忍者ブログ

私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

イザヤ書49章

この世に対して死んでしまうと、この世の財産の回復や、傷つけられた名誉の回復に対して、何の関心もなくなる。主が一つのものを取り去られる時は、もっと良いものを私たちに下さろうとしている時であると、かけ値なしに信じられるようになるため、自分で自分を回復しようとする一切の試みに関心がなくなっていく。

 私がこれから言うことは、きっと、極端に聞こえるだろうことは承知である。たとえあなたがカルト化教会で全財産、失ったとしても、悲しむには及ばない。ヨブのように息子達を一挙に失ったとしてさえ、悲しむには及ばない。今、仮にあなたがやもめであろうと、みなし子であろうと、産まず女であろうと、盲目であろうと、障害者であろうと、無一文であろうと、宿無しであろうと、何一つ、憂う理由にはならないのだ。それは、あなたが主イエス・キリストを信じて従っているならば、あなたを通して、神がご自身の栄光を現されようとするそのご計画は永遠に不変だからであり、その計画は必ず成就し、あなたは栄えるからである。

 そんなわけで、私は生い立ちや家庭について悲しむことを全く忘れてしまった。この世で不当に奪われ、失われた価値のために涙し、嘆くことを禁じられてしまったような有様だ。だから、世の中のどんな幸せなニュースを聞いたとて、何一つ、羨ましく思うこともなく、心が痛むこともなく、ただ穏やかな笑顔で祝福を祈り、主はこの私には何をなして下さるのだろうかと期待に胸を膨らませるのみである。
 主のご計画の観点から物事を見るならば、一つのものが失われることは、新しいものの始まりであり、神のさらなる栄光が現されるきっかけである。そのことを確信を持って理解できたので、私は失われたものを嘆かないどころか、手ぶらになったことが、かえって嬉しい。空になった壺を、新しい油で主が満たしてくださると信じているからである。

 このような考えは、私の力では持ち得ないものである。これほどまでに多くを失って、未来に希望が見えているわけでもないのに、なお喜んでいる人間がいたとしたら、馬鹿か、あるいは、気が狂っていると世間では思われるだけであろう。気が狂っていると思われようとも、私は少しも構わない。主が確かに私を変えられたことを信じるからである。これが、私の知性にも、感情にも及ばないことであるのが、誰の目にも明白であるので、かえって、そこに主の栄光が現されることを喜んでいる。

 さて、勝手ながら、以下の御言葉を私のために引用させていただきたい。

しかし、シオンは言った、
「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた」と。
「女がその乳のみ子を忘れて、
その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。
たとい彼らが忘れるようなことがあっても、
わたしは、あなたを忘れることはない。


見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。
あなたの石がきは常にわが前にある。
あなたを建てる者は、あなたをこわす者を追い越し、
あなたを荒らした者は、あなたから出て行く。

あなたの目をあげて見まわせ。
彼らは皆集まって、あなたのもとに来る。
主は言われる、わたしは生きている、
あなたは彼らを皆、飾りとして身につけ、
花嫁の帯のようにこれを結ぶ。

あなたの荒れ、かつすたれた所、こわされた地は、
住む人の多いために狭くなり、
あなたを、のみつくした者は、はるかに離れ去る。
あなたが子を失った後に生れた子らは、
なおあなたの耳に言う、
『この所はわたしに狭すぎる、
わたしのために住むべき所を得させよ』と。

その時あなたは心のうちに言う、
『だれがわたしのためにこれらの者を産んだのか。
わたしは子を失って、子をもたない。
わたしは捕われ、かつ追いやられた。
だれがこれらの者を育てたのか。
見よ、わたしはひとり残された。
これらの者はどこから来たのか』と」。

主なる神はこう言われる、
「見よ、わたしは手をもろもろの国にむかってあげ、
旗をもろもろの民にむかって立てる。
彼らはそのふところにあなたの子らを携え、
その肩にあなたの娘たちを載せて来る。

もろもろの王は、あなたの養父となり、
その王妃たちは、あなたの乳母となり、
彼らはその顔を地につけて、あなたにひれ伏し、
あなたの足のちりをなめる。
こうして、あなたはわたしが主であることを知る。
わたしを待ち望む者は恥をこうむることがない」。

勇士が奪った獲物を
どうして取り返すことができようか。
暴君がかすめた捕虜を
どうして救い出すことができようか。

しかし主はこう言われる、
勇士がかすめた捕虜も取り返され、
暴君が奪った獲物も救い出される。
わたしはあなたと争う者と争い、
あなたの子らを救うからである。

わたしはあなたをしえたげる者にその肉を食わせ、
その血を新しい酒のように飲ませて酔わせる。
こうして、すべての人はわたしが主であって、
あなたの救主、またあなたのあがない主、
ヤコブの全能者であることを知るようになる
」。

 主はご自身の栄光をあまねく全地に知らせるために、ご自分に忠実な民の全ての損失を回復されると言われる。そこでは、失われたものは何一つ忘れられることはない。(裁判などが何になろう。)私たちを生かす方は、ただお一人である。私たちのために、闘って、報復される方は、ただお一人である。私たちの救い主、あがない主、全能主はただお一人である。私はもはや自分のためにいかなる報復も求めない。しかし、このお方は、ご自分が生きて、今日も働いておられ、全能であることを示すために、私たちの人生を用いられる。この方により頼むなら、私たちは決して恥を見ることはない。
 私たちを通して、神はご自身が今日も生きておられることの証とし、ご自分の栄光を現されようとしておられる。そのご計画は永遠である。主の御名は誉むべきかな。
PR