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私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

異端グノーシス主義における反宇宙的二元論

1.はじめに

 さて、少し前に、反キリストを告発するビデオを記事にて掲載させていただいた。私自身は、そのビデオの掲載元となっている「目に塗る軟膏」というサイトを、かなり信頼性の高いものとしてとらえているため、そのビデオの情報にもかなりの信頼を置けるのではないかと考えている。サイト管理者はすでに何年も前から、そのような仕事に携わっておられる方であり、しかも、名前も連絡先も明示しておられる。

 だが、私たちは、もたらされる情報の真偽を常に自分自身で(うちにおられる聖霊を通して)吟味することをやめてはならないし、そういう意味で、反キリストを告発する側からもたらされる情報をも、決して鵜呑みにしてはならないと、武州乃鳩さんが警告しておられることはまことに正しい。
 読者には、私の掲載している情報を批判的に読むことをやめないで欲しいと願う。

 しかし、物事を漠然と疑うだけならば誰にでも簡単にできるが、一つの事柄の真偽を最後まできっちり証明しようと思えば、綿密な検証作業と、膨大な証拠の裏づけとが必要となる。そのような作業を根気強く行うことができるクリスチャンが今、求められていることは間違いないだろう。
 一人ひとりにできることは限られているが、こうして、クリスチャンが互いに役割を補い合いながら、キリストの身体を立て上げていく作業に共に加われるなら、それに増して嬉しいことはない。より多くの人たちが検証作業に加わって下さることを願う。

 ところで話題は変わるが、私は初め、キリスト教界のカルト化という問題を現象面から追っていたが、そのうちにやがて、カルト化現象の背景には、異端化した教義の存在があるという結論に至った。議論を進めていくうちに、その考えは事実によって裏付けられた。なぜならば、教会の組織構成に大きな変革をもたらす教会成長論そのものが異端性を持っている事実が明らかになったからである。

 さらに、私は以前から、ある推測をしていた。それは、聖霊派のうちに存在する異端化した教義と、グノーシス主義との間に、どこかで(たとえかすかであったとしても)何かの関連性、または類似点があるのではないか、という推測である。以前にもブログで、グノーシス主義を一度取り上げようとしたことがあったのだが、その時は、理解が不十分であり、その内容を目にした時、正直、とても私の手には負えないと思った。

 だが、今回、聖霊派に関するビデオの分析を行っているうちに、再び、深く考えさせられるところがあった。「反キリストたちは、聖書を曲げて、神と悪魔の位置を入れ替え、正統な教義から逸脱する独自の異端的教義体系を、かなり明確に作り上げているのではないか? そしてそれは決して、新しい構造を持った理論ではなく、たとえばグノーシス主義がそうであったように、古くから存在していた異端と、何らかの類似した構造を持つものではないか?」との疑問が生じたのである。

 聖霊派(もしくはペンテコステ・カリスマ運動)における異端とグノーシス主義の間にはっきりした関連があるという証拠は今のところ何一つとしてない。だが、前ブログにおいて、教会成長論を分析した際、私たちはすでに、カルケドン信条を拒否し、三位一体の正統な解釈を破壊し、聖霊を母なるものとしてとらえ、正統なキリスト論から外れる養子論的キリスト論を教え、牧師を神として崇めることを信徒に求めるような異端化した教義が、体系的に作り上げられ、それがキリスト教界の他教会にも、見習うべき手本として普及されていることを確認した。この教えの中にはすでにグノーシス主義を思い起こさせるものが部分的に含まれている。

 さらに、このような教えが、他の教会との連携や影響とは全く別に、たった一つの教会や、一人の牧師の発想を基にして、単独に生まれたとは全く考えられない。それがもし単独に生まれたものであるならば、他の教会から非難を浴びることなく、あたかも正統な教義であるかのように、他教会から認められることはほとんどあり得ない。
 そこで、教会成長論に関するこのような異端的著書が世に登場するに至った背景には、同様の教義が、他の場所でもすでに信奉されている事実があり、この著書は単にすでに多くの場所で信じられていたことを体系化してまとめたものに過ぎないのではないかという推測が可能となる。何よりも、一つの異端的教義が生まれるに当たって、それに先行する何かもっと深い根源があったのではないかと考えることは、極めて自然である。

 つまり、以前に分析した教会成長論の誤りは、氷山の一角に過ぎない。そのように考えられる理由の一つとして、まず、日本の聖霊派(もしくはペンテコステ・カリスマ運動に影響を受けた教会)が、伝統的に、アメリカ(その他、韓国)などから強い影響を受けて来た事実が挙げられる。特に、プログラム伝道ということにおいては、日本独自のプログラムなど、存在しなかったと言っても過言ではないほどに(日本発のオリジナル・プログラムは、日本列島十字架行進くらいだろうか?)、日本の聖霊派は、各種のプログラムの形成において、諸外国からの影響を強く受けてきたのである。
 従って、教会成長論という路線において、日本の教会に現れた異端化した教義は、日本発のオリジナルではなく、恐らくは、ピーター・ワグナー、チョー=ヨンギなどの世界的に著名な指導者によって、世界的に普及された教会成長論の教義の忠実な副産物として、生まれて来たと見るのが妥当であろう。(ただしこのことはきちんとした手順を踏んで、証明されなければならない。)
 
 従って、教会成長論、プログラム伝道につきものの問題性を考える時、今や日本という一国の枠組みを超えて、まず、世界的に普及された教会成長論の模範的な教義的な型を詳しく検討する作業が今後、不可欠となることは間違いがない。私自身も、可能な限り、それに取り組んでいきたいと思うが、同種の作業に着手する人がいれば、積極的に取り組んでいただきたい思いでいっぱいである。

 さて、今回は、世界に普及された教会成長論の教義を検討する作業は、ひとまず脇に置いて、まずはグノーシス主義の世界観の話に戻りたい。私は先に挙げたビデオを見ているうちに、グノーシス主義の世界観が、聖霊派に現れた異端的な教えの世界観と何かしら一致した部分を含んでいるのではないかという危惧を抱かずにいられなかった。

 だが、これはひょっとすると、私の杞憂、あるいは行き過ぎた予想なのかも知れない。証拠を発見することはできずじまいに終わるかも知れない。だが、仮に不確実な予想のまま終わってしまったとしても、この作業もまた、背教に光を当てるための一つの実験として、お見逃しいただきたいと思う。
 ここから先は、かなりこみいった複雑な話になるため、興味がない方は飛ばしていただいて結構です。
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