれば、勝ったことになるという村上の理屈は、結局、自分の父がしたのと同じ方法で、弱者に自衛を求めているだけなのであり、弱い者に力の論理を身に着けさせ、それによって武装した者が勝つのだという教えなのである。

村上は、弱者が自分に従順で、自分の「教え」を忠実に学んでいるうちは、助けようとするであろうが、それは離脱を許さない残酷な支配であり、その優しさは本当のものではない。彼は決して自分が許した範囲外に、弱い者たちが出て行くことを許さない。

村上は、彼の活動に反対する一人や二人の人間だけに対して残酷なまでの非難を繰り広げているだけではない。村上の教団の配下から出て行こうとした牧師や信徒たちにも、同じように残忍な非難の刀を振りかざして、彼らを打ちのめそうと、彼らに落伍者の烙印を押し、離脱した教会を再び傘下に連れ戻すべく、裁判にまで及んで敗北している。

こうしたすべての行為は、村上が統一教会に走ることで、家から脱走することを決して許さず、彼の行為を「家の恥」とみなして断罪し、彼を辱めて滅多打ちにして、力づくで座敷牢に閉じ込めてまで、その意志を暴力的に打ち砕き、家庭に連れ戻した父親の行為の二の舞でしかない。

村上が被害者たちに言い募っているのは結局、こういうことである、「おまえら子供たちは家を守るために勇敢に戦いに出ていけ。そして勝って戻って来い。自分を傷つけた者を打ちのめし、そいつに勝利を果たして、我が家に栄光を携えて戻って来い。正義がこの世に存在することを思い知らせてやれ。おまえの存在はこの家のためにあるのだ。おまえは家に栄光をもたらす道具であって、そこから出て行くことは決して許さない。」
 
分かるだろうか、こうした発想の根底にあるのは、「母を守る」という東洋思想の危機感と同じなのである。「家が脅かされているから、家族の成員が皆立ち上がって家を守らなければならない。そのために、一人一人が力を身に着けて、自衛しなければならない」ということである。『国体の本義』が、家の名誉のために、ためらいなく皆が死ぬことを奨励しているように、もし家の名誉を守る戦いの最中で命を落とすのであれば、それは名誉の戦死として扱われるのである。

村上が、自死に対して寛容なのも、おそらくそのためであろう。被害者が脅かされながらも、決して家や両親に逆らって自分を守ろうとすることなく、むしろ、家の犠牲となって、その名誉のために命を落としたのなら、それは名誉の戦死であって責められるべきことではないというわけである。自死した本人を免罪しようとしているというより、家と親たちを守ろうとしているのである。
 
このような世界観に立って、彼は教会というものも「脅かされる家」と見ている。だが、そこで抜け落ちているのは、教会の支配者は人間ではなく神であって、神の正しい裁きが存在し、それに委ねる必要があるという点と、教会を脅かしているのは、あれやこれやの人間ではなく、最終的にはサタンであるから、人間相手の戦いで、教会を脅威から守ることは決してできないという点である。

人間相手の戦いには「目には目を」の法則が働いて、「殺す者は殺される」という結果に至るだけである。

村上のブログからは、当ブログの他にも、村上の行き過ぎた活動を批判し、村上を名誉毀損で訴えようと具体的に動いている勢力があるらしいことが分かる。以下で言う「スピリチュアル系カルト」とはその他の記事を合わせて読めば分かるように、当ブログとは一切無関係である。

最近、スピリチュアル系カルトからのインターネット上での嫌がらせが増えている。それは指導者がヒステリーを起こしているからである。名誉棄損されていると信者に警察に相談に行かせたりしている。事実、警察から注意とも警告とも思われる電話があったが、別に私の意見を述べているだけで、名誉棄損になるような記事ではない。一種の脅しである。自分たちのネット上の攻撃は悪質であることを棚に上げてである。国外からだとどうすることもできないが、国内であれば対処できる。エスカレートしてきているので、こちらも対処しなければならないレベルになってきた。放っておいて罪がまし加わるのを待つのがいいのか。軽いうちに止めさせる方がいいのか。後者の方が相手思いかもしれない。   (スピリチュアル系カルト 2018年 04月 16日)

この記事によると、すでに警察からも警告が入っているらしく、そうなると、事件はかなり深いものと予想される。実際に名誉毀損による告訴が成立している可能性も十分に考えられる。
 
今や村上についてはかなり各方面から物騒な話題が持ち上がり、だんだん抜き差しならない事態になって行っていることが分かる。むろん、カルトと名指しされる団体に自ら首を突っ込み続けると、いずれ手に負えない反撃が来ることはもともと予想されていたことである。村上から被害者を通じて思わぬ干渉を受けた団体は、当然ながら、反撃に出て来るであろう。相手はもともと正常な団体ではないのだから、そのような争いに自ら首を突っ込み続ければ、いずれは命の危険にも遭遇する。そのような戦いが、牧師の正常な活動ではないことは言うまでもない。

しかも、村上は、自分だけは決して誤りを犯すことはないという前提に立って物事を考えているようであるが、彼が他人に振りかざした厳しい基準が、彼自身に適用されるのだ。和解できない場合には、いずれ村上自身が裁判に引き出され、決着を求められることになる。その時、他人に憐れみを示さなかった彼に対する裁きは容赦のないものとなろう。「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。」(ヤコブ2:13)

さらに、村上が次のように書いていることも実に要注意である。

聖書には、殺してはならないとの神の命令があり、時には、殺せとの神の命令がある。殺してはならないが浸透し過ぎて、殺せがないかのように思っている人がいる。聖書には、赦しなさいとの神の命令があり、時には、裁きなさいとの命令もある。赦しなさいが浸透し過ぎて、裁きをしてはならないかのように思っている人がいる。

偏った聖書理解によって、被害者が被る言葉には滑稽なのがある。謝罪もしない加害者に対して、聖書には赦しなさいと教えているから赦しなさい。それでも赦せないでいると、赦しなさいと聖書に書いてあるのに赦さないあなたは神に逆らている。それは罪だと裁かれる。赦しなさいと言っている人が自分の言うことに従わない人を裁くわけである。(偏った理解   2018年 04月 08日)

   
これは非常に恐ろしい記述である。誰一人、村上に殺人について尋ねたわけではないのに、彼は自らこのように「聖書は殺人をも禁じているわけではない」という誰も聞いたことのない自らの奇抜な「信仰告白」を繰り返す。ここで村上が、「殺せ」という命令と「裁きなさい」という命令を一つに結びつけて話していることは注意である。このことは、村上自身の中で、この世の強制力である裁判を用いて教会の問題を解決しようとすることと、殺人とが、同じ力の論理に属するものとして同一線上にあることをよく物語っている。

だが、彼が聖書が殺人を正当化していると述べる根拠として、引き合いに出しているのは旧約聖書の記述である(「クリスチャンの裁判」 参照)。聖書において、神が主の民に神に背いた人々や異教徒を「殺せ」と命じたのは、旧約聖書の時代の話であり、新約になってからは、そのような命令は一切、主の民に下されておらず、むしろ、キリストは弱さのゆえに十字架につけられ、主の民が殺される側に回り、殉教している。村上がなぜ問われてもいないのに、聖書を悪用しつつ、「聖書は必ずしも殺人を禁じているわけではない」と、殺人を正当化しようとしているのか、いぶかしく思われる。

そこには「自死を正当化する」という目的と、もう一つ、「殺して連れ帰る」という父の言葉が暗黙のうちに反映していると思われる。村上は、沖縄の被害者のグループ「カイロスの会」で、自死は罪ではないと語り、大変な物議をかもした。このように、彼は自死を罪とみなすどころか、むしろ、奨励するかのような言葉を発しているが、そこには、子供が自死するまでその思いに気づけず、子供を犠牲としてしまった残された遺族らが、これ以上、罪悪感を感じたくないという自己正当化の思いが代弁されていることに加え、子供が家の恥になる行為に手を染めるくらいならば、親は子供を殺すことも厭わないという父の発言を正当化する思いが暗黙のうちに含まれているものと見られる。

暴力的な手段を講じて強制的に相手の意志を打ち砕いてでも、自分の信念の正しさを相手に押しつけることは、それ自体、精神的殺人であると言えよう。このように、聖書を悪用しながら、「正義のためなら殺人も厭わない」という誤った思いを正当化しようとする村上の姿勢は、暴力による強制的な脱会工作だけでなく、アッセンブリー教団に背いた教会や信徒にとことん誹謗中傷を浴びせ、破滅に追い込むまで手を緩めないという行動にも表れている。

村上は、他の人々を差し置いてでも、傷ついた自分自身の心に目を向け、自分自身が幼い頃から父によって受け続けて来た暴力、虐待を悪しきものとして憎み、これを退け、下からの出自である「父親の血」を断ち切り、「父のげん骨で作られた」性格と訣別し、真に親離れを成し遂げなければ、父親が自分に向けて来た殺意を、自分の心の中に育み続けることになるであろう。そうなれば、たとえ憎き敵に復讐を果たしても、彼自身がいずれ死の中に飲み込まれて終わるだけである。それはカインの道であっても、アベルの道ではない。憎悪は新たな憎悪を生むだけで、鉄拳では平和は作れない。それは血塗られた悪魔の道であって、断じてキリスト者の道ではないのである。

「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。」(ローマ8:6-7)
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