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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

私を義として下さる方に

「わたしは思う。今のこの苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」(ローマ8:18)

 我が主、イエス・キリストよ、花嫁が花婿を慕うように、私はあなたを慕います。
 あなたが我が夫となってくださったことにより、私はもはや孤児でも、宿無しでも、やもめでも、浮浪者でもなくなり、あらゆる恐れと、奴隷のくびき、孤独や、蔑みからも解放されました。あなたをたたえます!

 私が牧者を見つけられず、道に迷っていた時、御子イエスよ、あなた自らが私を呼ばれ、薮の中から導き出されました。貴い十字架の犠牲の血をもって、私の罪を洗いきよめ、私を死すべき者のなかから贖い出し、あなたの御前に立つにふさわしい者へと変えられました。

 そして今、あなたは私の願いに応えて、私のために牧者をも立てて下さり、私を真心から気遣って下さる兄弟姉妹を与えられました。私はもはや孤独ではありません。

 私は主にあって、神の子とされたとてつもない特権を今、喜び、楽しんでいます。
 子供のように、無邪気に、あなたの造られた美しい庭を駆け回っています。
 そこには血を分けた肉親よりも、さらに強い愛によって結ばれた兄弟姉妹がおり、私のために用意された恵みの食卓があります。豊かな命の川の流れがあり、命の木が植わっています。この兄弟姉妹と共に、主が私に与えて下さった大いなる恵みを味わい、主への愛を分かち合い、共に主を賛美し、礼拝できることを心から感謝します!

 ここにはもうどんな悲しみも追っては来ません。これまでに受けた惨い仕打ちへの恨みも追っては来ません。憎しみも、恨みも、涙も、病も、死も、いかなる不健全な関係も、もはや私を苛むことはありません。
 私はここに来て、過去に受けた全ての傷と訣別しました。私は、主イエスの御名によって、キリスト教界が私に対して行ってきた全ての悪事を赦し、その悪影響と訣別します。悪事から受けた一切の心の傷と、生活上の損害からも、解放を宣言します。

 主よ、私は私に対して罪を犯した人々のために、とりなし、祈ります。私をあざけった牧師と信徒が、もしも悔い改め、主に立ち返るならば、どうか、あなたの憐れみと愛をもって、彼ら一人一人を優しく抱きとめて下さい。牧師の罪を信徒に負わせないで下さい。指導者の罪を弟子に負わせないで下さい。父の罪を子に背負わせないで下さい。道を踏み外した牧師の妻と子供たちを守って下さい。子供達が父の罪を負わなければならないでしょうか?

 憤りは人の健康にとってよくありません。私に対して憤っている人たちがいるなら、心を鎮め、主の平安と健やかさの中に入れられますようにと願います。

 妻が侮辱された時、夫は怒って立ち上がらないでしょうか?
 私の名誉が傷つけられた時、毅然と立ち向かって下さるのは、我が夫であられる万軍の主、あなたです! 饒舌に自己弁護することならば簡単でしょう。しかし、主よ、あなたこそ、私を義として下さる方、私を弁護して下さる方なのです。あなたがどれほど深く、またとこしえに私を愛しておられるかを私は知っているので、ただ静かにあなたの訪れを待ちます。

 主イエスよ、今、何よりも心を痛めねばならないことは、私ではなく、あなたの貴い御名が、日々、軽んじられ、傷つけられていることなのです。来る朝、来る朝、辱められ、傷つけられているあなたの名誉こそ、誰よりも先に、回復されなければならないものです! あなたの受けておられる辱めの前に、信徒がならうのは当然なのです。

 「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか。

 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。
 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。<…>わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」(ローマ8:31-39)

 たとえ私が何を耐え忍んだとしても、それはキリストの受けられた苦難の足元にも及びません。どんな時でも、主の愛が私をとらえ離さず、主の約束が心に平安をもたらすのです。御子イエス自らが、私のためにとりなし、私を義とし、私を守り、私に全ての必要を備えて下さると約束されているのに、肉なる人の言葉や態度が、私たちにとってどんな力を持つでしょう。
 やがてあなたにまみえる時に、あなたは聖徒のどんな打ち傷にも、ふさわしい栄光の覆いをかけて下さると信じています。主をたたえます。

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