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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

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キリスト教界に広がる疫病としての「霊の戦い」

 中断していた個人預言に関する記事を続けるために、その前置きとなる記事を書いて置きたい。
 
 以前に書いた記事の中で、私は、聖霊派の最新流行の教えを、まるでごった煮のように混ぜ合わせて無批判に礼拝に取り入れる傾向にあったアッセンブリー教団の中で、私の母教会には、個人預言は取り入れられなかったと書いた。だが、じっくりと記憶を辿っているうちに、今まですっかり忘れていたある事件が記憶に浮かび上がってきた。

 確かに、N教会のT牧師が率先して個人預言を取り入れることはなかった。だが、私はその教会で個人預言の弊害を実際に体験していた。にも関わらず、それをすっかり忘れていたのは、N教会に関する否定的な記憶の中でも、とりわけ意味不明だったこの事件を、どう解釈してよいか分からず、当惑の中で、できれば忘れ去ろうとしていたからだろう。

 私が通っていた当時のN教会は、高齢化に見舞われていた。日曜学校にも子供は少なく、信徒の間には、愛に基づいた温かい心の交流がなかった。数少ない青年たちの間にも、よそよそしい交流しかなく、教会に古くから通っている信徒たちは、親族グループ毎に、派閥を形成して、時に対立していた。要するに、人を呼び込む魅力となるものが、この教会には何もなかった。

 聖霊派の礼拝スタイルは、人気歌手のコンサートか何かのように騒がしく、熱狂的なことで知られている。しかし、高齢化したN教会はその例外であった。N教会もやはりアッセンブリーの最新流行を追いかけるべく、騒がしい賛美歌その他を色々と取り入れてみたのだが、そのかいもむなしく、N教会の礼拝温度は一向に上昇することはなかった。

 N教会ではよく伝道集会が開かれ、その度ごとにゲストの講師が招かれていた。が、いつも教会の集客能力の低さだけが暴露される結果に終わった。未信者の出席率は限りなくゼロに近く、講師はいつも伝道用のスピーチ原稿を信者向けに急遽、変更を迫られた。
 それだけでなく、幾人もの講師が、しらけきった会場に我慢がならなかったのか、集会が始まると同時に、講壇から、さらに会場をしらけさせるような呼びかけを行った、
「みなさーん、ハレルヤですかぁ!? アーメンですかぁ!? 返事がない!! もっと大きな声で、さん、はい、ハレルヤ~!!」。
 この馬鹿馬鹿しい台詞に付き合わされて、会場の温度が北極並みに冷え込んだことは言うまでもない。

 さらに、講師の中には次のように語る者もあった、「私たちが訪れる教会の中には、講壇に立った途端、背筋にぞっと寒気が上ってくるほど、会場の雰囲気が冷たいところもあるんですよ~。」それはおそらくきっと、N教会そのもののことを指した皮肉だったのだろう、そう解釈してもおかしくない現実があった。

 10代の終わりの日々、私は得るものが何もなくなったこの教会で、ただひたすら退屈と孤独を持て余していた。そこにとどまる理由は何もなかったのだが、その頃、我が家には、この教会から離脱する自由を私に黙って与えてくれるほどの、先駆的な意見の持ち合わせがなかった。「日曜礼拝を守るのは信徒の義務である」、「什一献金を守るのは信徒の義務である」などの数々の教えにとらわれて、教会を離脱することは罪であるかのように思い込まされていた。

 こうして、教会に愛想を尽かしながらも、教会にとどまるしかなかった頃のある日、突然、とびきり魅力的な若い娘が、N教会を訪れた。モデルのような長身に、腰まであるかと思われるストレートの美しいロング・ヘアをなびかせ、大型バイクで颯爽と教会に乗りつけた。アッセンブリーの他教会から来たそうだが、N教会では場違いなくらいに明るく、活動的な女性であった。

 礼拝中に彼女を初めて見た時、とても敬虔で魅力的な人柄に思われた。賛美歌を歌っている時、その人は、感情の高まりに合わせて両手を高く掲げ、目には涙すら浮かべている。そのような賛美スタイルは、聖霊派の教会では、少しも珍しくなくなかったのだが、能面のような表情で、信徒たちが死んだような礼拝を行うN教会のスタイルとはあまりにもかけ離れていたため、私は新鮮な驚きに打たれた。

 その後、青年部などで顔を合わせて、何度か話すうちに、私はこの女性が心から主を愛しており、その気持ちを率直に表現することができる人なのだと感じて、さらに好感を持った。私より年上で、ちょっぴり頼れそうなところも気に入った。何よりも若者らしい率直さ、あけっぴろげな感情表現が気に入った。彼女も、N教会の若者たちが気に入ったことを隠さなかったので、私たちには親しくならない理由はなかった。
 だが、腑に落ちないことが一つあった。なぜか初めて会話した時に、心の中に何らかの違和感を感じたのだ。「警戒しなさい」という呼びかけを心のうちに聞いたように思った。

 この新しい友人を得て、N教会青年部にはそれまでになかった交流が生まれた。礼拝後に、若者が思うまま集まって、好きなだけ賛美歌を歌うことができるようになった。型にはめられない自発的な信徒の交流が生まれ、有志が集まって、食べ物屋に出かけ、互いの家を行き来し、一緒に食卓を囲み、祈り、相談し、打ち解けて話し合った。この率直な交わりこそ、私は待ち望んだ信徒の交わりであると思って、心から嬉しく思った。

 だが、次第に、この新しい友人がどのような教えの影響を受けているのかが明らかになった。彼女はペンテコステ運動の様々な流行を追いかけており、海外から招かれる宣教師の大会に通ったり、その筋の書物に盛んに目を通し、新しい教えの影響を受けていた。悪霊追い出しの祈り、病気の癒し、奇跡、霊の戦い、預言、FGBFMIの活動…、そういったものの存在を、私はN教会の信徒からでなく、誰よりも彼女を通して知らされた。

 そこには新しい宣教のスタイルがあった。従来の力を失ったキリスト教(=私には特にN教会の死んだような礼拝がその典型に思われた)に対する強力なアンチ・テーゼがそこにあるように見えた。力のない惰性的な礼拝の代わりに、力ある奇跡の業が提唱されていた。イエス時代の奇跡が、現代にも起こりうることを宣教師たちは確信し、驚くべき回心の物語を証として語っていた。
 美しい音楽と、いつまでも浸りきっていたいような、高揚感のある、洗練された集会のスタイルがあった。病や、悪霊の影響や、様々なとらわれからの解放などの、人の心を喜ばせる材料が盛んに提供されていただけでなく、何よりもそこには、何か新しい、これまでにない、未曾有のことが起ころうとしているという期待感があった。この新しいスタイルは、若者を引きつけるのに十分な要素を持っており、生気の抜けた教会にうんざりしていた私の目を引いた。

 いくつかの宣教師の大会に、私は彼女と他の信徒とともに出席した。だが、そのうちに、彼女は知り合いと共に、「主からいただいた預言」と称して、ノートに様々な事柄をびっしりと書き込んで持って来るようになった。その内容は、彼女の家族に関するものが多かったが、中には日本のリバイバルなどに関する預言もあったように思う。宣教師の大会の途中で、彼らがそれを神から与えられた預言と称して、講壇に提出したこともあった。宣教師は「預言は全て聖書に照らし合わせなければなりません…」と言って、その場で聖書を調べていた。
 彼女が授かったという預言の内容はあまりにも膨大で多岐に渡っていたため、私の興味をあまり引かず、私はそれを大して気に留めなかった。

 次第に、彼女はN教会の中で公然と、悪霊追い出しの祈りをしたり、病の癒しを求めて祈るようになった。新しい「霊的」な教えを彼女はN教会で実践し、問題を抱えた信徒たちのために祈った。この頃から、おそらく、N教会の信徒たちの一部は、彼女の行動を危険であると考えて、距離を置き、交流を断っていたのだろう。しかし私はそのことをどの信徒からも知らされなかったし、それに自分で気づくこともなかった。

 ある日、彼女はN教会の礼拝堂で、私のきょうだいが連れてきた友人に対して悪霊追い出しの祈りを始めた。その人に悪霊がついているという証拠は何一つなかったにも関わらず、彼女が強い口調で権威を持ってその必要性を主張したので、私たちは反対せず、その友人の面目をつぶしてしまっていることを後ろめたく思いながら、それでも悪霊追い出しの祈りに参加していた。

 そこへT牧師がたまたま通りかかった。牧師は憤った態度を隠そうともせず、言った、「きみたち、何をしてるんだ! もう遅いじゃないか(夕方の4時頃だった)、家に帰りなさい! 悪霊だって!? 何を馬鹿なことを言ってるんだ!? そんなものがここにいるわけないじゃないか!! 馬鹿なことはすぐにやめて家に帰りなさい!!」

 (後日付記   振り返れば、T牧師の牧会には不適切で納得のできない事柄が数え切れないほどあったが、それでもこの時は例外的にT師が正しかったと言える。だが、この悪霊追い出しに根拠がないことを指摘したT師も、ベニー・ヒンなどの流行の教えに傾倒して、自らクルセードに出席するために夫婦で海外へまで出かけて行き、甲子園ミッションの成功のために教会をあげて後押ししたりするような有様だったので、相当に教団の霊的ムーブメントに入れ込んでいたのだと言える。従って、この事件だけを引き伸ばしてT師の教えを擁護することは決してできないのである。どちらかと言えば、信徒らが未成年であったがゆえに、T師は、動の行き過ぎを懸念して注意したのだと見ることができる。

 この女性信徒は、当時、他教会の信徒とはいえ、アッセンブリー教団の公式な一員だったのであり、当時、彼女の入れ込んでいた様々な霊的ムーブメントも、アッセンブリー教団が公式に後押ししていたものであった。そこで、こうした見解は決して、一信徒の個人的な見解だと言えるものではなかったのである。さらに、そうした教えにT師自身も批判することなく深く関わっていたことを思えば、N教会の冷たい死んだように生気のない礼拝も、加熱して行き過ぎた霊的なムーブメントも、ともに対極にあるように見えながら、実は両方ともが、アッセンブリー教団の結んだ悪しき実だったとはっきり言える。

 結局、この事件もただ一人の信徒(しかも学生の年齢)の行き過ぎた活動という問題として片付けられるようなものでなく、過激な霊的ムーブメントを無批判に取り入れることにより、信徒を積極的に惑わせてきた教団側の無責任が引き起こした無数の実例の一つに過ぎなかったのであり、また、T師が教会内で青年伝道を正しく導くことができなかった結果として起きた出来事だったと言える。そこで、この事件は一人の信徒の責任だけに帰着させることはできず、また、これを持って当時のN教会やT師や教団を擁護する理由とすることも全くできないのである。)

 この事件を境に、彼女の態度が急変した。彼女はそれまでの友好的態度を捨てて、預言を通してつながっていた取り巻きと一緒になって、「T牧師の態度は間違っている。彼は私たちのミニストリーを妨害した。その誤りに対して、N教会は裁きを受けなければならない」と主張し、N教会を非難した。そして預言と称して、「N町はN教会の罪のために滅ぼされなければならない! 天からの火がN町に下るだろう!」と宣言した。

 今書くと、笑い出したくなるほど荒唐無稽な内容である。短大を卒業したばかりの年齢の若い娘が、悪霊追い出しの祈りを押しとどめられたことを理由に、N町がソドムと同様に滅びることを預言したのである。こんな内容を真に受ける大人がどこにいるだろう?

 しかしその頃、私は聖霊派の最新流行の教えそのものが、根本から誤っているという危機感を持っていなかった(数えてみると私は当時18歳であった)。彼女の言っていることが、あまりにも短絡的で、非聖書的であるということは感じられ、疑いを持ったが、それが完全な誤りであるとはすぐに確信できなかった。それはN教会で長年かけて、自分では納得できない事柄に、従順という名目で従わされてきたゆえの思考停止だったのかも知れないし、友人を失いたくないがゆえに真実から目を逸らそうとしたのかも知れない。

 いずれにせよ、彼女は私が彼らの預言の真実性を疑っていることを見抜き、私を仲間から除外した。私のきょうだいたちは依然としてぶっ通しの祈祷に連れて行かれた。N教会の信徒は、この時点で、多分、誰もがすでにこの現象の異常性を見抜いて、私たちを避けていたのだろう。教会の中には、誰一人、この若者グループに近寄る者もなかったし、必要な忠告をする者もなかった。 

 N町全体に対する滅びの「預言」には、日時もしっかり指定されていたので、私は一睡もせずにその夜を過ごし、翌日を迎えた。
 いつもと同じような朝が来た。それによって、この預言の偽りが暴露された。

 その後、彼女はN教会から姿を消した。それまでの活動が行き過ぎていたことを認める手紙を私は受け取ったが、言葉を返す気になれなかった。それから再会していない。何年も後になって、また別の宣教師の大会の会場でちらりと彼女の姿を見かけたように思う。

 この事件が何だったのか、長い間、私には理解できなかった。信徒の間に冷え切った交流しかなかったN教会で、せっかく気の合う信仰の友を見つけたと思ったのに、短期間でこの結果とは…。しかも、私は友人の無意味な言動に振り回された挙句、不安な日々を送り、ただ馬鹿を見させられただけで終わったのかと思うと、むなしさがこみ上げた。
 あの「預言」は何だったのだろう? あれほど心から神を礼拝し、清らかに主を賛美しているように見えた彼女の姿は何だったのだろう? 私たちが捧げたと思っていた礼拝やデボーションは何だったのだろう? 彼女とその取り巻き連は、神ではない、何者かの手下だったというのだろうか? 人を欺くために遣わされたというのだろうか? そんなことがあって良いだろうか? ジキルとハイドのような二重性がクリスチャンにあって良いものだろうか? いや、きっとあれは何かもののはずみのようなことであり、些細な間違いだったのだろう…。

 何もかも、考えても分からなかったし、それ以上、この問題を考えたくなかった。私は学生だったので、自分の学業に逃避して、この事件のことは忘れ去った。

 キリスト教会で危険な目に遭う、キリスト教会でクリスチャンに騙される、偽りの預言や、悪霊追い出しのために人生を狂わされる、そんなことが起きようとは、その頃、私には考えることもできなかった。N教会への失望はどうしようもなく膨らんでいたが、それは単にたまたま私の通っている教会が魅力に乏しかったためであると思っていた。もしN教会を離れて、自由に教会を探せるようになれば、もっと質の良い教会を見つけることができるだろうと私は思っていた。まさか、キリスト教界全体に誤った教えが怒涛のように流れ込み、数え切れない教会で異変が起き、腐敗が起こっているのだとは、想像することもできなかった。

 私は前述の彼女の一件を、極めて特殊な例外的事例であると解釈した。車の事故が起こったからといって、全てを車体の構造的欠陥のせいにできないのと同じく、腐敗した教会や、誤りに走った信徒が現われたからといって、教えそのものが間違っているとまで極言はできないだろう…。

 私は依然としてキリスト教界の中に正しい教えを探し求めた。宣教師たちの大会を巡り歩いたり、著書を読み漁ったりもした。驚く人もあるかも知れないが、貿易センタービルの事件が起こったその日の午後、私はN教会が盛んに後押ししてきたベニー・ヒンのクルセードに参加していた。もっとも、ベニー・ヒンは大会直前に「悪天候のためパイロットの判断により」来日しないと表明しており、チョー・ヨンギ氏その他が講壇に立っていたのだが…。

 アッセンブリーを去り、聖霊派の全てのイベントから遠ざかり、教界が私の人生にもたらしたはかりしれない弊害をやっと冷静に見つめられるようになった今、ようやく、私はかつての友人との事件のことを思い出した。そして、あれは彼女だけの判断ミスや、偶然ではなく、まさにペンテコステ運動の最新流行の教えがもたらした確実な実であったのだと理解した。彼女が誤った行動に至ったのは、聖霊派の教える「霊の戦い」を忠実に実行した結果だった。

 ペンテコステ運動の柱の一つである「霊の戦い」の教えに、何かしら致命的な欠陥が含まれているということは、以下に記すように、その教えの信奉者たちが、日本全国、至るところで非常識な問題ばかりを引き起こしているのを見れば、一目瞭然である。近年、キリスト教界の中で、悪質なカルト化に陥り、訴訟にまで発展している教会が複数あるが、その中には、「霊の戦い」に影響を受けて後、ひどく過激化し、常軌を逸した牧会活動を繰り広げるようになった例が散見される。

 現場で起きる事故の全てが、必ずしもプロジェクトの盲点や、欠陥を示しているわけではない。現場だけで起こった判断ミスの場合もあるだろう。だが、もしも現場で、類似した構造を持つ事故が、おびただしい回数、繰り返されているならば、それは必ず、プロジェクトそのものに人為的なミスが含まれていることを意味する。

 数年前に世間を騒がせたあの「真光元」の事件にそっくりな現象が、今、キリスト教界に多数、起きている。カルト化教会の指導者が、重病を患っているクリスチャンに、信仰だけに寄りすがって、奇跡的な治癒を求めて祈るよう促し、医学的治療を拒否させて、悪霊追い出しの連続祈祷などを行わせた挙句、患者を死亡させたり、重度の障害に至らしめるなどの事件が多発している。(たとえば次のサイトに転載されているAERA 2008年7月28日号の記事を参照。)
 さらに、霊の賜物を行使する名目での、個人預言の弊害もおびただしく報告されている。

 このような事件の数々を見るならば、ペンテコステ運動の教えである「霊の戦い」に影響を受けることが、どれほど危険であるかがよく分かるだろう。ペンテコステ運動に対する疑問の声は昔から今に至るまで絶えないが、注意しなければならないのは、この運動だけではない。今日、まるで疫病のように世界的規模で背教が「主の家」に浸透しており、今ほどしっかりと目を覚ましていることが必要な時代はない、というのが私の実感だ。

 私は以下の記事やコメントの中で、特定の教団や教会をターゲットにして何らかの反対運動を繰り広げるつもりはないし、いたずらにキリスト教界を敵視したり、蔑視したりするのも良くないということを述べてきた。
 だが、かといって、誤った教えに対して過度の寛容は禁物だ。悪魔と馴れ合うことなど人にはできない相談だからだ。そこで、これまで繰り返してきた忠告を、もう一度、繰り返そう。

 善良なクリスチャンは、キリスト教界からは即刻、離れた方が良い。そこにはあまりにも深く背教が浸透しているからだ。教界の腐敗に気づくのが遅れたために、私はここに示した事件とは比較にならないほど、もっと大きな事件に巻き込まれねばならなかった。しかも、そのカルト化教会はペンテコステ運動の影響下にはなかった。
 誤った教えを信奉する団体からは、できるだけ早く離脱しよう。何かが起こってからでは遅すぎるのだから。

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