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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

この道から一歩逸れるだけで…

この道は、人から嘲られ、罵られ、誤解される道。
この道は、私が人から賞賛されて、高く上げられ、有名になる道ではない。
むしろ、人からは罵られ、誤解され、裏切られ…、私の栄光が最も徹底的に奪われる道である。そこでは、私が徹底的に低くされなければならない。

主イエスの歩まれた道を歩む者は皆、主イエスがそうであられたように、
誤解され、嘲笑され、痛めつけられ、排斥され、呪われ、時には、殺されさえするだろう。
しかし、わが主がそのように蔑まれ、栄光を奪われたのに、
どうして私が主を差し置いて、人からの栄誉をこの身に受けることができようか。

恐らく、私を最も過酷に扱うのは、私の兄弟姉妹を名乗ってやって来る人だろうと思っている。私たちクリスチャンも、くちづけをもって裏切られることになるのかも知れない。
しかし、それが何だろう。
「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し
偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。」(マタイ5:11-12)

以下は、シュガーさんの記事から、ウォッチマン・ニーの詩を転載します。

「私が進むべき行程」から
少し横道にそれるだけで、唯それだけで、
私の命運は とても容易なものとなるだろう。
しかし、私は確かに知っている、
わが主は 何と過酷な行程を進まれたかを。

それ故 私はこの世を全く捨て去り 
その結びつきを 総て断ち切る。

私の行く道は なお狭きものとなり
世は総て 私に敵対して立ち上るであろう。

人々は 顔をしかめ、軽蔑してあざ笑うとしても
私は 主の笑顔のみを慕う、
ひとえに 彼の「よくやった」を願う、
地上のこの つかの間の時間の中でこそ。

偉大さを追い求めまい、
地上の栄光を追い求めまい。
ただ身を低くし 主にのみ仕えたい、
かの日、彼の誉め言葉を得んがために。

私は今 
「あの裁きの座」から来るその光を見つめる。
総ての私の生き方と働きが、
「かの火のテスト」に耐え得るために。

人々は総てをかけ
自分の成功を求め、栄光と富と名声を追求し、
自己の偉大さや 自分の追従者、
そして自身の栄誉を獲得しようとするだろう。

しかし私は
魂の中の繁栄ではなく、
ひどい孤独と貧困の中でさえ 
彼に忠信に従うことを求める、
あのゴールに到達するに至るまで。

私は知っている、地上におられた時 
主の歩まれた道は唯一つ 
あの十字架に向かう道であった
ことを。
それ故、私も彼と共に 
ただ損失をこうむることを願う。

総ての私の光栄は「かの前方」に備えられている。
それ故 ここで 私は総てを耐え忍ぶ。
主の御前において、主を差し置き、
今 自分の栄誉を求めることなど出来ようか。

しかし、来たるべきかの時、私は栄誉を賜るだろう、
主御自身 総て私の涙をぬぐい取って下さるという。
それ故 今この時代 忠信に 私はただひたすら前に進む、
私の主が出現される かの日に至るまで。

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