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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

この山でも、エルサレムでもなく

「イエスは女に言われた、『女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである』。」(ヨハネ4:21-24)


 用事にて、何度目かの関東行きを決行して来た。夜行バスにもそろそろ慣れたので、会社によって、バスの内装や停車場所等に、色々な違いがあることが分かって来た。今回、乗車したのは、普通の観光バスを、急遽、夜行バスに仕立てたもの。遮光カーテンがないため、走行中にはトンネルの黄色い灯りがカーテン越しにちらちらと車内に差し込み、運転席の大きな窓ガラスを通して、今、どこを走っているのか、道路標識によってはっきりと確認できる。夜行バスとしては、あまり良いサービス内容とは言えないだろう。

 けれども、そのおかげで、私は初めて、関西から関東への風景の移り変わりを観察することができた。阪神高速を通じて、私が長年、住んでいた兵庫県をバスが走っていた間は、まるで身体の中に方位磁石が埋まっているかのように、すべてが懐かしく、身近に感じられた。高砂、姫路、神戸、西宮あたりを過ぎる頃は、景色から目が離せない。もう二度と会うことのない人たちも含めて、色々な人たちとの思い出が脳裏をよぎる。兵庫県は、至るところに楠の木が植えられているのが特徴の一つだろう。三宮にバスが停車すると、しばらく市街を歩いて、道路脇の地図を見ながら、懐かしい地名を確認した。新開地、元町、六甲ライナー、生田神社…。よその土地にいるという感じは全くなかった。

 それから、バスは大阪方面へ向かった。尼崎、吹田、茨木、高槻、京都を経由して、関東へと抜けていく。残念ながら、大阪名物の太陽の塔は見えなかった。京都を抜けたあたりから、私になじみのない地名が始まったので、そのあたりで私の記憶はとぎれた。
 行きは、見知った関西を離れるのに後ろ髪引かれる思いだったが、帰りは、関西に入るなり、ほっと身体がリラックスする。たとえ窓から見える高速道路の景色をぼんやり眺めているだけであっても、住み慣れた土地を走っているだけで、こんなにも人の心は安心するものなのか、と思う。やはり私は関西の住人なのだな。瀬戸内の空気を離れて、関東になじむことはできるのだろうか?

 帰宅して、眠気と、ぼんやりした意識にも関わらず、あるキリスト者に交わりの長電話をかけた。3時間くらい話したことだろう。きっと、迷惑千万な電話だったに違いない。だが、掛け値なしにキリストを第一として生きている人との交わりは、私にとって、かけがえのないひと時なのだ。それに、私は今、自分の人生に与えられている主の不思議な導きについて、とにかく誰かに語らずにいられない…。

 本当に、神を誉めたたえることには限りがない。主の御業の不思議について語りだせば、どれほど時間があっても足りない。主と共に歩むことの幸せを語り始めると、どれだけ日数があってもきっと足りない。イエスの歩まれた道を歩むことの喜び、その新鮮な驚きと、尽きせぬ不思議さ、そのとてつもない特権について話し出すならば、いつまでも、終りは来ないだろう…。

 ところで、これはあくまで私の予想に過ぎないので、異論がある人たちには、あまり怒らないでいただきたいのだが、私は、エクレシアがキリストの真の花嫁として姿を現す際には、人間の作った礼拝制度や枠組みは、崩壊するのではないかと思う。その、壊れなければならない枠組みの最たるものが、日曜礼拝ではないだろうか。

 日曜日に礼拝をすることそのものに異議を唱えたいわけではない。けれども、日本全国の教会の日曜礼拝に、まるでパッケージのように、一そろいに揃っているあのケア・キットは何なのだろうか。一連のワーシップ・ソングに、司会、祈り、リーダーによるメッセージ、献金、交わり、と言ったような、典型的な礼拝の型。それはこの先、主の御業を自由に表すよりも、むしろ御霊の自由を阻害する人工的な要因として、取り壊されずに置かないのではないだろうか? そもそも、限定的な時空間に、限定された人々が呼び集められてやって来て、そこでパターン化された行動を行い、誰か一人が自分の知識と経験に基づいて、神についてのメッセージを語り、他の全員がそれに耳を傾ける…、そんなことの大まかな繰り返しによって、神が礼拝されるという形式は、この先、人工的に過ぎるものとして、長くは持ちこたえられず、まことの礼拝が現れるに連れて、廃れていくのではないのではないだろうか…?

 「あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」、と、イエスは言われた。なのに、今日の教会、チャーチ、チャペルといった名のつくところでは全て、この山、あの山に人を集めて礼拝させる形式を用いているではないか? そのような形式は、本来、御子イエスによって終わっており、神への礼拝は、一人ひとりのクリスチャンが神殿となることにより、可動式のものになっているはずである。それに加えて、日曜礼拝という、安息日に限っての特別な礼拝を過剰なほどに重んじる考え方は、イエス時代に、ユダヤ人にあれほどまでも頑なに安息日を守らせようとしていた律法学者、祭司たちの考え方にそっくりではないか?

 イエスは言われた、御父が求めておられるのは、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって神を礼拝することなのだと。問われているのは、形式ではなく、内容である。真の礼拝は、すでに使徒たちの時代から、エクレシアなるクリスチャンのうちに日々、成就し、行われて来たはずである。しかし、どういうわけか、それは今日、教会という限定された場所での、限定された礼拝制度の中に閉じ込められて、可動性を失ってしまった。さらにそれに加えて、各種の集会、セミナー、勉強会、祈祷会、宣教の訓練、などの一連のプログラムが続き、礼拝をシステマチックで固定的なものにしようとの圧力には終りがなくなっている。それら一連の人工的な枠組み(付属物?)が取り払われる時にこそ、真実、全能主にふさわしい、可変可動の、時空間に限定されない、御霊による自由な礼拝が導かれるのではないだろうか…。

 だが、その解放は、決して、誰か特定の人間のリーダーシップに基づく、上からの「礼拝改革案」としてやっては来ないだろう。まことの礼拝は、荘厳で立派な礼拝堂や、こぎれいなチャペルから始まるのではなく、御子イエスの誕生がそうであったように、取るに足りない、発見するのも難しいような、みすぼらしく、人里離れた小さな村の家々や、名もない人々の、ひっそりした集まりから、始まるのではないだろうか。ちょうど、キリストがお住まいになるには、私たちという幕屋が、みすぼらしすぎるように、神の栄光は、この地上にあっては、いつも土の器の中に隠されながら、現されるものだ、そこで、エクレシアにおけるまことの礼拝も、取るに足りない容れ物の中で、ただ主によって、芽吹き、見事に花咲かせていくのではないだろうか…。

 そんなことを、帰りのバスの中で思い巡らしていた。
 私はこの一年間、ほとんど賛美歌を歌うこともなく、声に出して祈ることもなく、定期的に誰か特定のリーダーのメッセージを聴くわけでもなく、どこの団体の日曜礼拝にもほとんど顔を出さずに、信徒との合同の礼拝を抜きにして、過ごしてきた。だが、ふりかえってみると、その全く枠組みというものがない中にも、極めて充実した主とのひと時があった。私はありとあらゆる方法を用いて、主を求め、祈り、それに、主は確かに応じて、私のもとを訪れて下さり、私の祈りを聞いて下さり、私と共にいて下さり、御心を示して下さった。

 この期間がなければ、私は一対一で、主と向き合い、個人的に主を知るということはきっとなかっただろう。

 そういうわけで、今や私にとって、礼拝とは、何か特別な一定の時間帯を指すものではなくなっているし、礼拝形式へのこだわりもなくなった。形式など、何であろうと、あるいは、なくても、少しも構わない。眠っている時間を除いて、あらゆる時間が、キリストへの思いでいっぱいに満たされているのが、キリスト者の最も理想的で、解放された、自然な姿なのではないかと思う。

 2年後くらいになって、「あなたのあの頃の熱心は、一体、どこへ消えたのですか?」と、人から聞かれるようではありたくない。この道を離れたくない。イエスに従うことの喜びと不思議を、この先、ますます深く味わっていける者でありたい。

  「主の教えを喜びとし
  昼も夜も その教えを口ずさむ
  その人は 水路のそばに 
  植わった木のようだ
  時が来ると 実がなり
  その葉は 枯れない
  その人は 何をしても 栄える…」

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