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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

闇はこれに勝たなかった!!

 エクレシアの結びつき、一致は、特別なものだ。それは人の短い生涯を越えて、永遠に至る結びつきだからだ。だから、そういう人たち(エクレシアを持っている人たち)と接触していると、初めはそうと気づかないのだが、次第に分かってくる、彼らが私にとって、本当に、特別な意味を持つ人たちであるということが。

 かつてある場所を訪れた際には、私はまだ安息していなかった。目に見える世界の出来事に、あまりにも気を取られ過ぎていたからだ。しかし、今は待ち遠しい、冬になって、ペチカの火を囲んでその場所で過ごす時間が。その時、誰がそこに連なっているのか知らないが、誰であろうと、きっと、私たちは静かに、永遠に、ただ主だけを思いながら、神を誉めたたえるだろう。今度こそ、人生相談をするためではなく、ただ主を誉めたたえるためだけに、そこに集うだろう。

 エクレシアを思う気持ちは、仲間を恋しく思う気持とは、異なっている。共に神を誉めたたえたいという思いが何にもまして、出発点となって、人々が集まるからだ。私たちが一同に集まる時、私たちの内側から、賛美が爆発的なパワーとなって溢れ出すだろう。ちょうど合唱隊員が集まると、合唱が始まらないではおかないのと同じだ。隊員にとっては、忘我の境地で、歌の真っ只中に身を浸すことが、本分である。

 主を賛美することは、私たちの本分である。だから、その瞬間が、待ち遠しくてならない。
 私自身の存在や、願いなどもはやどうでもよく思われる。主との一致の中にとどまり、そこでただ主を賛美したい、それが願いの全てとなる。私の内におられるキリストが、多分、誰よりも、その時間を待ち望んでおられるだろうという気がする。その瞬間のためにこそ、私は生かされていると言って過言ではない。

 私自身にとっても、その一致は、焦がれるほど待ち望む、歓喜に満ちたものであるのだが、この先、私の生活がどれほど忙しいものになろうとも、神ご自身が、その至福のひと時を絶対に、用意せずに置かないという気がする。何しろ、誰よりも、主ご自身が、その時を待ち望んでおられるのだ。二、三人の聖徒たちが集まって、心を合わせて、主を誉めたたえ、主を賛美するその時を。

 私には分かるような気がする、主がご自分への妙なる捧げ物であるこの甘美なひと時を、絶対に、自ら手放されるはずがないと。神ご自身が、ご自分の栄光のために、神を誉めたたえる聖徒たちを起こされたのだ。もし仮に私がその本分を果さないならば、他の人たちがその偉大な任務に召し出されていくだろう。
 主が定められたエクレシアは、何があっても、衰退しない。それは必ず成就する不変の御旨である。

 だから、たとえ束の間、私たちが暗闇や孤独の中を通されることがあったとしても、ばらばらになるように見えることがあったとしても、主との一つの結びつきは、ぐらついたり、消滅したりすることなく、時を経て、なお一層、輝きを増し、強められて姿を現すであろう。

 我が神よ、私たちのエクレシアは、今、本当に、しみもしわもない花嫁にまで整えられようとしているのですね。あなたご自身が、その花嫁の聖なる美しさをご覧になって、畏怖の念さえ抱くほどまでに、私たちはあなたの前に清められ、整えられ、あなたにふさわしい聖なるパートナーとして、建て上げられようとしているのですね。それを全て、私たち側からの努力でなく、あなたご自身の力で、成し遂げようとなさっておられるのですね。

 あなたにふさわしい、聖なるパートナー、誰がその意味を真実、理解できるでしょうか。どうして塵に過ぎない私たちがそんな大それた聖なる召しに耐えられるでしょうか。けれど、主よ、あなたがなさるのです、あなた以外には誰もそんなことは成し得ません、あなたがそれをなさろうとしておられるのです、ご自分の栄光のために!

 栄光は限りなく主のもの。私たちが努力によって成し得ることなど、何一つありません。私たちはただ自分を差し出し、あなたが働いて下さるに任せるだけなのです。

 何という時代に私は生きているのでしょうか。この世の闇の暗さ、深さと、そこに星のように輝く光のコントラスト。光は、やがてまぶしいほどに輝き出て、ついには、闇を覆い、闇を葬るでしょう。
 闇はこれに勝たなかった!!(ヨハネ1:5)

 エクレシアに婚礼の鐘が鳴り響く瞬間が近づいています。どんな悪魔の業も、神と聖徒たちとが愛によって結ばれるその一致を妨げることはできません。岩盤のような固い壁を突き破って、生ける水がエクレシアからほとばしり出、怒涛のように溢れ出すことでしょう。その時のために、心のすべてをささげ尽くして、主なる神を愛する聖徒たちが、今、全地に起こされようとしているのです…。

 動脈硬化などもう沢山です。キリストの御身体にどうしてそんなものがあって良いでしょう。詰まった血管は、奔流のように流れ来る生ける水によって押し流され、通り良き管へと変えられるでしょう。
 貧困や、病や、欠乏や、抑圧、難行苦行はもう沢山です。どうしてそれらの欠乏が、あなたの栄光の証となりましょう?

 サタンの虜にされている聖徒たちを、今、あなたの力によって、解放してください。そして、私たちがあらゆる恐れとためらい、嘆きや涙を捨てて、あなたの偉大な解放の御業を、心から誉めたたえられるようにして下さい。
 これまで、いわれなく、苦しめられ、獄屋に閉じ込められてきた聖徒たちの叫びをかえりみて、どうか速やかに彼らを解放して下さい。兄弟姉妹たちが獄屋に閉じ込められているままで、どうしてあなたの栄光をあまねく全地に告げ知らせることができるでしょうか。

 私たちはいつまでも互いの欠乏を補い合い、互いに傷をなめあい、互いに依存し合い、同情し合うためだけに召し出されたのではありません。何よりも、あなたの栄光を誉めたたえ、あなたの憐れみ深さ、いつくしみ深さを世に証していくことが私たちの任務であります。しかし、そのために、まず、私たち自身が、あなたの十字架、御座にいますキリストから流れ出るまことの命の豊かさ、健やかさを、隅々まで体験する必要があるのです。

 私たちがこれまでどうやっても打ち破ることのできなかった束縛の枷を、今、あなたの十字架の御力によって、打ち砕いて下さい。あなたの恵みが人知をはるかに越えた素晴らしいものであることを、私たちが隅々まで味わうことによって、これまでとらわれてきたちっぽけな知識の枠組みから完全に解放されるようにして下さい!

 御身体はあらゆる人情を廃して、ただあなたの御力によって、一つとされるでしょう。しみやしわは消えうせ、壊死した細胞は丹念に取り除かれ、悲しみの涙は最後の一滴まで拭われて、若返りの命が、エクレシアなる御身体全体から、川のように、芳香のようにあふれ出るでしょう。御霊の命の息吹が、キリストの香りとして、キリスト者全員の内側から立ち上るでしょう。それをなさるのは、あなたなのです!

 主よ、今、あなたの御身体を名乗っているものの中には、全くそうでないものが混じっています。200歳ほどに年を取った、つぎはぎだらけの醜い怪物、何度、手術されても再生の見込みのない、腐臭漂うミイラは、その老化と衰えと貧しさゆえに、甚だしく倒れ、息絶えることでしょう。それで良いのです。どうして、そんなものがあなたの花嫁を名乗って良いでしょうか。死すべきものは、ますます衰退し、滅びへと向かい、聖なる十字架によって額に刻印を帯びた、まことの命を持つ者だけが、真の豊かさ、健康さを帯びて、全能なる神の永遠の誉れにふさわしく、喜びと賛美を持って御前に立ち、また、世にあなたを証するのです。

 私たちはそのような者として召し出されていることを確信し、あなたの十字架の解放の御業を感謝して、誉めたたえます!!

 主よ、この偉大な御業の立会人とされている恵みの大きさに、私は言葉も失いそうです。私は死すべき汚れた罪人の一人であるのに、どうしてこんな恵みがあり得たのでしょうか。しかし、それをなさったのも、やはり、あなたであるのです。主よ、あなたが一方的に私を憐れまれ、死体の山の中から私を掘り起こされ、死刑宣告された罪人に過ぎない私に、十字架上で、罪の赦しと、復活の命を与えられたのです。だから、私は生きることができるのです、あなたの力によって、あなたのために!

 この願いを私の心に植えられたのは主でありますから、ためらうことなく、心よりお願いします、どうか私を永遠にあなたと共におらせて下さい、いつまでも、あなたの一致の中にどまらせて下さい、兄弟姉妹と共に、貴い御身体の一部として下さい、そして人知をはるかに越えた、あなたの永遠なる御業の完成に、可能な限り、あずからせて下さい、あなたの聖なる御業は始まったばかりなのです。

 

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