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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

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アブラハム、イサク、ヤコブの神

つい先日、ある青年を病室に訪ねた。
数ヶ月前、初めて彼に会おうと思いついた時、
私はまだ遠い地に住んでおり、
こんなにも早く、主が私たちを会わせて下さるとは思ってもみなかった。

私とある兄弟とは、主のすばやい采配に驚きつつ、病院へ向かった。
だが 二人の心の中には、溢れる喜びがあった。
受付で面会を申し出て、青年と三人で向き合った時、
開口一番、彼が私に向かって話し出したのは、
『アブラハム、イサク、ヤコブの神』についてだった。

私は度肝を抜かれた。
わずか数日前に、私はその本を贈呈されて、読み始めたばかりだった。
しかも、青年が話し出したのは ヤコブがもものつがいを外された話。
道中の電車の中で、私がちょうど目を通したばかりの箇所だった。

すべてが偶然とは思えない面会。
主は何を意図して、この状況を整えて下さったのだろう?

さて、クリスチャンは、
アブラハム、イサク、ヤコブの3人全ての経歴を持たなければならない、
この本の中で、W.ニーは確かにそう言っている。
アブラハムだけではダメ、イサクだけでもダメ、ヤコブだけでもダメなのだ。
この3人全ての経歴を クリスチャンは持たなければならない。

信仰の父と呼ばれたアブラハム、
彼は信仰によって、父なる神から約束の嗣業を得た。
イサクは父に従順に従い、全てのものを父から受け継いだ。
策謀家だったヤコブは 生まれつきの性格を聖霊から取り扱われなければならなかった。

この3人のうち、私たちが最も避けて通りたいのは誰だろう?
きっと ヤコブ だろう。
私たちは 自分の生まれつきの性格が 聖霊によって打ち砕かれることを好まない。
自分の性格が それほどまでに悪く 腐敗しており、
神の働きの妨げになっているとは 認めたくないのだ。

だが、主はクリスチャン人生のどこかで、私たちの性格を取り扱われる。
私たちが 持って生まれた性格に、絶望せねばならない時が来る。
天然の魂から来るエネルギーが もはや 私たちを生かさない時が来る。

青年は私に向かって言った、
「生まれつき活発な人がいたとしても、果たして、その活発な性格が、
本当に主に喜ばれるものなのか、分からないですよね。
生まれつき、内向的な人がいても、その性格が、
そのままで主に用いられるのかどうか、分からないですよね。
自分の性格を聖霊によって管理されなければ、
本当の意味で 私たちが神のために働ける日は来ないのでしょう」

私たちは注意しなければならない、
アブラハムの子孫すべてが神の民なのではない。
イサクの子孫すべてが神の民なのではない。

ハガルから出たイシマエルは 父の嗣業を受け継ぐことはできなかった。
長子の権を売り渡したエサウも 父の嗣業を受け継ぐことはできなかった。
これらの人々は、選ばれた者の血筋をひいてはいるが、本質的には
肉によって生まれた 神の民に敵対する 約束の子ではない者たちである。

バプテスマのヨハネが民に向かって言った言葉を思い出そう、
「まむしの子らよ! 
迫り来る神の怒りから逃れられると 誰がおまえらに教えたのか。
自分たちの先祖には、アブラハムがあるなどと、思ってもみるな。
神はこの道端の石からでも、アブラハムの子孫を起こすことができる!」

今、その言葉通りに 肉によれば アブラハムの子孫であるはずの民が退けられ、
肉によっては アブラハムの子孫たり得ない異邦人が 
信仰によって アブラハムの子孫に接木されて 約束の子とされた。

だが、注意しよう 約束の嗣業を受け継ぐためには、
私たちは アブラハム、イサク、ヤコブ全ての子孫でなければならない。

今日、とりわけクリスチャンに欠けているのは、
ヤコブの経歴、だろう。
信仰によって義とされ、従順に恵みを享受し、聖霊によって管理され、日々、自己を否む。
この最後のステップが 何と私たちには 欠けていることだろう。

私たちは ヤコブのように 御霊によって びっこにされなければならない。
天然の自己を失うことなくして クリスチャンは 決して神の望んでおられる完成に至ることはない。
願わくば 主が私たちを憐れんで 早くもものつがいに触れて下さるように。

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