忍者ブログ

私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

主は我が家に奇跡を起こされた!!

 あまりに信じがたいことゆえ、私自身がしばらく呆然としていたため、読者への報告が遅れてしまったことをお詫びしたい。
 本日午後、主は私のために奇跡を起こされた。そのことについて説明したい。

 数日前、私は、この岡山の土地をエクソダスすべきかどうかについて、あるキリスト者に相談を持ちかけた。その際、その方は言われた、「これ以上、あなたはそこにいるべきではないと思いますよ。二度と実家へは戻らず、二度と肉親には頼らない覚悟を決めて、ただ自分一人だけの力で、そこを出られた方がいいんじゃないですか。」
 その会話は、この地をエクソダスすることが、事実上、肉親と生き別れになることであると私に感じさせた。

 ソドム化した場所にこれ以上いるべきでないという実感を、私もその時、持っていたとはいえ、正直、その言葉を聞いて、私はひるんだ。私はこれまでにも何度か、家を出たことがあるが、いずれの回にも、完全な自立を果たすことはできなかった。その経験に立つと、家族に対する不満や恨みなど、各種の不健全な心理を引きずったまま家を出ても、それはかえって人生を害するだけではないかとの懸念があった。それに、祖父母はもう80代になっている。もし今、こじれた形で彼らと別れれば、それがきっと最後になってしまうだろう。
 さらに、またもや、私は天涯孤独の身にならねばならないのかと思うと気が重かった。どこにも頼るべき人がいない、みなし子のような生活がどんなものかは経験済みである。不慮の事故が起こっても、助けを求める人がおらず、どんな非常事態にも対応する余裕を持たない、常に崖っぷちを歩くような人生を送ることが、どれほどの疲労をもたらすか私は知っている。疲れても、骨休めできる場所はなく、経済的に困っても、助けを求められる場所はなく、年末年始になっても、帰る場所がなく、病気になっても、看病してくれる人はいない。どんな時にも、頼るべきはいつもただ自分一人しかいないという生活に、再び、耐えなけなければならないのか…。

 カルト化教会での事件を通して、孤立無援の状況が、どれほど人にとって危険となり、人の判断を狂わせるものであるか、私は身を持って思い知らされた。何よりも怖いのは、心細さのあまり、物事の判断が狂ってしまうことだ。頼るべきでない人を頼り、信用してはならない人を信用し、騙されてしまうことなのだ…。一度そのようなことを経験しているだけに、二度と孤立無援の状態に身を置きたくなかった。とはいえ、現状も、孤立無援とそう大差なく、このまま暮らし続けることが不可能であることは目に見えていた…。

 先日の流血事件があった際、家人は敵意に満ちて私に言った、「今度の定休日にこの話の決着をつけようじゃないか」と。その話とは、私がいつ家を出て行くのかということであった。不和と憎しみが高じ、いよいよ追い出される時が近づいているのだ…。

 その定休日が今日であった。
 きちんとエクソダスするためには、家人との話し合いを避けて通れないとはいえ、それを望む気持ちは私にはなかった。我が家で穏やかな話し合いが成立したことは、これまで歴史上、一度もない。しかも、流血事件以来、家人の誰も、私と口を利こうとせず、彼らが私に対して理不尽な憤りを抱いているのは明白であった。私に怪我を負わせたにも関わらず、彼らには何の罪の意識もないどころか、そのことでさらに私を恨んでいるようにしか見えない。私は家の中で、隠れるようにして暮らし、食事も家の外で取っていた。
 こんな状態で、家人と話し合って、どんな良い成果が生まれよう? これ以上、流血沙汰も、裁き合いも、泥仕合もこりごりだ。頭蓋を幾度も地面に打ちつけられた時の記憶は忘れられない。それはまだかなり手加減の入った弱い攻撃であったとはいえ、そのような行為が、殺意から来るものであることは明らかであった。これはエスカレートして、必ずや、殺人へと結びつくだろうというはっきりとした予感があった。私は殺されるだろう。いや、私でなくとも、きっと誰かが殺されるだろう。だから、私はその決定的瞬間が延ばされるために、家人が話し合いのことを忘れてくれるように願った。

 昼が来るまで、私は壊れた電子ピアノをパイプオルガンの音に設定して、聖歌を立て続けに弾いていた。家では食事ができないので、朝から何も食べていない。空腹だ。しかし、話し合いのことが気になって、食べるどころではない。私自身の心を鎮めるために、また、賛美歌の懐かしいメロディを聞いて、せめて家人が少しは心を和らげてくれないかとのむなしい期待をこめて、ありったけの聖歌を弾いてみる。だが、私が悠長に音楽に携わっていることが、余計に両親を苛立たせたらしい。

 私が手を止めた時、階下から呼ぶ声があった。話し合いに出て来いという、憤りに満ちた両親の声。聞けば、隣家の祖父母も加わって、5人で話の決着を着けようとの結論に彼らは勝手に至り着いていた。一体なぜ、祖父母が呼ばれる必要があるのか? 私には何の断りもなく、両親によって、勝手に決められた不可解な話の展開に、私は半ば恐れを感じた。

 幼い日から、我が家での「話し合い」とは、吊るし上げの別称でしかなかった。それは家族の成員それぞれの意見を尊重した穏やかな話し合いのことではなく、要するに公開裁判のようなものであり、特定の誰かが悪者とされ、残り全員から非難されるためだけに設けられる見せしめの場であった。だから、今回、5人で話し合いをしようとの強硬な提案がなされた裏には、4人がかりで、私を標的に吊るし上げようとする狙いが隠されていることは明らかだった。

「どうして話し合いに5人も必要なの? 皆で寄ってたかって、弱い一人を非難するつもりなら、そんなものに参加するつもりはないよ」と私。
「今後のあんたの身の振り方を皆に考えてもらうために、全員が必要なんだよ。それに、誰が正しいことを言っているのか、冷静に判断するために、第三者の立会いがどうしても必要だって、以前、あんたが言ったんじゃないか。自分であれほど言っておきながら、都合が悪くなったら、今更、逃げるつもりなのか」と父。 
 一体、どう考えれば、祖父母が冷静な第三者に該当するのだろうか。それに、私が話し合いから「逃げる」とは、どこからそんな発想が生まれて来るのか。これまでにも、祖父母は話に加わったことはあったが、中立的な立場ではなく、いつも事なかれ主義によって、両親の横暴を見逃し、事実を隠蔽する側に回っていた。祖父母は私の味方には決してならなかった。そこで彼らは、今回も、私の味方にはならないだろうし、たとえ私が怪我の理由を正直に述べたところで、きっと信じないだろう。だから、今回、祖父母が話に加われば、私の立場はより不利になり、4人の敵によって、私はかわるがわる攻撃され、ざんげを要求されることになるのは目に見えていた。

 さらに、もしも再度、暴力的な事件が勃発したと仮定して、祖父母は私を助ける側に回ってくれるだろうか? 否。彼らは両親を止める力を持っていない。そして、そのようなことがもしあれば、彼らはほとんど何もせずにおいて、事が終わった後で、4人全員で、被害者の口を塞ぎ、都合の悪い事件は、全てなかったことにして闇に葬り去ろうとするだろう。4人の中に、誰も私の味方はいないのだ。私は当然のごとく、祖父母の話し合いへの参加に反対したが、両親は私の反対を一切受け付けなかった。

 そこで、私は絶望的な気持ちで提案した。
「あなたたちがどうしてもそんなに大勢で話し合いたいと言うなら、それは承知するから、代わりに、私の希望も聞いて。私は外で話したい、世間の人々のいる前で話したいの。とにかく家ではないところでなければ、話し合いに応じられない。ファミレスとか、人のいるところなら、行っても構わないよ」と私。
「どうしてそんな遠くまでわざわざ行かなくくちゃならないんだ、どうして家では駄目なんだ、おばあちゃんも具合が良くないっていうのに、出かけろというのか」と、父が苛立たしげに難癖をつける。
「私がこんな怪我を負わされた以上、世間の見ていないところで話をすることに、私が身の危険を感じるのは当然でしょう?」と、私は言い返す。
 私の顔面の怪我は、見知らぬ人が見ても、不審に思うようなものだ。ものを食べるにも痛みが伴う。
「何を馬鹿馬鹿しいことを言ってるんだ、すべては自分が悪いからそうなったんだろう、あんたさえまともな態度を取っていたら、話し合いがこじれるなんてことはないんだ、何が身の危険だ、馬鹿らしい。自分が穏やかな態度を取らなかったせいで起こったことに何の反省もなく、未だにそんな大仰なことを言い立ててるのか」
「ちょっと、自分が何をしたか分かってるの? 警察へ行けば、私の怪我は立派に人身傷害になると思うよ?」

 両親は私の台詞を聞いて芝居じみた声で高らかに笑った。
「なーにが人身傷害? あほらしい。その怪我はあんたが勝手に転んで、勝手に自分で負ったんじゃないか!」
「そうよ、あんたが自分で勝手に飛び出してきて、自分でそうなったんじゃない」
 父母が二人とも口をそろえてそう言ったので、私は心底、ぞっとした。

 つい先日、あれほどまでに明確な形で三人の前で起こった事件を、もうすでに、両親は自分に都合よく歪曲しているのだ。ここから推して知るべしだ、たとえ今日、家人の暴力によって私が殺されようとも、彼らはそれを自分の罪だとは決して認めないだろう。そして、全ては私の罪に転嫁されてしまうのだ。こんな危険な人たちと、どうして密室の中で、何時間も向き合って話し合ったりできるだろうか。いや、絶対に、彼らと密室に閉じこもってはいけない。私の身の安全が確保される場所でなければ、彼らとの話し合いに応じてはならない。絶対に、公の場所でなければ駄目だ。私の脳裏には、誰も見ていないところで、両親と祖父母と4人がかりで、私の死体がどこかへ片付けられる場面が思い浮かんだ。

 両親は話し合いを主張して譲らなかったし、エクソダスを成し遂げるために、私はそれに応じないわけにいかなかった。そこで私は、祖父母の参加を承諾することと引き換えに、話し合いの場をファミレスとすることを交換条件として強硬に主張した。両親はついに折れた。そして不機嫌極まりない口調でそれに同意し、ぐずぐずせずにさっさと家を出るようにと私を促した。

 私は両親と祖父母の車には乗らず、彼らより一足先にバイクでファミレスへと走った。ファミレスの中であれば、誰も私に暴力を振るうことはできない。それに、バイクがあれば、いつでも危険な話し合いから自分の判断で逃げ出すことができる。そう自分に言い聞かせて、何とか心を落ち着けようとしたが、涙が勝手に流れて来る。一体、敵対的な4人を相手に、どうやって、私一人だけで自分の身をかばうことができるのか。こんなのはあんまりだ。一体、これから、どんな非難の言葉を投げつけられることになるのか、考えただけでも恐ろしかった。先日の流血事件も、私に全責任があるとして、謝罪を求められることになるだろうし(私の側に挑発的な言動がなかったとは言えない)、そして、私がこの地に帰って来たこと自体が、皆にとっての迷惑であったと言われるだろうし、家に滞在を許してやったことでも、さんざん恩に着せられ、挙句の果ては、皆の迷惑だから、明日にでも出て行って欲しいと言われるのが落ちだろう、その後で、延々と、私の過去の言動についての断罪が続き、ここ一年間に起こった思いつく限りの事件について、私の落ち度があげつらわれ、一方的に謝罪を求められることになるだろう…。その儀式が一通り済んでからでなければ、私には自分の事情や弁解を持ち出すことも許されないだろう…。

 これから何が起こるのか、あまりに恐ろしかったので、私は思いつく限りのキリスト者の名を呼んで、祈りの支援を求めながら、主イエス・キリストに祈った、主よ、この話し合いにあなたが臨在して下さい、あなたの明確な介在と、明確な奇跡を私は求めます…。

 ファミレスはランチタイムで大混雑であった。もしかすると、駐車場も、客席も空いていないかも知れない。そうなると、両親は待ち時間を惜しんで、やっぱりここで話し合うのはやめて、家で話そうと言い出すかも知れない。そんなことになると困る。私は主に祈った、どうか私たちの席を空けて下さい。そして、待ちきれない思いで席が空くのを待った。どんなことがあっても、私はここで話し合いを完了しないうちに家に戻ったりしない、そう決意を新たにした。

 両親と祖父母が店に到着した。思ったよりも、彼らの間での意思疎通ができていない様子を見て、私はほっとする。祖父母は何のために自分たちが呼ばれて来たのか、あまりよく分かっていないようだった。祖父母は普段通りの態度で、私に対する敵意は表立っては見られない。両親は祖父母の手前、よそいきの笑顔を作っている。これは良い前兆だと私は思う。機嫌の良い祖父母の前で、私に悪口雑言を思い切り投げつけることは、さすがに両親にはできないだろう。そこで、私も可能な限り、さりげなく自然に笑顔でふるまう。そうすることで、険悪な雰囲気を少しでも遠ざけることができるようにと願いながら…。

 さらに、到着する前から考えていた苦肉の策として、私は席に着くなり、昼ごはんを注文すると宣言した。朝ごはんも食べていないのだから、そのくらいのわがままは許されるだろうが、とにかく、時間をかけて食事を取ることに専念することにした。食べることに集中しているように見せかけることによって、会話の濃度を薄め、両親の攻撃意欲をそぎ、その場の雰囲気が険悪化することを防ぐのだ。場合によっては、食べられようと、食べられるまいと、無限にメニューを注文し続け、話に身が入らないふりをしよう、そんなことさえ考えた。
 
 全員がメニューを注文し終わった。誰も何も言わないが、明らかに、両親が極めて不機嫌であることが私に伝わって来る。母はこわばった表情であり、父も言葉少なげだ。いつ本題を切り出して、私を非難しようかと待ちかねているのが手に取るように分かる。だが、彼らはまだきっかけをつかめないでおり、祖父母の雑談に気前よく応じているようなふりをしている。ああ、このまま、話の糸口がつかめないまま、雑談のうちに話し合いが終わってくれれば…。

 私は祖父と二、三言、何気ない会話を交わし、それから、一体、この先、会話をどう運ぶべきか、どうやって本題が切り出されるのを阻止すべかを思い巡らそうとした。その時だった。明確に主が私の内で語られたのだ。
あなたがやってはいけない。私がやるのだ」と。

 私は心の中で応じた、はい、分かりました、私は何もしません、主よ、あなたが語って下さい、と。
 それから、奇跡が起こった。

 私たち5人のうち、2人は無宗教、1人は生長の家の信者、1人は似非キリスト者(エージェント・クリスチャン)、私と信仰を共有している人はその場に一人もいなかった。つまり、私を除いて、真のキリスト者は一人もおらず、価値観を共有できるはずもない人々が共に集まっていた。そして程度の差こそあれ、全員が、心の中では、私に対する積年のわだかまりや、憎しみ、不満を抱えていたのである。

 ところが、それにも関わらず、5人全員の口を借りて、主は語られたのである。

 そんなことがどうして起こり得たのか、不思議に思われる方もいるだろう。私にも分からない。だが、神にはできるのだ、神を未だ信じてもいない人たちに働きかけて、御霊によって、真実を語らせることが。

 私は自ら話し出した。まず、この一年間に、外から見れば、全く何も変化がないように見える私の生活に、実際には、どんなに大きな新しい展望が開けたかを。どれほど多くの貴重な友人が、それも私にはもったいないような優れた友人(本当は主にあっての兄弟姉妹なのだが、家人の前では友人と言わざるを得ない)が与えられたことだろう。彼らの存在がどれほど私にとって励ましとなり、勇気を与えてくれただろうか。彼らの生き様が、どれほど私にとって人生の指針となっただろうか。
 私は彼らのおかげで、もうほとんど立ち直ったと言える、だから、私はできるならば、近いうちに、知り合いの多く住んでいる関東に移住したいと思っているのだ、私はそう打ち明けた。関西のことは、これまでに住んでみた経験から、ある程度分かっているが、関東のことはまだ何も知らない。できるならば、私の見知った人々がいる関東に、私も行ってみたいのだ…。

 それを聞いているうちに、父がついに本題を切り出した。しかしその話し口調は、私には驚くべきものだった。
 話の最初から、父は私の傷ついた感情への配慮を示していた。父は語った、私が岡山に戻ってきた当初、祖父母が快く私を受け入れず、私をたらいまわしにしたこと、その結果として、私は望んでいなかった父の元に滞在するはめになったこと、初めから、この滞在が私にとって印象悪い始まり方をしたこと、それから一年間、意志の不疎通が重なりに重なったこと、父自身も、仕事に追われるだけで、私にとどまらず、他の人々の感情に、全く配慮せず、それを後回しにしてきたこと、それゆえ、私にとっては、人間関係が常に不本意な形で進んできたこと、それは決して、誰もが願うような形ではなかったこと…、

 そうして、父はここ約一年間の人間関係についての総反省を述べた上で、それでも、一年間の休養期間を終えて、私は人生の次なるステージに移った方が良い、岡山を離れた方が良いと思うということを言った、そして次に、驚くべきことを提案したのである。

「ヴィオロンが新しい人生を始めるに当たって、過去の負債があるのは良くない。何一つ負債のない状態で、新しい人生のスタートを切って欲しいと私は思う。そこで、今、毎月少しずつ返済している奨学金を、私たちが一括で返済してあげたいと思うが、どうだろう?」

 私は耳を疑った。そんな深い思いやりに満ちた提案が父からなされたこと自体が、全く意外だっただけではない。私の奨学金の返済額の総額を、彼はあまりにも軽く見積もっているのではないか。それがどんな金額か、本当に知っているのだろうか? 一括返済など無茶なことを…。そんな金額が我が家にあろうはずがないではないか。
 しかし、父はあくまで一括返済ということを提案した。私は冗談のように笑いながら言った。

「それはほんとにありがたい提案ではあるけど、まさか親にそこまでやってもらうわけにはいかないでしょう。それに、知ってる? 私の奨学金は、私が死んだら、返済義務もなくなるものなの。生きているうちだけ返済すればいいんだよ。私だってこの先、いつまで生きているか分からないでしょう。それなのに、初めから一括返済なんてもったいないことはしなくていいよ、生きている間、自分で地道に少しずつ返して行けばいいと私は思っているから」
 するとそれを祖母がさえぎってぴしゃりと言った、
「そんなずるい考えは駄目!」

 正直、この祖母の言葉に私はとても驚かされた。一体、祖母が今まで、私の奨学金返済の話題に真面目に関心を寄せたことなど、一度でもあっただろうか。これはどういう風の吹き回しなのか。だが、祖母は、借りたものは全部返さなければならない、今がそのチャンスだから、父の提案を快く受けなさいと、その言葉を通して、私に示したのだ。

 それから、話題はいかにして私が人生の再スタートを快調に切るか、ということになり、両親と祖父母はそれなりの支援をするつもりであるから、私は素直にそれを受けて、彼らと縁を切ることなく、穏やかにこの土地を離れ、過去ではなく、今後のことだけに目を向けて、自分の幸せを模索して生きなさいという結論になった。彼らは、私が幸せになることを願っているのであり、これ以上、彼らの事情にとらわれて、余計なことに気を遣って人生を無駄にしてほしくないと幾度も強調した。いくつかのお説教めいた発言もあったが、それは決して、私の意志を踏みにじって、一方的に私を断罪するようなものではなかった。

 すべては信じられない展開であった。そこには全く期待もしていなかった誠意が感じられた。私もいくつか発言したが、それも極めて良好な文脈であった。そして、父は円満に話をしめくくり、極めつけとして、ファミレスを去り際に、私の怪我について配慮を示し、謝罪さえしたのだ。

 ファミレスの外で、私は父に丁重にお礼を言って、いくつかの話を穏やかに交わした。父は微笑んでそれを聞いていた。私は、この一年間を岡山で過ごしたことが、私にとって無駄ではなかったこと、私が今はここを去って新しい仕事を始めた方が良いという父の判断は間違っていないと思うこと、私たちは互いにコミュニケーションを取るのが不器用だけれども、言葉の壁を越えて、これからは私も父の誠意を信じたいと言って、私たちは別れた。そこには特に興奮もなく、極めて冷静で穏やかな話があった。

 この会話が終わった後、私はこれは全て主によって起こされたものであることを静かに確信していた。つい数時間前、我が家を後にする前に、誰がこんな展開を予想しただろうか? そこには絶望的な予測しかなかった。両親があれほどあからさまについていた嘘はどこへ消えたのか? 積年の対立は、憎しみはどうなったのか? 今までにも、表面的な和解、その場しのぎの和解、取り繕った平和ならば、何度か、我が家に起こったことがあった。だが、それはすぐにそれと分かるうわべだけの平和であり、数日も経たないうちに、すぐに消えて、憎しみに満ちた関係が再び現れるのであった。ところが、今回、起こったことは、そのような偽りの平和とは根本的に異なるものであることを私ははっきりと認識していた。

 これは主が我が家に起こされた奇跡である。そうとしか言いようがなかった。私は今でも自分の直観を疑っていない、もしも主が介入されなかったならば、我が家には、殺人以外の末路はあり得なかっただろう。私たちはまっしぐらに破滅へ向かっていたのだ。ところが、主がそれを押しとどめられ、人知を越えた方法で私たちのうちに働かれて、我が家に平和をもたらし、私たちを滅亡から救われたのである。これは主が家人全員の心に奇跡的な刷新をもたらしたのであり、一時的な気の迷いによる出来事ではなく、二度と覆ることがない奇跡であり、主によって信頼の種がそれぞれの心に植えられたのである。あれほど長年に渡って続いてきた、私たちの間の取り除くことの出来ない不和、憎しみ、対立は、永久に我が家から消え去った、そのことを私は霊のうちに確信していた。

 理屈では、このようなことは誰にも理解できない。はっきりしているのは、心理学的見地から判断しても、きっと、30年以上に渡って、精神的にみなし子のように扱われ、両親から愛を受けることなく、憎しみを注がれて育ってきた人間が、その痛みと苦しみの記憶から瞬時に抜け出すことは不可能だということである。ところが、それにも関わらず、今日の話し合いを終えた時点で、私の心の中からは、家庭に関する被害者意識というものが、全く消え去っていたのである。

 私は愛されて育った普通の子供たちと同じように、自分の両親に満足していた。彼らの約束を疑わずに信じることができた(この簡単な信頼というものがどれほど手の届かないものであっただろう)。確かに、両親には不器用なところがあり、まだまだ改善すべき点も残っているのかも知れないが、それは私も同様であり、そんなものは取るに足りない事柄であり、彼らは基本的に愛すべき人々である。私と両親との間には、もはや以前にあったような恐ろしい不和、断絶、憎しみ、絶え間ない裏切り、疑心暗鬼、永久に乗り越えられない溝、不信感、意志不疎通はなくなっていた。そして両親の方でも、特に父は、私に対してこれまで抱き続けてきた恐ろしいまでの疑いや、不信感をもはや持っていないようである。私たちの間に、今までただの一度もありえなかった信頼が自然に生まれ、互いの本心を疑うことなく、穏やかに話しができるようになった。祖父母もこの結果に基本的に満足しているようだった。

 何よりも不思議なことは、私の心の中から、物心ついてこの方、ついぞ消えることのなかった鈍い心の痛みが、消え去ったことである。私は欠陥のある家庭の出身者であり、このつらい生い立ちのために、生きている限り、決して、自分が普通の人々と同じにはなれないということを、どんな瞬間にも感じさせられてきた。壊れた家庭の出身者であるというコンプレックス、家庭的幸せを求めても得られなかったことから来る心の痛みは、いかなる瞬間にも、私の心を去ることはなかった。が、どういうわけか、今日、それは私の心から消え去ったのだ。我が家は、普通の場所となった。家はもはや私にとって世界で最も危険に満ちた場所ではなくなり、安全な場所となった。私は我が家で安心してくつろいでも良くなったということを、経験によらず、御霊によって、確信させられたのである。

 何も言わずとも、私にははっきりと分かっていた、今日、あの席にいた全ての人々が憎しみを捨てたのだと! 敵意は磔にされ、初めて私たちは和解し、真実に立ったのだと!
 私たちの会話には、決して、涙ぐましい和解のシーンや、仰々しい弁解、長々しい謝罪の言葉はなかった。誰も昔の事件には触れなかったし、それに対する責任も問われなかった。にも関わらず、そこでは一切の対立と不和に関する謝罪と和解が成就していたのである。

 すべてが私の理解を超えて、あまりにも素晴らしすぎたため、私は家人と別れて後も、呆然としたままであった。ショッピング・モールへ走り、しばらくベンチに腰かけて、何とか心を落ち着けようとしながら、起こったことは何だったのかと思い巡らした。そして分かったことがある。

 そこにあったのは十字架だったのである。神が主イエス・キリストの十字架を通して、私たち一家のうちに働いていた根深い憎しみと、裁きと、隔ての中垣を全て取り除かれたのである。

 今日、語られた話題には、表面的な言葉の意味を越えた、深い奥義があることに私は気づいた。
 私たちの会話の中には、イエス・キリストという言葉も、十字架という言葉も、罪の赦しや、和解という言葉も、一度も登場しなかった。そこでは救いの教義はまるで説明されなかった。家人はクリスチャンではない。どうして彼らがそういうものをあらかじめ理解できるだろうか。

 にも関わらず、今日、そこにいた全員が、主の霊に触れられて、理屈を越えて、十字架についてそれぞれ語っていたのである。私たちは理性で語りながら、御霊によって語らされていたのである。

 父が持ち出した奨学金の話は、現実の世界では金銭に関する話題に過ぎないが、霊的な意味においては、十字架そのものを指していたのである。
 父の言葉を借りて、主が私に語られたのだ。私がどうしても逃れることのできなかった一切の過去の負い目という、負っても負いきれない巨大な負債に対して、神は今日、一方的な全額返済を完了されたのだと。私の痛み苦しみに満ちた過去、自力ではどうすることもできなかった体験から生じた私の心の破れ目を、神は全額返済することによって償われた。だから、私はこれ以後、過去に対する負い目を何一つ持たずに、心を白紙にして、ごく普通に、新しい人生のスタートを切りなさいと、主は私に語られたのである。

 私は初め、その途方もない申し出にたじろぎ、それを辞退しようとした。負債があっても、それは生きている間だけしか効力を発しないのだから、自分の力で、毎月返済しようと努力すればそれでよいことだと思った。しかし、祖母はそれは「ずるいやり方」だと私を戒めた。仮に生きている間、こつこつ自力で返済したとしても、結果として、それが全額に満たないのであれば、借金の責任は道義的に残り、それは誠実さの証とはならないと私を戒めたのである。だから、私は両親からの奨学金の返済の申し出を受け入れた。だが、そうすることによって、私は別の面では、同時に、私が人生でこれまでに遭遇してきた無数の負の出来事に対する、神による全額返済を受け入れていたのである。

 十字架による罪の贖い、それは常に一括返済であり、全額返済の道である。私たちは、十字架によって自分の罪を赦していただかなくては、誰一人、自力で自分の罪という借金を返すことができない存在なのだ。自力で負債を返済しようとすることは、不誠実であり、謙遜の名を借りた傲慢である。私たちは、全額返済してあげようとの主の申し出を、ただ感謝して素直に受けるべきであり、主が十字架を適用されるのに任せなければならない。十字架を主から奪い取り、我が物として手中におさめ、分割して適用したりすることは許されない。十字架を適用されるのは、主ご自身であって、私たちではない。だから、私たちは、自分で自分の負債をどう返済しようかと首をひねるのをやめて、ただ自分の負債を神の御前に差し出し、主が十字架によってその負いきれない巨大な借金を一方的に返して下さるのに任せれば良いのだ。そして一旦、主の御手に渡った負債の証書は、主が確実に返済されるのだから、私たちは二度と思い出す必要がない。

 奨学金に関する私たちの会話は、未来の返済の約束であったが、霊においては、この会話がなされているまさにその時、私自身が自覚することもできない昔から始まっていた私の罪という負債が、全額返済されたことが確かに分かる。そのため、この会話を終えて後、私は言葉に言い表せない重荷が肩から転げ落ちたような気がする。家庭に関する深刻な傷が癒やされた。それによって、私の人生は格段に軽くなり、苦しみの日々はもう思い出せないほどに昔のものとなった。この負債の返済は、ただ私の罪の返済であっただけでなく、そこに居合わせた全ての人々の罪の返済でもあった。
 
 今日、私たちは自分が何を喋っていたのか知らないままで、主によって、御霊によって語らされていたのだと思う。理性では、まだキリストを受け入れていないはずの人々が、聖霊によって、存在の奥深いところで、自らの罪をはっきりと十字架上に置くよう、主によって求められたのである。私たちはそれに応じた。すると、私たちがこれまで長年に渡り、争い合い、傷つけ合い、憎み合い、恨み合い、互いを非難し合ってきた、その告発が延々と書き連ねられた目に見えない証書を、主は、テーブルの真ん中で、粉々に引き裂かれ、無効にされた。私たちの力では、永久に乗り越えることのできなかった隔ての中垣、憎しみ、我が家の成員全員に対するサタンの終わりなき告発状を、主は席上で破り捨て、全く無効にされたのである。

 だから、私たちはその会話を終えた時には、理性をも経験をも超えた不思議な神の力によって、一切の敵意を取り除かれて、全員、和解させられていた。私たちは言葉の上で、赤裸々に罪を告白しはしなかったし、ざんげもなかったし、涙ながらの和解もしなかった。主イエスを証することもなかったが、それでも、確かに、その席上に、主は臨在して下さり、全ての成員が、主によって触れられ、自分の罪を十字架につけさせられたのだと、私は信じている。そして、これまでにそれぞれが自己弁護のために駆使し、作り上げてきた嘘偽りの城壁が取り除かれて、それぞれが真実な心に立ち戻らされたのである。

 そこに確かに主がおられた。そのことの何よりの証拠となるのは、私が今まで、どうやっても自力では乗り越えることのできなかった、つらい過去から来る絶え間ない心の痛みが、私の心から取り去られたことである。長年に渡って、身体に染み込んだ家族のメンバーに対する恐れや、不信感、家族から愛されなかったことから来る悲しみ、悔しさ、孤独を、主は私から一挙に取り除かれた。そして和解の十字架の中で、私たち家族は一つにされたのである。肉にあっては、決して生まれることのできなかった信頼、一致の芽が生まれた。どんなに努力しても手の届かなかったものが、上から与えられたのである。これは聖徒たちの切なる祈りに応えて、主がなさった奇跡であるとしか言いようがない。

 だから、我が家にはもう虐待者はいない。殺人鬼もいないし、犯人もいない。悪人もいないし、善人もいない。加害者もなく、被害者もなく、ただ主によって罪赦され、聖められた罪人がいるだけである。きっと、我が家の成員が主イエス・キリストの御名をはっきりと口にするようになるのは、もう時間の問題だろう。主は今日、それぞれの心に確かに触れられたのである。

 神は何と誠実に私たちの願いに応えて下さることだろう。神のなさることは何と不思議ではかり難いことだろう。主は黄泉に下るべき者さえ、救い、生かすことができる。粉々に砕け散った宝を回復できるただ一人のお方なのだ。主はとこしえに我らと共にいます、主の御名は誉むべきかな!!

 

PR