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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

二つの出来事、主が与え主がとりたもう(1)

最近、エクレシアには巨大な祝福がありました。
その内容は、またいずれお分かちしましょう。

ところで、最近、私の身の回りに起こった二つの事件について述べたいと思います。
一つは、私の盗まれたバイクはあれからどうなったかということについて…。

私のバイクはあちこち壊されて、大々的に修理が必要な状態となっていました。
さらに、バイクを引き取った交番では、このようなことを言われました。
「最近は修理費用も高くて、鍵一個を取り替えるだけで1万円くらいしたりするからねー、
修理した方がいいのか、買い換えた方がいいのか、考えた方がいいですよ」

そこで、私は主の御前にこの問題を提示しました。
主の御前に、私は何一つ所有はしません、と宣言した以上、
今となっては、バイクも、もはや、私の所有物ではあり得ません。

このバイクを関東まで運ぶのには、かなりの高い運賃がかかったことだけが
惜しまれるとはいえ、もしも主が今これを私からお取りになりたいならば、
私はそれに従わなければなりません。

しかし、その時、主が私に何を願っておられるのか、分かりませんでした。
これを所有し続けてよいのか、それとも、放棄すべきなのか。
そこで、財政状況に鑑み、修理費がある一定を越えるなら、
バイクはもはや私には必要ないと判断し、修理をあきらめて廃車とする、と決意したのです。

私は心の中で、逃げたい思いを隠しつつ、その祈りを祈りました。
「主よ、修理費がかれこれの金額を越えるなら、私は、
このバイクを私がこれ以上所有することをあなたが願っておられないと判断して、
この車を放棄します」

しかし、祈りながら、心の中で、思いました、
「修理費がそんな安い金額におさまることはないだろうから、
きっと私はこのバイクを手放さなければならなくなるのに違いない」
そして、長年連れ添った愛車との名残を惜しんでいました。

さて、バイク修理を見積もりをしてもらう店を決める際、
面白いことが一つありました。

夕闇が迫る中、破壊されたバイクを押して交番を出た時、
私にはどこへ向かうべきか案がありませんでした。
「主よ、私はこの町を知りません。どこにこの車を預けるべきか教えて下さい」と祈りました。

交番のすぐ目の前にバイク屋さんが一つあることは、来る時から分かっていました。
私のバイクはガソリンが抜き取られ、エンジンをかけることができません。
道幅も狭く、ひっきりなしに車が通る道路を、ずっと押して歩くのは危険です。
できるだけ近いバイク屋さんに預けた方が良いのは明らかでした。

しかし、「オートショップ」と書いた古びた看板のかかった、交番から最も近い
その店の前まで来た時、店のあまりの怪しさに、私はひるみました。
どう考えても、売り物とは思えないみすぼらしいバイクが、店の前にずらりと並べてあります。
入り口のまん前まで並べてあるので、店の扉(もちろん自動ではない)に近づくこともできません。

店の看板は、どこかしら薄汚れてぱっとせず、
ガラス越しに見える店内は、昭和時代のような蛍光灯で照らされているきり、
薄暗く、煤にまみれたようにそこら中真っ黒で、
うず高くつまれた工具のせいで、足の踏み場もないのが外から見て取れました。

一人のお兄さんの姿がガラスの向こうにありますが、彼はテレビに熱中しているのか、
外の様子に全く注意を払っていません。
オートショップ、と書いてあるこの店の、どこに売り物のバイクがあるのでしょう?
修理をする場所はあるのでしょうか?
そもそも、これは本当に店なのでしょうか?

私はその店を通り過ごしたい思いに駆られました。
そこで、バイクを押してさらに歩き続けました。

ところが、そこから15歩も行かないうちの出来事です。
荷物が邪魔なので、とりあえず、荷物をバイクの座席の下に入れようとした、その時です。
いつものように私は座席のシートをバタンと閉めてしまい、そのはずみで、鍵がかかってしまいました。

しまった!!
バイクの鍵も家の鍵も、全て荷物の中に入れたまま、
私は自分の荷物をバイクの中に閉じ込めてしまいました。

バイクの鍵は、壊れていますので、マイナスドライバーか何かがあれば
きっと簡単に開けられるのでしょうが、
工具の代わりになるものが何もありません。
その時、運よく、そばにある家から一人のおばさんが出てきました。
玄関の扉に鍵をかけようとしていたおばさんに、とっさに私は尋ねました、
「すみませんが、その鍵をかしてもらえませんか?」

他人の家の玄関の鍵を借りるという、思えば、あまりにも突飛なこの申し出を、
おばさんが不審に思わなかったことが幸いです。
事情を説明して鍵を借りましたが、
「えー?本当にこの鍵で開けられるの?」
と、おばさんはいぶかっていました。

果たせるかな、おばさんの家の鍵では、私のバイクの鍵は開けられませんでした。

そうなると、唯一の策はあの薄暗く埃まみれの「オートショップ」へ引き返すことだけ。
とにかく、何でもいいから、あのお兄さんに鍵だけでも開けてもらおう。
腹を決めて、そこへ向かいました。
そして出て来たお兄さんが意外に良心的な人に思われたので、
そこで修理の見積もりを出してもらおうと覚悟を決めました。

その際、私が長年放置していた前後のタイヤの取替えや、
ベルトやブレーキパッドの交換なども、
一緒に合わせてやってもらうとどうなるかという話になりました。
私は、心の中で、その修理金額は、きっと恐ろしく高くなるに違いないと考えて、
早くも失意落胆していました。

家に帰って、私はこのバイクを修理すべきか廃車にすべきかについて、主に直接、尋ねました。
そしてすでに述べたように、心の中でかなり低い修理費の限界を定めました。
その金額を越えるなら、5年間乗り続けた愛車とさよならすると覚悟を決めたのです。

これはきっと愛車とさよならせよという主の御心なのだろうと私は思って、
バイクが盗まれた時と同じように、再び、バイクをあきらめました。
しかし、この一連の出来事がどうやら主の采配だったのです。

後日、その「オートショップ」から電話がかかってきました。
そして告げられた金額は、私が祈りの中で、修理費の限界として想定していた金額より、
なんと一万円も低い金額でした。

どう考えても、通常のバイク屋さんでは、そのような金額で修理してくれるとは思えません。
その店が、良心的な提案をしてくれたことは明らかでした。
店を外見から判断してはならない、と、私は改めて知らされたことでした。

私は早速、兄弟にこの話を告げて、共に喜びました。
「きっと主がそのアクシデントを起こしてあなたをそのバイク屋さんへ導き、
その車の所有を許してくださったんだね」

盗まれたヘルメットとリアボックスも、ネットを通じて破格の値段で購入することができました。

これは主が私に取り去られた物品を再び与えて下さり、それを使うことを許して下さった事件でした。
せっかく与えられたのですから、今後は、必要最低限のメンテナンス費用をけちったり、
防犯対策を怠ることはすまいと決意したことでした。
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