忍者ブログ

私ではなくキリストⅡ(東洋からの風の便りI)

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2:15)

カインとアベルの捧げ物

さて、今日はこれまでとちょっと違うことを書こう。
どうやら革命家のことが話題になったようなので、そこから話を始めよう。

思い出せば、ずっと以前、私も革命家に憧れていたことがあった。革命とは何なのか見極めたいという好奇心を持って、私は大学に通い始めた。当時は、「ソビエト社会主義経済学」などという講義がまだ大学にあったのだ。連邦崩壊後、そうした分野はすばやく削られて行き、今はほとんど消滅してはいるものの、しかし、今、教壇に立っている方々の中には、そういう時代に育てられた人も多い。

私の専攻分野には共産主義者たちがかなり沢山、いた。元共産党員、かつて共産党に関係のあった人、ソビエト留学を果たした人…、そういう人たちが当時、教鞭を執っていたし、今もかなりそういう人たちが大学に残っていることを知っている。私のいた専門分野の80-90%は、直接、あるいは間接的に、共産党に何らかの関係があった人たちで占められていただろうと推測する。私が教えを受けた師匠もそうであった。

特に、ソビエト体制が存続していた時代には、そのような縁故なしには、教職においてこの分野に入り込むことは極めて難しかったようだ。体制崩壊後は、あの国の歴史に幻滅して共産主義者をやめてしまった人たちも多かったことだろうと思うが、現役のコミュニストであるかどうかを問わず、いずれの方たちを見る時にも、私はいつも、彼らのうちにある、魂の、何かしら言葉に表せない暗さ、まるで何か語りたくない過去を胸のうちに秘めているような、独特の暗さを感じずにいられなかった…。

また、私は、共産党員の父親を持つ幾人かに出会ったが、その人たちは異口同音に、この思想がいかに家庭をゆがめてきたかを話された。学生運動もそうであるが、共産主義の思想と運動に関わった人々には、何かしら、生涯に渡って、暗い影がつきまとうように私には思われてならない…。

社会主義国の血塗られた歴史をかなり詳しく知って後、地上のユートピアを打ち立てるための革命というものに対する、私のナイーブな情熱は消え去った。社会主義革命は、キリスト教徒ではなかった私の師匠ですら、そのように語っていた通り、破滅を運命づけられた悪魔的計画であり、人類による神への反逆、人類の見果てぬ夢としてのバベルの塔なのだ。

バベルの塔の建設は、神への組織的反逆であり、人類の罪の中でも最大級の罪である。

今の日本社会がこのようなところになってしまった背景に、学生運動の悪影響というものはないだろうか。ある人は、日本はすでに社会主義国だとさえ言い切る。果たして、学生運動とは、本当に、あの短い期間に燃え上がっただけの、一過性の社会現象として終わったのだろうか。学生運動世代が会社員となったり、官僚となったりして社会を作る側に回った後、彼らはかつて自分達が熱中したイデオロギーを、目に見えない形で、社会の仕組みの中に持ち込んだりしなかったろうか…。最近、つとにそのようなことを思うようになった。

あの暗い、地の深いところからやって来たイデオロギーが、何の害ももたらさず、一過性の情熱で消え去るとはとても思えないのだ。

こんなことを言えば、コミュニストを完全に敵に回すことになるかも知れないが、私の直観はこうだ。
もしも日本のキリスト教界と、日本社会が合わせ鏡になっているとすれば、どちらもに必ず同じ根があるはずだ。そして、その根とは、共産主義である。

こんなことを言うと、きっと、頭がおかしくなったと言われるだろう。キリスト教社会主義というものも、確かに、歴史上、存在していたことはあったが、今日のキリスト教とどうして共産主義の思想を短絡的に結び付けたりできるものかと。そんな暴論がどうやって成り立つのかと。
確かに、学問的にそのようなことを言おうとすれば、難しいかも知れない。だが、文学はとうの昔からそういうことを述べてきた。ドストエフスキーを読まれたい。あの大審問官が、終わりの世界に起こることを確実に予告しているではないか…。

聖霊派の熱中しているリバイバル、神の国建設、そしてこの社会が無言のうちに目指しているもの…、それらが一致することを、あの物語からも読み取ることができる。そして実際に、聖霊派の熱中しているシステムのいくつもに、社会主義国から拝借した仕組みが含まれているということも、いずれここに詳しく書いていかなければならない。
リバイバルというものが、神の国どころか、地獄の建設に他ならないということを、今後、私は証明していかなければならないと思っている。

だが、このような乱暴な推測の丁寧な説明は、次回以降に譲ることにしよう。とにかくも、魂を失わないでいるために、共産主義の思想や運動には絶対に関わらないように、教界のバベルの塔建設にも絶対に関わらないように、ということだけをひとまず述べておきたい。

…さて、こんな風にして、革命に対してはすっかり嫌悪感しか残らなくなってしまったが、かつて、革命の他にもう一つ、私の興味を惹きつけてやまないものがあった。それが音楽だった。

音楽は私にとってかつて無条件の安らぎの場であった。音楽にだけはどんな危険性もないと思っていた。
危険な国に滞在していた時も、演奏をしている限り、私は絶対にどんな盗賊にも殺されることはないだろうという不動の自信のようなものがあった。日本人以上に音楽を愛でている国民は多いが、そういう国に旅行すると、人々は演奏の前で素直に足を止めてくれる。そして心から、同じ感慨を分かち合ってくれる。彼らが率直に述べてくれた台詞の何と嬉しかったことだろう…。

音楽に携わっていると、演奏する側も、聴く側も、魂が浄化されるように私は思っていた。
だが、音楽への私のそんな浅はかな思慕も、微塵に打ち砕かれることになった。カルト化した偽教会の事件を通して。
「クロイツェル・ソナタ」に関する記事に書いたように、音楽ですら、人にとって麻薬になりうる。音楽の効果に無防備に身をまかせ、酔いしれることが、時に、人に破滅的な結果をもたらすのだ。

話が変わるようだが、偽教会を訪れる前に、私はいくつかの曲を作った。自分の葬儀の日のためにと思って作っていたのだった。さらに、カルト化教会を訪れた時にも、主との再会の喜びをもって、後奏曲を作った。それを奏楽したが、誰も私が作った曲だとは全く思わなかったようだし、偽牧師は、私が見栄のために、わざと賛美歌以外の曲を弾いたのだと勝手に勘違いして、快く思っていなかったようだ…。

しかし、私は心から主への感謝をこめてその曲を作った。
長く教会から離れていたため、主の御前に戻ってきたという大きな喜びがその時に心にあったからだ。

だが、私が主との再会の喜びをこめて賛美を捧げたその教会は、偽教会だった。
その偽教会で音楽家の信徒に出会った。それが秋氏であった。
果たしてこの人が何者であったのか、私には未だによく分からない。この人が偽教会の信徒でなかったら、私はあのような教会に一度以上、足を踏み入れることはきっとなかっただろう。

その教会自体が、足を踏み入れてはならない場所であった以上、氏にも出会うべきではなかったのかも知れない。
私はこのことについて、真相が未だによく分からない。だから、事件についてはまだ記事に書くわけにいかない。きっと、主が私に答えを与えて下さるだろうから、その時に説明させていただきたい。

いずれにせよ、この偽教会で、私は音楽というものの効果も含めて、人に心理的影響を与える全ての外的現象を、クリスチャンが浅はかに受け入れては成らず、むしろ、警戒しなければならないことを知った。このことについては、Sugar氏も同様のことを警告しておられる。

神を賛美する喜びに全身が満たされているように思っている時でさえ、クリスチャンはその感覚によって主を知るのではなく、五感ではないもっと心の深いところ、つまり、ただ霊のみによって主を知るよう努めなければならない。人が五感で感じる喜びや陶酔感といったものがもたらす欺きは極めて深い。私は偽教会での経験がなければ、このことの危険性を、きっと生涯、分からなかっただろう。

(Sugar氏は記事の中で、クリスチャンに次のことが必要だと書いておられる、「第四は『神が与えて下さる喜び、例えば燃えるような愛や 主の臨在の実感、昇天の超越した感覚等』に対してさえ、死ぬことです」。
つまり、たとえ、どのような美しい賛美歌が歌われていたとしても、クリスチャンが主を知るのは、耳で感じる麗しさを通してではないのである。)

こうして、音楽さえも、私にとっては信用ならないものとなった。
この世を生きた年数が増えるにつれて、子供の頃のように、無邪気に憧れたり、信頼したり、敬慕できるものが、私にはだんだんなくなっていく。特に、偽教会以後、全てのものが疑わしくなり、信じられるものがなくなり、信頼できる存在はただ一つしか残らなくなった。

だが、こういう幻滅は、決して悪いものではない。
虚無主義者になって終わるだけならばむなしいが、地上における全てのものが色あせていく中で、残るただ一つのものが、より一層、光り輝くからだ。
その輝くものは、私を永遠に向かって手招いている。それがキリストである。
貴い神の小羊、全ての賛美と栄光がこの方のためにある、という方。

この命の君の中に入れられなければ、どんなに麗しいこの世の現象も、全ては「マトリックス」だ。

 

* * *

 秋氏と電話で話した。
 事件後、氏は教会にいたく幻滅し、信仰から離れた。いや、恐らく、彼は偽教会で救われたため、そもそも偽の信仰しか持ったことがなかったのではないかと思う。今どんな信仰を持っているのか、いないのか、私にはよく分からない。だが世の中のことについて、何倍も、私より慧眼を持った人だった。宗教トラブル相談センターが信用ならない場所であることを最初に見抜いたのも、この人であった。

 私は偽教会の事件に耐えられず、偽教会で生じた一切の縁を断ち切って、かの地を逃げるように立ち去った。以来、この人とは電話でのやり取りがあるだけだ。
 
 以前は教会を拠点にして演奏をすることもあった秋氏は、今は一切、教界との関わりを絶って自分で活動をしている。彼は私が以前にもよく聞いた同じ台詞を電話で繰り返していた。

「今のキリスト教界は全く仲良しごっこの域を全く出ていないね。
 曽野綾子さんが小説に書いていたことを思い出す。キリストがペテロに向かって、三度『私を愛するか』と言ったあの台詞、あれは、本当は、命懸けの壮絶な問いかけなんだよ。だのに、それを、キリスト教界では、誰も本当の意味でわかっている人がいない。」

(一応、ヨハネ21:15-17の該当箇所を引用しておくと…)
「彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、
『ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか(動詞:アガペー 無条件で愛する)』。
ペテロは言った、『主よ、そうです。私があなたを愛する(動詞:フィレオー 友として愛する)ことは、あなたがご存じです』。
イエスは彼に『わたしの小羊を養いなさい』と言われた。

またもう一度彼に言われた、『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか(アガペー)』。
彼はイエスに言った、『主よ、そうです。わたしがあなたを愛する(フィレオー)ことは、あなたがご存じです』。
イエスは彼に言われた、『わたしの羊を飼いなさい』。

イエスは三度目に言われた、『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか(フィレオー)』。
ペテロは『わたしを愛するか』とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、『主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛している(フィレオー)ことは、おわかりになっています』。
イエスは彼に言われた、『わたしの羊を飼いなさい』。」

 「イエスがペテロに問われたのは、『あなたは命を懸けて、何もかも捨てて、死ぬ覚悟があって、私を愛するか』、という意味だったんだよ。でも、ペテロは(十字架前の裏切りのことも脳裏をよぎったために)それにはっきりと答えられなかった。だから、微妙に答えをずらして『私があなたを好きでいることはあなたが分かっていらっしゃるでしょう』と答えたんだ。
 でも、イエスはもう一回、『あなたは全てを捨てて私を愛するか』と、問うた。それども、ペテロは同じ答えしか出せなかった。そこで、イエス自身がついに、ペテロのレベルまで降りてきて、『あなたは私を好きか』と言葉を和らげたんだよ。

 今、キリスト教徒に問われていることもこれと同じだね。命懸けで愛することが求められているのに、『好きです』程度の答えしか出さないのがクリスチャンだ。
 
 カラヤン先生も言っていたよ、『マーラーの交響曲一つを指揮するのにも、身と引き換えの覚悟がいる』ってね。芸術の世界でも、どの分野でも結局は同じだけれど、一つのことを本気で貫こうと思ったら、命懸けだ。命懸けでなければ、何事も成しえない。でも、今の日本社会ではどちらを向いても、誰にも何の覚悟も、犠牲もない、ただの仲良しクラブの世界で終わってしまっている。
 それは、あのペテロの答えと同じだ、『イエスが好きだからついていく。私にとって良いことがあるからついていく』その域を出ない答えしか提示できていないのが、キリスト教界だ。アガペーの愛じゃないんだよ。

 アガペーの答えは、何があっても、命懸けでそれを追う、たとえ自分にとって何の得もなく、命をすり減らし、死ぬ思いをしなければならなくなっても、とにかく着いていく。そこまで行かなければ、人間、何事もなし得ない。芸術もそうだし、信仰も同じだ。イエスはペテロにそれを問われた、私のために命を捨てますか?と。でも、ペテロにはその時、はいとは答えられなかった。人間にはその要求に応えることはできない。でも、何かをしようと思えば、必ずそこを通らされることになる。ただし、それはとても人に勧められたものじゃない、壮絶な、血を吐くような道だから。牧師でも、そんな信仰を持っている人なんて、今の教界にはほとんど見当たらないんじゃないかな…」

 相変わらず、この人の言うことは、まるで私の脳内に直接、言葉を流し込んでくるように響いて来る。特に強い説得をしているわけでもないのに、この強力な働きかけの力は何なのだろう…。そして秋氏は今、キリストをアガペーの愛で愛することの重要性を説いているのか、それとも、芸術に献身することの必要性を説いているのか…。

 私はセザール・フランクの有名なヴァイオリン・ソナタ(イ長調)の存在をこの人から教えてもらった。それだけではない、音楽というものについて、遊びの領域を出た重要な知識を教えてくれたのはこの人だった。
 それまで、音楽は私にとって気軽な遊び友達であった。いや、人生そのものが私にとって遊び友達であったと言っても過言ではない。私は気楽に生きており、自分の行動の誤りが人生にもたらす厳しいつけというものについて、一度も真剣に考えたことがなかった。

 教会で奏楽をしたりしていた私は、音楽に関しても、記憶力だけは人並み以上にあったらしく、いつもろくな練習をしていなかったのに、美しい曲があれば、早速、弾いてみたいと思って、大胆に取り組んでいた。そこで、フランクのソナタに関しても、恐れ知らずにも、譜をもらって、練習した。
 こんな私でも、いつかこれを人前で弾くことができるだろうかと聞いた時、氏は言った。

「ヨーロッパで、コンサート・ピアニストになるために必須の条件は何か知ってる?」
「???」
「七つのコンチェルトを常にスタンバイしていることだよ」

 そこで完全にノックアウトされてしまったが、しかし、その答えを聞いて、かえって安心した。
「コンサート・ピアニストになるための条件は、芸大を主席で卒業すること」と言われるよりも、「七つのピアノ・コンチェルトを完全にマスターしていること」と言われる方が、どことなく現実的で、可能に思われたのだ。

 「そうか。とにかく猛烈に練習してそこまで到達すればいいんだな」と私は考えた。「上着を欲しがっている人には下着も与えなさい」と言われたような気分だった。それから練習を重ねたことは確かだが、一体、どれだけの進歩があったのかどうかは怪しい。

 七つのピアノ・コンチェルトを総暗譜しており、いつ呼び出しがかかってもOK…という人は、恐らく、日本人のピアニストの中にも、まずめったにいないだろうと思われる。大体、一つのコンチェルトだけでも、ゆうに30~40分くらいは演奏にかかる。100-200ページ近くなる楽譜を全て暗譜していなければならないだけでなく、合計7つ以上のコンチェルトのレパートリーを持ち、いつ声をかけられても、どの曲であろうと、半日から一日で準備万端の状態に持って行けるコンディションでなければならない。

 ヨーロッパでは、有名人のコンサートの際には、いつも楽屋裏で、代役希望者がスタンバイしているそうだ。主役に何かあっても、いつでもそれに代われる人がずらりとそこに控えている。しかし、この日本ではそんな風景はあまり見られないことだろう。

 私はフランクのヴァイオリン・ソナタのピアノパートを全て暗記した。自らの演奏の著しい未完成度もかえりみず、幾度か、無理やり秋氏に練習につき合ってもらったおかげで、ヴァイオリン・パートもほぼ覚えた。だが、残念ながら、このような大曲を人前で弾くということが、すぐにできるはずもないため、せっかく覚えても、自己満足だけで終わっているのだが…。

 それにしても、弾けば弾くほどに理解が深まり、味の出て来る名曲である。ヴァイオリン・ソナタとしては、クロイツェルに並んで、最高峰の部類に属することは間違いない。特に終楽章の天駆けるようなフィナーレは、ただ聴いているだけで、泣けてくるほどに素晴らしい。もしこの曲を誰かと一緒に完璧に演奏することができれば、それ以上、一日たりとも生きている必要はないと思うくらいだ。
 とは言え、50歳、60歳にならなければ、決してこの曲の深みは完全には分からないだろうとも思う。

 セザール・フランクは、彼をモーツァルトのような天才的な演奏家にしたてあげようとしていた父親の期待もむなしく、その才能と技術につりあわないほど、謙虚で地味な生涯を送った。五嶋みどり氏の解説によると、フランクはその謙虚な性格ゆえに、自分を積極的に売り込んで行かねばならないコンサート・ピアニストには向いていなかったそうだ。フランクは長年、教会のオルガン奏者を勤め、自分を音楽界に売り込むどころか、後学の指導に当たり、自己アピールというものをほとんどしなかったので、弟子が代わりに師匠の宣伝をするようになったほどだ(そのような弟子を持てる師匠は幸せだと思う)。フランクの最も有名な作品群は、死のわずか10年ほど前から書かれるようになった。いかに彼が若い頃に自らの名声を求めることなく、控えめな役割に徹した大器晩成型の作曲家であったかをこの事実が物語っている。ヴァイオリン・ソナタイ長調も、死の5年前に書かれた(1885年と86年作曲説がある)。フランク63歳の時のことである。

 初めに聴くと、とてもとっつきにくい曲のように思われた。不思議な旋律と和音の展開だ。しかし、聞けば慣れてくる。そしてだんだんと理解できるようになってくる。
 グリュミオーのCDを数え切れない回数、聴いて、曲と楽譜を全て頭に入れてはみたが、それでも、この不思議な曲が、一体、何を表しているのか、長い間、分からなかった。少しもイメージがつかめなかった。そこで、延々と考えをめぐらしていたある日、はっきりと頭にひらめいた。この曲は、聖書をモチーフとした壮大な物語なのだと。

 もちろん、そのような但し書きはどこにもない。この曲が何を意味しているのか、それを具体的に記した解説書もないし、フランク自身の言葉も残っていないようだ。だから、この曲が聖書をモチーフとしていると言い切れる証拠などどこにもない。だが、フランクはルツ記をテーマにした楽曲も書いている。そして、何よりも、彼自身が長年、教会奏楽者であったことを考えれば、このヴァイオリン・ソナタが聖書をモチーフにしていたとしても、それは不思議のないことであるように私は思う。

 以下は、私の独断的な解釈を書き記したもの。
 
第一楽章。 天地創造。
 地球にまだ何もかもが出来上がる前の混沌。醒めているのか、眠っているのか、それも分からない、果てしない海の広がり。地のおもてを水が覆い、その上を神の霊が覆っている。ピアノは、大海原に雨粒が落ちるように始まる。
 被造物に対する優しい神の愛が水の上をたゆたう。限りなく清浄な海の青。

第二楽章。 ゲヘナの業火。キリストの十字架の苦しみ。ヴィア・ドロローサ。
灼熱の地獄から始まる。火と尽きないうじがわき上がる。群集を先導する地獄の力、地獄の燃えあがる炎と、キリストが十字架を背負ってゴルゴダへ向かう途上の姿が重なって見える。旋律の中に、「ヴィア・ドロローサ」という言葉が幾度も繰り返されるように感じられる。

第三楽章。 ゲッセマネの園の祈り。
 冒頭は、イエスを捕らえに近づいて来る者たちの足音。夜の闇と静けさ、孤独。神の嘆きと、神から逃避し、罪の深みに落ちて苦悩する人間の孤独が重なる。

第四楽章。 クリスマス、飼い葉桶の中での御子の誕生。子守唄のような優しい旋律。クリスマスの喜びと、キリストの昇天の栄光とがオーバーラップし、さらに、この楽章に至るまでの全てのシーンが断片的に浮かび上がる。
 フィナーレは、キリストの再臨。空宙に掲挙され、イエスと共に神をほめたたえる聖徒たちの賛美の大コーラスで曲がしめくくられる。 

* * *

 それにしても、芸術とは一体何なのだろう。
 神に捧げられた崇高な供え物が芸術なのか。それとも、人間があらゆる手立てを尽くして神の領域に立ち入ろうとする大胆な試み、つまり、人間が神になろうとする魔術的な儀式が芸術なのか。
 芸術は、神を称える賛美なのか、それとも高みにのぼろうとする人間の肉的な力なのか。
 私は時々、見分け難い思いがする。そして、音楽を含め、芸術というものは、見る者、聴く者の精神を、まるで離岸流のように、気づかぬうちにはるか遠くまで押し流してしまう。その恐るべき、抗い難いダイナミックな力。

 昨今の宗教行事を見ても、同じように思う。
 カインの捧げ物と、アベルの捧げ物が見分け難い距離で並んでおり、極めて判別しにくい状況にあるのだ。そして時に、カインの捧げ物が圧倒的な力を持って迫ってくることがある。そこにある歓喜、高揚感、それは神に捧げられる礼拝の聖さに極めて近いように感じられるため、本物の礼拝と見まごう。さらに、それは肉に対してあまりにも強く働きかけるので、この危険性をあらかじめ知って耐性を持っていなければ、その圧倒的な力の前に、霊的な直観を奪われ、屈服させられないでいるのは難しい。

 私は多分、生涯、音楽好きであり続けるだろうと思うし、音楽のために今後も膨大な人生の時間を費やすだろう。だが、もはや音楽が無害だとは思えなくなった。音楽にも、何かしら極めて悪しき人工的な力が働きうるということが分かってしまったのだ。
 全てを神に捧げ、聖別することの重要性を思う。たかが趣味ということはない。全てを神に捧げ、どんな領域、どんな分野、どんな事柄においても、主を認めることの大切さ。文字通り、全ての道で主を認め、聖書に立ち戻るよう心がけなければならないことを痛切に思わされる。

 そうしていなければ、私達人間の感情や気分など、全く気づかないうちに、初めに立っていた地点からはるか遠くまで押し流されて、誰かの思惑の通りに、操られ、狂わされ、二度と元の地点に戻って来られないところまで、一瞬のうちに運び去られてしまいかねない。それほどまでに、人間の力は強く、人間の成しうることは、馬鹿に出来ない偉大さを持っている。それが結晶化したのが芸術なのだ。
 

PR

幼な子のように…

「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」(ルカ18:17)

「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5:31-32)

「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し、偽って数々の悪口を言う時には、あなたがたはさいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい」(マタイ5:11-12)

「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、私の弟子となることはできない」(ルカ:14:26-27)

 私はキリストにあっての喜びにとらえられてしまった。
 喜びのあまり、思考が停止して、しばらく力の入った記事が一つも書けそうにない…。

 一年近く前に、私はカルト化教会によって人生の貴重な宝の数々を奪われ、騙され、侮辱され、ボロボロに傷つけられて、故郷に戻ってきた。助けを求めたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の村上密牧師のカルト被害者救済活動(宗教トラブルセンター)からは何の助けもないまま、冷たく突き放され、せっかく出来始めた信徒の交わりからも遠く引き離されて、一人、この地に戻った。

 しかも、出発直前になって、祖父母から電話で痛烈な打撃が加えられた、「あなたのような厄介者とは、もう一緒に暮らせない。頼むから、こっちにはもう戻って来るな。」

 その頃、京都教会にいた善良な幾人かの信徒たちが、本気で私のことを心配してくれ、私を救おうと、あの手この手を差し伸べてくれていた。その後、彼らとの便りは途絶えたが、代わりに、新たな信徒たちが出現した・・・。その人々の助けがなかったなら、私はその時、正気を保っていられたかどうか分からない。

 こんな出来事は悪魔の手助けなしには絶対に起きようのないことばかりであった。幼い頃、祖父母は私を目に入れても痛くないほど可愛がってくれた。彼らは私の味方だった。私の帰省を首を長くして待ち望んでくれていた。幼い頃、私たちが寝つくまで、祖父が読んでくれた昔話を今も覚えている。背の高い祖父に肩車してもらうのは、誇らしいことだった。祖父母は惜しみなく孫のために何でも買い与えてくれた。田舎の実家は私にとってパラダイスだった。

 我が家につきものの確執ゆえに、幾度か論争が持ち上がったことがあったとはいえ、祖父母はこれまで田舎で穏やかな、不自由のない生活を送り、それなりに人からも尊敬されてきた。私は決して、彼らの生活を脅かしたり、妨害したことはなかった…。

 にも関わらず、カルト化教会以後、私の周りの人間関係の全てが明らかに狂ってしまった。まるで悪魔が直接介入したとでも言うしかないほどに、人間関係が異常になってしまったのだ。いや、本当は、カルト化教会以前からそれは始まっていた。

 結局、すべてのことをよくよく振り返ってみると、私が幼い頃から通っていたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団はもとより、キリスト教界そのものが異常であり、誤っていたのである。最後に通った教会で起きた事件は、単なる総仕上げに過ぎなかった。

 私は、幼い頃から、ずっと教会で欺かれ続けて来た、そこで教えられていた事は、真理ではなかった。彼らは聖書を用いていたが、本当の意味での神への信仰に立っておらず、人間が人間を支配し、従属させるための仕組みを作っていたに過ぎない。

 そのことが分かった時、それが何よりも大きな衝撃であった。物心ついたかつかぬ頃から、教会へ駆り出され、日曜礼拝を遵守することや、様々な奉仕を要求されて来た。訳の分からない様々な霊的ムーブメントが教会に流入して来た時は、おかしいと思った。伝道師が追放されたり、様々な事件が起き、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の教会は揺れに揺れた。そのまま、一体その事件が何だったのか、分からないまま、幻滅のうちに訪れた他教会でまた別の事件に遭遇した・・・。 
 
  これらすべての体系が、みな偽りだったのである。それが分かった時には、最初に、この偽りの体系であるキリスト教界全体に対して、嘘によって騙した私の人生を帰せと言いたい途方もない憤りが生じた。

 だが、キリスト教界にいる人々は、そのようなことを叫んだからと言って、振り返るような人間たちではなかった。そうなってから初めて、彼らの本性が見えた。牧師や教職者の親切そうな姿はほんのうわべだけで、彼らはみな羊の皮を被った狼だったのだと・・・。もし本当の信仰、まことの神を求めるなら、こうしたうわべだけ美しく内実の全くない人々と訣別しなければならないのは間違いないだろう・・・。
 
 神を認めない人たちは、すなわち、真実をも認めない。(これは一見、極論のようだが、そうではない。聖書によれば、真理なるお方はキリストただお一人なのだから、そのキリストを認めないということは、真理の否定であり、すなわち、事実の否認である。)

主を畏れることが、あらゆる知識の始まりであるならば、キリストを否定することは、全ての認知の歪みの始まりである。

 神を否定する人は、何事においても、弱肉強食の原理だけしか認めない。強者の罪をかばい、弱者の痛みを否定し、強者にへつらい、弱者をあざけり、自分達にとって不利な証言をする者を憎み、都合の悪い人間を排斥し、ついには無実の人に罪を着せたり、人格障害者のレッテルを貼るようになる…。

 そういう人々は、この世には満ち溢れているが、それはキリスト教界においても同じなのである。キリスト教界のクリスチャンの教職者たちも、自分たちの高い立場を守り合うためならば、自分よりも弱い者に平然と罪を着せ、自ら傷つけた者の存在を抹殺し、これをなかったことにし、弱い者をひたすら虐げ、嘲る・・・。

 さて、帰って来るなとの祖父母のお達しがあったにも関わらず、私は引越しを完了することができた。が、田舎に帰ってみると、見たこともない立派な家が建てられていただけでなく、私の引越しの荷物のほとんどは、祖父母の家のガレージに山と積まれたまま、家の中にあげられることもなかった…。

 教会で起こったことを何とか耐えようとしながら、私が血を吐くような思いで生きていた頃、どれほど家人が贅沢な暮らしを送っていたのかということを思い知らされて、愕然とした。

 だが、とにかく平和に生きていかねばならない。迎え入れられたことだけでも奇跡のようだったので、私はそれを感謝した。それから何ヶ月もかけて、家人との積年の感情的な溝を埋めるべく努力した。家事への協力や、店への協力、話し合いによる、穏やかな人間関係の修復の努力。
 私自身がそれまで、反発心によって家から遠ざかっていたこともあった分だけ、そのような感情も滅却し、皆に穏やかに接するよう努めた。しかし、どんなに努力しても、結局は、全てが水泡に帰した。

 私自身の忍耐がいつも限界に達した。延々と続く終わりのない責め言葉。都合の悪い事柄に対する徹底的な隠蔽。いつまでも終わらない責任転嫁と、私の性格の異常性の強調。事実を塗り替え、捏造してしまうどうしようもない認知の歪み。いざとなれば、徒食者、都会へ帰れ、という捨て台詞で話が終わる…。

 いつの間にか、祖父母の間では、私は何一つ、昔の長所を残さない、人格破綻者、人生の敗残者ということにされてしまっていた。果たして、人格破綻者、人生の敗残者にどうやって学術論文が書けるのか、不思議なことだが、とにかく、6年もかけて取得した私の学位については、全て家人がノーコメントを決め込んだ。学業などというものにいくらいそしんでみたところで、それは金儲けにならず、世間からもかえりみられないのでは意味がない…、つまり、私のやって来たことの一切が無価値だった、ということにされてしまった。250ページ以上に及んでいる論文については、未だに嘲りと罵りの言葉しか返って来ない…。

 つい先日、あろうことか、祖父は私に面と向かって言った、「あんたに起こったことは全て自分で選んだ自業自得の災難だ! あんたは人生の敗者だ! あんたが弱かったから全てがこうなったんだ! そんな考えしか、持てないでいたら、この先もあんたは一生不幸だ!」

 どう考えても、首をひねるしかない驚きの言葉の連続だった。
 私の知っている祖父は、非常に周囲に気を遣う穏やかな性格で、一度も声を張り上げたところを見たことがなく、どんなことがあっても、このような残酷な言葉を他人に向かって平然と発する人ではなかった…。まして身内に対しては…。

 私は、自分が未熟者であるがゆえに、人からどんな不満を持たれたとしても、それは仕方がないとあきらめているが、しかし、発した言葉は、必ずその本人に帰って来ることを知っている、だから、人を呪う言葉は発さない方が、祖父自身のためなのだ、と祖父に伝えた。

 しかし、祖父は苛立ち、あらゆる否定的な言葉を並べて、私への憎しみを強調した。そして、私こそが彼を呪っているのであり、私は病気なのだと主張した。「死後のことまで心配してくれる必要はない。老後の世話など一切要らん。地獄へ堕ちても構わん。たとえ全てがあんたの言うとおりだったとしても、80にもなった今、どんな悪い結果がこの身に返って来ようと、恐いことはない、とにかくわしの考えがあるだけだ」と言い切った。

 このような不毛な議論は、我が家においては、決して珍しいものではなかった。こんな話が持ち上がる度ごとに、一人や二人でなく、大勢の人々が寄ってたかって、私の生き方、考え方がおかしいのだと主張して来た。さらに、エージェント・クリスチャンが議論に加わって、話が限りなく紛糾していく。そして、最後には、全てが私の至らない行動のせいで呼び起こされた当然の惨事だという結論に落ち着くのが普通だった。時々、私の言い分に彼らが耳を貸してくれることもあるのだが、しかし、最後には全てが元の木阿弥となり、せっかく根気強く修復してきた人間関係も、こういう事件が一回でもあると、あっさりと崩れてしまう。

 こんな状況で、キリスト教界の欺瞞のことを、家人の誰にも詳しく話すことはできない。そのようなことを話せば、よりひどく、私を非難する材料として使われてしまうだろうことが容易に想像できるからだ。安易にこのような話に立ち入るわけにはいかない、徹底的に心を痛めつけられて、日常生活に支障をきたすほどの打撃を受けかねないからだ…。

 家人が今までの生活の中で、私に対して主張してきた内容は、要約すれば、次の通りだ。

「この世に正義などというものは存在しないし、善も悪もなく、罪もまたない。悪人に対する裁きが、たとえ死後の世界にあるのだとしても、私達は今日をさえ楽しく暮らせればそれでよい。それを邪魔する者は許さない。身内だとて、私達の幸せを邪魔するなら、目の前から消えてもらう。それが残酷であろうと、罪であろうと、構わない。
十字架の救いなどは私達に要らない。そんな話は一切無用だ。弱い人間は犠牲にされるのが当たり前なのだ。それがこの世の中の仕組みなのだ。あなたが犠牲者となったのは、あなたが弱かったせいだ。弱い者をかえりみる奇特な人間など、この世の中にはいない。

だから、私達に同情を求めても無駄だ。反省も求めても無駄だ。正義を求めても無駄だ。愛を求めても無駄だ。公平な裁きはどこにもない。世の中、利己的に生きた者勝ちなのだ。私達はこれからも利己的に生きていく。それが間違っていようと、指摘などしてくれるな。それは要らぬ世話だ。過去に起こった悪いことは全て忘れなさい。ただ自分がこれからどうやって明るく楽しく生きていくかということだけを最優先して考えなさい。
今までに何があったにせよ、これ以上、否定的な記憶にこだわるのはやめなさい。否定的な記憶にこだわる人の人生は、不幸にしかならない。だから、ネガティヴなことについては、考えるのを一切やめなさい。
私達と同じように、自分の幸せだけを求めて貪欲に生きなさい…。本心を隠して、自分の得になるようにずるく立ち回るようにしなさい…。自分の楽しみのことだけをひたすら考えなさい…。そうすれば、私達はあなたを責めず、非難せず、優しく、温かく受け入れてあげよう…」

 これは踏み絵のようなものであり、私は何があっても、このような生き方を受け入れることはできない。これは私の人生そのものを否定しているだけでなく、本当にぞっとするような悪魔的価値観だからだ。だが、このような価値観しか持たない人に囲まれて、彼らのおかげをこうむって、今の私の生活が成り立っている。彼らは私を心の病だ、精神障害者だと言ってはばからず、ともすれば、本当に私を病人にしたてあげようとしているように感じられる…。

  しかし、後になって振り返るなら、やはりこうした事件を背後で煽っていたのは、サタンに他らなかった。これは家人の自然なありようではなく、明らかに霊的に煽られて起きてきた事件だったのである。だが、その悪魔の働きさえも、神の采配の下で、起きていたことだった。

 すべては十字架が啓示されるためであり、こうした激しいバトルの中で、私の正義感や、生まれながらの肉親の情さえも、根こそぎ焼き尽くされて、新しくされる必要があった。

  私はこれまで、根気強く、家庭の復興に取り組んできたつもりであった。互いの幸せが成り立つ、幸せな休息の場を作る努力をしてきたし、せめても、家人と最低限度の相互理解にだけは至りつきたかった、そして、平和で、幸福な、理想とする家庭を築きたかったのである…。それに、もちろん、キリストのことも知って欲しかった…。

 だが、今ここに至って、相互理解の願いを放棄しなければならないと思い至ったのである。 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」というのは、恐らく、こういうことだったのではあるまいか。

 私は、家族から誤解されたままでいることに、これ以上、抵抗しようとしてはいけないことを知った。愛され、評価され、認められたいという思いや、せめて穏やかに普通に話ができるようになりたいという願いさえも、手放さなければならないのだと気づいた。私は人が自分をどう評価するかという心配を一切、手放さなければならない。キリストのために、自分の家族への未練をも手放さなければならない…。どんな麗しい相互理解という美名のためであっても、どんなに気高い理想のためであっても、主から認められることよりも、人から認められることを優先して求め、それがなければ生きられないと言うようであってはいけないのだ…。
 
 本能的な絶ちがたい肉親の情、肉親であるがゆえに、自分を無条件で愛し、受け入れてもらいたいと願い、そうあるべきだと確信しているある種の甘え、こうしたものが十字架で取り払われるのは、厳しい試練だったと言えるかも知れない。

 だが、私はその生活の中で確かに劇的な変化を経験したのである。
  
 もし上記したような、明らかに悪魔が引き起こしたと分かる異常な出来事がなく、つつがなく、平和に暮らしていたとしても、主からの評価だけを切に求めて生きるならば、私たちは、人からの評価というものが、いかに危うい、根拠のない、取り合う価値のないものであるかということがよく分かってくるだろう。

 たとえ周囲の皆から愛され、受け入れられ、人間関係に何の問題もなく、すべてが順調に進んでいるように見えたとしても、人からの評価に引きずられ、それに頼って生きることは、恐ろしい結果しか招かないのだ。

 さらに、たとえ、傷ついた人間関係の修復のため、家庭の回復のため、家人の救いのため、といった美しい名目のためであっても、主から来たのでない、人間の思惑、世の思惑、人の生まれながらの移ろいやすく悪しき感情に引きずられ、それに翻弄されながら、生まれながらの人間の理想だけを掲げて生きているようであってはならないのだ。美しい様相であれ、醜い様相であれ、生まれながらの人間の「情」というものは、根こそぎ取り払われなければいけない、そのことが、分かってきたのである。

 その当時の私にとって、家庭が回復しないことは、つらいことではあるが、ヒューマニズムとは決別する必要があった。主を信じていない人たちの思いとは、一線を画したところで暮らさなければならないと、決意しなければならなかった。いや、家庭どころか、たとえ全世界から理解されずとも、信者はただ神だけを信頼して、固く立ち続けなければならないのである。

 だが、家人の名誉のためにも、ここに断っておかねばならないが、上記のような事件は、悪魔が引き起こしたものであって、私が生まれながらの肉親の情を全て手放し、自分の家のあり方を自分の手で変えようとか、人間関係を思う方向へ是正しようとか、私の理想的な考えを理解してもらおうとかいった期待を失い、自分の心の切なる願望さえも十字架に渡した時に、神ご自身がこの家に力強く働いて、家人との関係を全て修復して下さったのである。

 だから、我が家にはもはや以上に記したような恐るべき波乱が起きることはない。たとえ少しくらい湖面が波立つことがあっても、それもさほど注意を払わずに見守っているうちに、穏やかに静まって行く。

 そんなこともあって、以上に記したような究極的に追い詰められる体験も、やはり、神が許されて起きたことであり、荒々しい喧騒は、家人の性格にも合致せず、それは一時的に悪魔が神に許されて引き起こした紛争だったのだが、こうした異常に見える出来事も、ただキリストの十字架の御業が我が家に現れるために、神によって利用されたのであった。どんな出来事が起きようとも、そこにほんのわずかでも信仰が働くならば、万事は神の栄光のために益とされ、御業が現されるのである。

 主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます…、という御言葉は真実である。環境や状況がどうあれ、神を見上げ続ける信仰者が一人でもいれば、その影響は、家族全体に及ぶのである。

 ただし、そのようにして、キリストのゆえに家庭に再び(いや、未だかつてないほどの新たな)平和が与えられてから、私はより一層、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団及びキリスト教界の欺瞞を強く認識するようになったと言える。

 カルトは家庭を破壊すると言われるが、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(キリスト教界)に関わったことによって、我が家には、分裂や争いばかりがもたらされ、片時も平和がなかった。家人は奉仕に忙しく、教会には愛がなく、絶え間なく偽りの運動が流入して混乱が引き起こされており、教会に奪われていた時間は、家庭にとって単なる損失でしかなかったことが今はよく分かるのである。

 こうした教会の望ましくない介入のせいもあって、我が家庭に相互理解が失われていた頃に、私は上記した通り、村上密牧師の率いるカルト被害者救済活動に接触したのだが、そこでは、何ら適切なカウンセリングをも受けられず、私の両親も、村上密牧師に会ってはみたが、この牧師には決して何もできることなどありはしない、という結論だけを確信してそこを去ったことを、後になって私に直接、語ってくれた。

 村上密牧師は、筆者の両親に向かってこう言った、「私がヴィオロンさんのために岡山まで行ってあなた方の相談に乗ってあげてもいいですよと」

 だが、その言葉を聞いて、両親はただただ非常に不審に思ったのだという。この牧師に活動の意欲があって、自分の人助けの熱心さをしきりに初対面の人間にアピールしようとしている意気込みは感じられたが、この人間にあるのは活動意欲だけで、何の具体的な計画も方針もない。そして、思いつきのように発せられるその言葉も、どこまで信ずべきか分からない。悪いが、こんな人間には、決して我が子は助けられないであろう、と、両親はその時に確信したのだそうだ。

 だから、両親、特に父は、筆者がこの牧師に絶対に幻滅するだろうと予測した上で、あえて親子の表面的な断絶を忍耐しつつ、その時を静かに待ったのであった。そうなる前から、父はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に反対しており、この教会に我が家の成員が通うことに反対であった。しかし、母がこの教団の信者となっていたので、しばらくの間、父はどうすることもできないはがゆさを味わいながら、見守っていた。

 しかし、その時にも、父には父なりの算段があって、彼は自分にはすでにはっきりと見えている結論を、他の人々も心に確信する時が来るまで、静かに待ったのである。間もなく、通っていたアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の教会に事件が起きて、村上密牧師の義理の父であった津村昭二郎氏の不祥事が明るみに出て、さすがに母もその出来事を見てまで、この教会に残ろうとは考えず、一家全員で、この教会を去ることになった。

 不信者であったにも関わらず、この教会に対する父の早くからの予感、不信感は見事に的中したのだと言える。

 さらに、神が我が家に御業を成して下さったおかげで、我が家にまたとない平和が訪れたのが、筆者がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と永遠に訣別して、郷里に戻った後のことだったことを考えても、やはり、この教団とは訣別するのが、何より正しい選択であったのだと思わずにいられない
 
 「汚れたものとは分離せよ」という聖書の原則の通り、神の名を用いながら、これを商売の道具としたり、異端の教えを無分別に受け入れて、聖潔を失って堕落した教会と関わっていたならば、神の栄光を見ることはできなかったであろう。

 アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団だけに限らず、神以外のものに頼ることをやめ、目に見える人間の指導者に頼ったり、人間の支援を受けて人間に栄光を帰することから一切手を引くことこそ、神の御業を見るための前提条件であるのだと思われてならない。

 筆者の父や祖父母には信仰がないので、彼らの言動はクリスチャンの言動からはかけ離れた部分もあるかも知れないが、ある意味で、キリスト教界に関わったことのないからこそ、信者にはない冷静な洞察力があり、特に、父の見解に私も学ばせられた部分がなかったわけではない。

 父の愛というものは、静かで、語ることのない、忍耐強い愛なのだと思う。肉なる親子の間には、表面的には対立もあるかも知れない。時には、争いや、分裂や、断絶もあるかも知れない。ベタベタと寄り添って甘い言葉をかけあうことは滅多にないかも知れない。一見、仲が良いのか、愛があるのか、表面的には分からない、そういう親子の関係もあろう。

 だが、たとえ地上の肉なる親であっても、父というものには、どこかしら、天の父の影のような部分があって、新約聖書で放蕩息子の帰宅を待ち続けた父のように、忍耐を持って子供の帰りを待ち続けるという性質が備わっているのかも知れないと思う。

 たとえば、津村昭二郎牧師のような人間が、信者の心の助言者のように振る舞いながら、信者の日曜日の家庭の団欒を奪い取って破壊し、村上密牧師のような人間が、まるで我が子の救済者のように振る舞っている場面を目の前で見せられても、そんなことは決して道理にかなわず、正常なことでもないと冷ややかに確信しつつ、それでも家人の心を傷つけまいと、静かに黙って家族の帰りを待ち続けた父の忍耐は、報われるべき、正しいものであったのだと言える。

 異常なアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が要求した数々の奉仕のために、妻と子供たちをみな教会に取られて、休日にも一人、家に置き去りにされながらも、家族の成員の皆が、この教会と教団に失望して「帰宅」するまで、待ち続けた父の忍耐を思わずにいられない。たとえ不信者であっても、それは場合によっては、並みの信者を超える洞察力と忍耐力と愛情に裏打ちされた行動であったと言えるであろう。
 
 口先だけで色の良い提案を色々と並べながら、実際には何の手助けもしてくれないパフォーマンスだけの牧師たちに比べれば、無口で、考えていることは分かりにくくとも、本当に最後まで扉を開き続けて待ち続けてくれた肉親に対する感謝は私の心に存在する。

 ただし、そのような肉親の情すらも、キリストの十字架において取り扱われ、是正される必要があったのだ。

 正真正銘、人が頼ることのできるお方は、神以外にはいない。それは教会でもなければ、そこにいる指導者でもなく、見えない神ご自身である。キリストにこそ、正常さと、健康の源がある。キリストこそ、癒し主であり、回復と、命をもたらす方である。私の健康さは、私の人格の完成度や、自分自身の理想の高さや、努力の度合いや、人からの評価によってはかられるものではない。ただ、私の罪の身代わりに死なれた貴い神の小羊、新しい人としての人生を完成されたキリストが、私のうちに住まわれるところに、私の健康、私の完成、私の義があるのだ。

 人間は欠けだらけの土の器だが、その器の中に、キリストが住んでくださるとは何という光栄だろうか。どんなに私が未熟であっても、キリストと聖霊が、私を全ての真理に導いてくださる大きな特権。聖霊は、人生の最後の瞬間まで、私の助け手であり、同伴者でいて下さる。たとえ人に見捨てられる瞬間があっても、主が私を選んでくださり、受け入れて下さることの、はかりしれない光栄。

 だから、人から受け入れられているかどうかではなく、あくまで神に受け入れられていることをこそ喜びたいのだ。
 
 私の人生は、キリストに出会うためにあった。キリストを見つけるために私の人生があった。私は何年間も、教会という枯れ井戸の近くに水を求めてさまよったが、そこには水がなく、教会籍さえ行方不明となって、その団体と訣別した今になって、やっと生ける水の川のほとりにたどり着いた。そこにキリストがおられた…。

 これ以上、何を思い残すことがあるだろう。私はキリストを得て、全てを得た。何という大きな恵みのうちに私は生まれたのだろう。今後、何があろうとも、誰もこの命の泉を私から奪うことはできない。誰もこの尽きない水の湧き出る川を奪うことはできない。

 人間の争いや対立など、この恵みの前には、跡形もなく消え去ると言ってよい。

 まるで、幼い女の子が、父親に肩車してもらいながら、この世の事象について、穏やかに父と語り合うように、主の肩に乗せてもらいながら、私は無邪気に、安心して、世の中を見下ろしている。

 主の目線に立って、世の中を見下ろす時、世界の何と美しいことだろう。何と全てが完全に見えることだろう。

 カルト問題などどうにでもなればよい。裁判の有無も、失った宝も、そんなものはどうでもよい。失った友も、傷つけられた名誉も、誤解され、奪われた人生の貴重な時間も、将来の夢も、職業も、生活の不安も、そんなもの一切に、何の価値があろう。

  主の目線に引き上げられると、人間の思惑によって引き起こされる地上の争いの全てが、まるで地表をうごめく蟻の運動のようにしか見えない。

 天を住処とし、地を足台にされる主が、私を軽々と抱き上げて、宇宙的な高みまで引き上げて、共に語って下さる。神は人間のためにこの地球を創造されたのだと、被造物の全てが神の目にかなうように創られたのだのだと、神はこれほどまでに人間を愛され、その愛を、他でもない私に受け取って欲しいと思っているのだと語って下さる。

  だから、人からいわれなく罵られたり、理解されなかったり、苦しめられたとしても、そのことを恐れる必要はない。神はそれらの受けた損失もすべてを回復することのできる主である。

 クリスチャンは神の大いなる愛によって、召し出され、あがない出された者なのだから。告発する者の矢はもう届かない。神は私たちを喜んで下さり、ご自分の愛する子供として、必ず、すべての死の毒から守り、救い出して下さる。

「あなたがたは弱った手を強くし、
 よろめくひざを健やかにせよ。
 心おののく者に言え、
 『強くあれ、恐れてはならない。
 見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、
 神の報いをもってこられる。
 神は来て、あなたがたを救われる』と。

 その時、目しいの目は開かれ、
 耳しいの目はあけられる。
 その時、足なえは、しかのように飛び走り、
 おしの舌は喜び謳う。
 それは荒野に水がわきいで、
 さばくに川が流れるからである。
 焼けた砂は池となり、
 かわいた地は水の源となり、
 山犬の伏したすみかは、
 葦、よしの茂りあう所となる。

 そこに大路があり、
 その道は聖なる道ととなえられる。
 汚れた者はこれを通り過ぎることはできない。
 愚かなる者はそこに迷い入ることはない。<略>
 ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。
 主にあがなわれた者は帰ってきて、
 その頭に、とこしえの喜びをいただき、
 歌うたいつつ、シオンに来る。
 彼らは楽しみと喜びとを得、
 悲しみと嘆きとは逃げ去る」(イザヤ35:3-10) 

 主の御名はほむべきかな。
 
(2016年加筆修正済み。)


阿蘇への旅を終えて

さて、教会成長論を終えなければならないが、その前に余談をば…。

旅行はとりあえず無事に終わった。地元新聞でも宣伝していた、30名から成る安上がりな団体ツアーに申し込み、新幹線とバスを使って九州へ。耳に響いてくるバスガイドの説明を、時に子守唄に、時に目覚ましにしながら、たまにはこんな風に、小学生の修学旅行のように、何も考えず車に揺られ、団体の後をちょこちょこついて行くのも悪くないなと感じた。

私は瀬戸内海沿岸の地方で育った。いつも暮しの近くに海があった。そのため、今でも海を見るのが大好きだ。山の澄んだ空気も良いが、海ほど私を元気にしてくれるものはない。いや、海と山、どちらもあれば、それこそ、限りない贅沢というものなのだが…。

南方の空気は良い。気候の穏やかさ、緑の豊かさ、海の広さが、人間を渦巻く情念から解放してくれそうな気がする。瀬戸内海沿岸の田舎とは言っても、私が今住んでいる地方は、いかにも山と田んぼばかりのせせこましい土地だから、雄大な海のあるところには、比べられない…。

私の地元は、まるで宗教の宝庫のようだ。車で道を行けば、キリスト教界のあらゆる宗派の教会の看板が目につくだけでなく、その他、私の知らなかった様々な宗教が存在していたことが分かる。地方自治体の資金によって作られているはずの道路標識にさえ、黒住教本部がどこにあるかが明確に指し示されている。

気候が温暖で、作物が豊富に採れるこの地方の人間は、試練がなさすぎるために、甘やかされすぎて、わがままとなり、人間性がずるくなっている、と、時折、言われることがある。昔から農民独特のずるさというのはよく指摘されてきたことだが…。

この地方の人々は、最高の品質の果物や野菜を日頃から食べなれている。そこで、食べ物の味に関する評価はまことに厳しいものがある。都会のレストランでは、高級な料理は決してたくさんの量は出てこないのが普通だが、この地元においては、質と量とが両立していなければ、どんな店にも客がつかない。
そこで、料理店では、必ずと言っていいほど、食べ放題のバイキング形式を取ったり、食べきれないほどの料理を出す羽目になる…。しかも、食べ残して帰ることが少ないのがこの地方のお客だ。つまり、持ち帰り客のための対応も、店側はしっかりやっておかねばならない。食べきれようと、食べきれまいと、とにかく食べるに困るほどの料理が出て来ないと、誰一人納得しないのが、この地方の人間なのだ…。

さらに、この土地には昔ながらの家父長制が根強く残っているため、老人は年功序列の絶対性を心から信じている。しかし、過疎化に伴い、偉くなった老人ばかりが集まっているので、この地方は、若者にはちょっと住みにくいかも知れない。どこまで行っても、人を喜ばせるための配慮ばかりが行き届くこの土地に、時々、私は息苦しさを覚えることがある…。

新幹線が山口に差し掛かる頃には、すでに車中にいながら、私は身体が蘇って来るのを感じた。
山口県は、何度か旅行してきたウクライナを思い出させる。あまり好きな国ではなかったのだが、平凡な街の中に、緑と水、工業と農業が乱暴に両立しているところが、どことなく似ているような気がする。茫々たる黄色い農地の横に、もくもくと煙を吐き出す工場の煙突がある。農業のきめ細かさと、工業の威力、山の起伏と、海の平らが並んでいるところが、実にアンバランスで筋が通らなくて良い。ちぐはぐながら、雄大なこの風景の中に、あらゆる感情が吸い取られていくようだ…。

九州に入るとさらに、立っている大地そのものがエネルギーを含んでいるように感じられる。まるで自分が充電器の上に立っている電池のように思われる。私がこれまで人生で出会って来た全ての九州人の友人が、なぜあれほどのバイタリティを持っていたのか、納得できる気がした。空気そのものが命を含んでいるようだ。この空気を吸って成長した人がエネルギッシュになるのは当然だろう。しかし、自然の力がこうも強いと、人間は活動に重きを置いて、思考を働かせることが少なくなっていくかも知れない…。

天気予報によれば、降水確率80%であった阿蘇でも、幸いなことに、雨に降られることはなかった。日本国の歴史については、私は昔から無知であり、日本史の名所旧跡を訪れようという願いをほとんど持ったことがなかったが、今回、天照大神がおかくれになったという天の岩戸を訪れることができた。恐らくこの神話は、昔、阿蘇山の大噴火によって、太陽光がさえぎられ、大地が真っ暗になった歴史からが生れたのではあるまいか。火山の噴火が光をさえぎり、大地を夜のように暗くすることがあるのは有名だ。

今はまだ勉強不足ゆえに、神話については何も書けないが、きっとこれも何かの縁だろう、そのうち日本国の神話について、もっと真剣に考えねばならない時が来るような気がする。もう少し勉強しよう。

天照大神のことを考えながら、日本はやはり女神の国なのだ、と思った。この国は未だに「母なるもの」の中にまどろんでいる。この国は男尊女卑的だと言われるが、ところが、実際には、息子たちを陰で操っているのは「おふくろさん」だ。(オオクニヌシノミコトは天照大神によって黄泉の国に追放された。)

「おふくろさん」が持つ絶大な権威は昔も今も変わらない。男たちの溢れるエネルギーといかなる反抗心をも吸収してやまない「おふくろさん」の絶大な威力。演歌などでもそうだが、日本の男たちが「おふくろさん」を称える時の、あの絶対的なまでの敬慕の念には、不気味さを覚えるという人もある。これぞ、母性的なものへの信仰の表れではあるまいか…?

古来、人の信仰とは食べ物、着る物に困らないで済み、多産と豊穣をもたらしてくれる生命の原理への崇拝であった。
利得を離れて、ただ神に従順であることを第一義として生きるように定めたユダヤ教の父なる神は、当時、万国の国民には無縁であった。生命への信仰、つまり、ご利益信仰こそが、異邦人の宗教の根源だった。命をもたらすものへの信仰は、未だにこの国にも、隠れた宗教として残っていると言えるかもしれない。

沸き立つような自然の命の息吹、エネルギーに満ちた空気は、確かに、人を圧倒する。肉なる人は、この生命力溢れる磁場の上に立つと、強められ、命に浸されるような気がする…。
そこには確かに、肉なる人間にとっては、賛美に値するほどの命が溢れていた。異常な教会を去った後、半年で10年ほども年を取ったように感じた私だが、阿蘇に来て、1年ほど体内時計の針が元に戻ったような気がした。

きょうだいとの道中の会話からは、色々と考えさせられるものがあった。長年のコミュニケーション不足ゆえ、行き違いも多く、ぎこちない関係は直らない。だが、それを知ってか知らないでか、ツアーの参加客が、菊池渓谷にて、二人のためにアイスクリームを不意に差し入れてくれたりと、優しい心遣いが嬉しかった。

これも主が働いておられるのか…? そんな風に感じさせられる出来事だった。

阿蘇のホテルに滞在しながら、ネットをチェック。クリスチャンの朋友の言葉を読んで、ほっと胸をなでおろす。
まだまだ多くの問題を抱え、一体、良くなっているのか、悪くなっているのかすら分からない我が家の状態には、絶望するほどに落ち込むことも多くあり、きっと、落ち着いた家庭で普通の暮しを営んでいる人には、想像もつかないようなきりきり舞いが続いているのだろうと思う…。

しかし、見かけの事象をこれ以上、気にするのはやめよう。主の御手に何もかもを任せ、誰の言葉にも翻弄されず、御言葉に立ち、しっかりと毎日を送って行こうと改めて決意させられた。

* * *

私はこの旅の間に、残りの人生を主に捧げる決意をした。私の人生で最も前途有望だった日々はすでに過ぎ去ったかも知れない。その日々をきっと私は自分のために無益なことに使ってしまったのだろう。天での私は無産階級のようなもので、みじめなものだ。もはや献身しようにも、その資格さえ持たない。しかし、残された日々、キリストのために生きたい、ただキリストだけに結びついて、生涯を送りたいとの思いが強く心に沸き起こった。

献身などという平凡な言葉では表しきれない。ただ主とともに生きていきたい、それだけなのだ。もしもこれまで、人間の思惑に徹底的に絶望させられることなく、過剰なまでの愛に包まれて生きていたら、こんな心境に至ることがあっただろうかと思う。

恐らく、このブログにおいて、私がキリスト教界に対してあまりにも反発的な言動を繰り広げるので、それを面白く思っておられない方が、何人もいらっしゃることだろうと想像する。これを私怨だと解釈される方もあるだろう。しかし、申し訳ないのだが、このことについては、私は自分の人生そのものを教界に根こそぎ奪われているため、決して、何と非難されようとも、譲ることはできない。

私は異常な教会の暴走を食い止めるために警告を発しているつもりはない。カルト対策家として活動しているわけでもないし、言われなき非難に対する自己弁明の試みとして訴えているわけでもない。
私が訴えたいのは、ただ一つ、異常な教会を生み出す背景には、必ず、キリストの真理を曲げる異常な教えがあるということだ。その教えの誤りについて、調査を進めながら、誰にでも分かる形で、はっきりと真実を提示し、警告を発さなければならないと思っている。それがキリスト者の義務であり、使命であると私は考えている。

恐らくは、このことのためにこそ、主はカルト化教会の被害者の中から、幾人かを召し出されたのではないかと思う。異端の教えの恐ろしさを身を持って体験し、その教えの深みを理解した上で、守るべきものすら持たないほどに、全てを巻き上げられ、火の中をくぐるようにして助かった信徒が出て来たのは、この時のためだったのではないだろうか。なぜなら、そのような体験をくぐり抜けた人でなければ、異端というものの破滅的な恐ろしさを、、十分に理解した上で、警告を発することは難しいだろうからだ。

だが、「あなたは人間的な闘いに熱中して、自分のなすべきことを忘れてしまっている、あなたのやっていることも、結局はむなしい政治闘争ではないか」と非難する人がいるかも知れない。それに対しては、私は自分に完全な正義があるとは少しも思っていないと答えよう。

何度も言ってきたように、人の闘いにおいては、どちらの側にも完全な正義はない。人の心は欺くものであり、正義と真実はいつも人を超えたところにある。ただ神お一人だけが義なる方であり、人間の中には絶望しかない。そのことは誰よりもこの私にこそ当てはまるのだ。だから私を含め、人の言うことをあまり生真面目に信用されないのが良いだろう。私の書いていることは、ただの参考に過ぎず、何が正義で何が真実であるかは、御言葉と聖霊だけが確実に教えてくれる。聖書を開いて、各自が自分で考え、判断できるようになること、それこそが何より大切なことなのだ。

「自分に完全な正義がないと思っておられるならば、では、一体、あなたは何のために他者に闘いを挑むような発言をするのですか」と問われるだろう。それに対しては、プロテスタントの教界において、今日、異端を排除するための神学的議論、特に、護教学という分野が正常に機能してないのはなぜなのか、問い返そう。もし神学が正常に機能して、異端が確実に排除されてさえいれば、誰も自分の身に危険が降りかかることを覚悟した上で、このような気まずい話題を展開する必要はない。

本当に、どうしてプロテスタントにおいては、異端の排除ということがほとんど行われないのか。これでは異端オンパレードになるのは当たり前ではないか。今や各教会ごとに、各牧師ごとに、新しい教えがあるようなものなのに、それでもまだ公然と異端と闘う必要はないとおっしゃるおつもりか。
このことを非難した上で、私はサムソンの名を挙げるつもりだ。

異教徒の女に惑わされて、ナジル人としての禁を犯し、髪をそり落とされ、目をえぐられて、ペリシテ人の群集の前に余興として引き出されたサムソン。彼は自分の信仰的つまずきによって、全ての恵みを奪われ、主の栄光は彼から去った。彼はもはや生きていても何の希望もなく、人としての価値さえないような状態にまで追い込まれたが、そうなった後に、神に従って栄光の中に生きていた頃よりも、もっと多くのものを主のために遺して死んだ。

主はサムソンの嘆きを無視したりはなさならなかった。不思議なことに、主を裏切ったサムソンの通らされた嘆き悲しみの中に、主の嘆き悲しみが重なっていたのだ。

私もまた、両手を異教の神殿の柱にかけて叫んでいる。主よ、あなたの正義を全地にお示し下さいと叫んでいる。たとえこの世の全ての人が、その姿を見てただあざ笑うたけであったとしても、敗北を確信していたとしても、どうしてここまで来て、後に退くことなどできようか。ここまで徹底的に誤った教えの恐ろしさを学ばされた上で、なお、何も知らなかった頃のように、無邪気な妄信の中に生きる者がいるとしたら、それはよほどの愚か者だけだろう。

私はカルト化教会の事件の解決のために、裁判が有効であるとは思わないが、そう思っているからと言って、主に正義を求めることまでやめたつもりは微塵もない。主こそ正義なるお方である。公平な裁きを願う人は、誰しも、神により頼むのが良い。主こそ、最良の裁き手、我らが最良の裁判官である。主こそ、弱者をかばい、やもめの名誉を回復し、みなし子のためにパンを備え、貧しい者のために公平な裁きを行って下さる唯一のお方だ。

「信仰とは互いに愛し合うことだ、争い合うことではない、なのにどうしてあなたは争いを起こすのか」、と言う人があれば、異端の教えとの間に一体、どんな愛や友情が成立しうるのか、問い返そう。キリストが、自分は分裂をもたらすために世に来たと言われたのは、パリサイ人、律法学者の欺瞞と袂を分かつためであったことを思い出していただこう。

もしも、強盗的な偽牧者との間にも、信徒が愛をはぐくむことが可能だと考えている人があるならば、その人には、一度、カルト化教会へ行って、長期の研修を受けてもらおう。そして、そこで人生を徹底的に奪われてから、もう一度、命からがら、ここへ戻って来ていただき、そうなっても、なお、以前と同じように安易に考えることができかどうか、この破滅的な教えの危険を声を大に訴えずにいられるかどうか、改めてインタビューしたい。

主への従順の価値と、主を裏切ることの恐ろしい結末は、そのために犠牲を払った人にしかきっと分からない。主を裏切った者たちの悪事を知っていながら、黙って見逃すことは、それに加担する罪を引き受けるに他ならないことが、多くの人には分からないのだ。
もう一度言おう、異端の教えの存在を知りながら、黙ってそれを放置することは、それに協力していることと同罪なのだ

いずれにせよ、バアルの祭壇に火がつけられるのか、キリストの祭壇に火がつけられるのか。それは人ではなく、主ご自身がお決めになることだ。

人の思惑ではなく、ただ主の御心だけが地になりますように。


真実なる信徒の交わりを求めて

 何だか、私の住む地方は熱帯に近づいているような感じだ。昼間は息苦しいほど暑く、そして夜は肌寒いほど冷え込む。昼と夜の気温差がかなり激しいので、体調が狂ってしまわないように気をつけなければいけない。
 すでに風邪を引いてしまっているのか、あまり思考がまとまらない。教会成長論の続きについては、書かなければならないことが山のようにあるが、また今度…。

 帰宅してから、きょうだいはワインに関する勉強を進めている。試験のために、たくさんの参考書を抱えて図書館通いだ。長い間、料理人として仕事をしてきた人だ。有名人も通う一流の店で修行をしていたこともある。

 料理の世界は厳しいと聞く。上司は絶対で、職場では暴力も飛び交えば、罵倒もされるのが当たり前。そんなところでよくやって来られたものだ。だが、苦労話はほとんど聞かない。いつもひょうひょうとしている。時折、私のために料理を作ってくれるが、その素早いこと、素早いこと。

 一流の店で働いていたというプライドはほとんど表に出ない。
 外出しても、食べるものにこだわることもない。ファミレスのパスタやピザを普通に注文。私が作った食事も、不平も言わずに食べてくれる。

 一年ほど前、きょうだいはこの地で両親を助けて働いていた。
 ケーキを作らせればピカ一の腕前で、まるで芸術作品のようなお菓子の写真がいくつも残っている。それなりにお客さんもついていたのだが、家での人間関係の断絶のために、結局、働きに出て行ねばならなくなった。
 その頃、私はカルト化教会で起こったことですっかりめげていたので、助けになってやることもできなかった。

 我が家の両親は働き者で、酒や道楽に溺れることなく、一生懸命に働いて生きて来たつつましい人たちだ。しかし、何分にも、自分の考えに自信を持ちすぎていた。
 幼い日、父に向かって「洗礼を受けたい」という話を持ちかけた後に起こった騒動の恐怖は今でも忘れられない。ノンクリスチャンの父は子供が信仰を持つことに反対だった。母はクリスチャンだったにも関わらず、信仰のあり方を共有できなかった。

 私が教会を離れようとした時、家ではひどい論争が持ち上がった。
 「日曜礼拝は守るべきもの!」、「約束した奉仕は責任を持って最後までしなさい!」
 そう頑なに主張する母に、教会に通わないことを納得してもらうのには本当に骨が折れた。
 だが、その後、教会で起こった不祥事のために、結局、一家全員が教会を離れざるを得なくなってしまったのだが…。

 家で購読していた『リバイバル新聞』を見るたびに、私はいつも母と議論していた。
 「この新聞はおかしい、だって、少しも批判的・客観的な視点がないもの」と私はよく言っていた。どうしても何かが変だと感じずにいられなかった。それで意見を率直に述べていたのだが、相互理解には至らなかった。

 毎回録画されていたハーベスト・タイムの番組や、デボーション雑誌、活動をめぐってもよく議論したものだ。しかし、このことについてはむしろ非クリスチャンであった父の方が話が通じたように思う。

 今から考えると、我が家には、日本のキリスト教界における流行行事の全てが持ち込まれていた。山のような音楽CD、今も購読が続けられているデボーション雑誌、未だに送られてくるリバイバル・ミッションのパンフレット…。

 母の苦労(?)のおかげで、今、本棚を探すとキリスト教関係の本がいくらでも見つかる。それを手にとって見ているうちに、当時は、ただ訳が分からずに、反発だけを感じ、むやみに議論していた様々な事柄について、だんだん真相が見えるようになってきた。

 以前から、何かがおかしいと直観的に感じていたことが、何であったのかが少しずつ分かってきた。
 奥深くまで浸透している病気が浮かび上がって来る。残念なのは、あの当時、このことがこれほどはっきりと見えていたならば、絶対にあのカルト化教会などには近寄らなかったのに、ということだ…。

 幼い頃から、日曜礼拝への出席を義務づけられ、教会活動に関わっていなければ信仰を失うとまで言われていたことで、心に刷り込まれた恐怖感に負けてしまい、ついふらりともう一度教会に通おうと思ったことが、私の人生の命取りになってしまった。

 だが、そうなるまでに、私は安心して通える教会を見つけたいと思って、祈ってさえいたのだ。なのに、どうして主の導きでないことをそうと取り違え、あんなことが起こってしまったのか。
 あの教会に導かれた時には、偶然とは思えない要素がたくさんあった。よくカルト化教会では計画的な勧誘が行われていると聞くが、あの時はそうでなかったと言える。私はこのことについて考え始めると、未だに大きな壁にぶつかり、心の整理が出来なくなってしまう…。

 教会と全ての縁を切って、この地に来てから、今日のキリスト教界の異常性について、いやというほど家人に語ったが、未だにあの教会で起こった出来事について語ることはできない。
 私自身が、このことについて一体、どのように話せば人に分かってもらえるか、まるで分からないのだ。それに、我が家の人たちにも、それを受け止めるに必要な理解力がない。

 きょうだいとは何度か信仰に関する話をした。初めは反発も示したが、穏やかに耳を傾けてくれるようになった。しかし、今、彼女が読んでいるのはN.ウォルシュの『神との対話』。
 私も勧められて第一巻を手にとってみたが、数ページ読んだだけで、これがキリストを信じる者によって書かれたのではないことは明らかになった。

 これもまたセルフ教の一種だ…。自分を信じなさい、自分の中にこそ神がいる、神はあなたの情感と経験そのものなのだから、というあのグノーシス系の教えだろう。しかしきょうだいは「私がこの本と出会ったのは運命だったと思う」とまで言っている。

 主よ、私達はかつてそろってあなたを礼拝していた日があったはずです。今のこの不調和は何なのでしょうか。教会で過ごしたあの日々は何だったのでしょう。どうしてこれほどまでに家族の全ての成員の心があなたから遠く遠く離れてしまったのでしょう。

 結局、教会に費やした月日は、我が家に断絶と離散という結果しかもたらさなかった。
 このむなしい結果を乗り越えるために、これからも離れた心をつなぎとめる努力を地道にしていかなければならない。時々、耐え難い気持ちになるが、それでも少しずつ、家族の気持ちも変わって来ていることに希望を託そう。

 目の前で起こっていることだけを見ると失望することも多いが、良いこともある。
 キリストに心を向けている人との会話は、大きな慰めを与えてくれる。

 苦労そのものはいつまで経っても終わらないかも知れない。
 この世に生きる限り、悩みも終わらないだろう。
 けれども、「あなたを見捨てて孤児とはしない」と言った主が、今も共にいて下さる。

 教会でひどい事件に巻き込まれ、その上、どちらを向いても、指導者の栄光のために利用されている集まりばかりが目についた。そこで、教会という看板を掲げているところはもううんざりだという気持ちになり、人の集まりを信じようという気持ちすら起きなかった。
 なのに、最近、真のキリスト者の集うエクレシアに身を置きたいという願いが、抑えがたく心に起こってくる。

 主を自力で獲得しようとする一切の試みは無意味だろう。
 だが、家出をして、一人で野宿していたヤコブの夢枕に立ってくださったように、主はきっと、ご自分が望まれる人のもとを、望まれる時に訪れて下さるだろう。
 そして御心にかなった聖徒に、ふさわしい交わりの場を必ず与えて下さるだろう。
 私はこのまま待ちたい。心安らかに。花婿の到来を待ち焦がれる花嫁のように。


閑話休題

 教会成長論については、また話を続けるとして、ちょっと一休み。
 
 さて、きょうだいが無事に帰って来て、今までと別の生活が始まった。ようやく再会した日は、おかしな冷え込みのために、冬のように寒い夜となった。
 ファミレスからの帰りがけ、白んでくる夜空を見上げながら、二人とも凍えながら、バイクに乗って帰った。半月が浮かび、星空がきれいだった。

 我が家では、長い間、先祖崇拝が続けられてきた。祖母は毎晩、9時になると仏壇の前に座り、自分の祖先に向かって長々と祈りを捧げる。

 幼い頃、子供たちも祈祷に加わることを求められた。「私はクリスチャンだから、できない!」と断ると、父からうんと叱られた記憶がある。「ご先祖様を大切にしないなんて、なんて薄情な、キリスト教とはそんな非常識な宗教なのか」と思われたらしい。だが、幼心にも、昔から何かこの仏壇への毎日の「祈り」には不気味なものを感じて来た。それは最近、より一層強まっている。
 祖母は今腰痛がまだ完治していないため、祈れない状態にあって、私はむしろそのことでほっとしているような有様だ。

 祖父はこの家に婿養子に入った。そこで、この家の最高のリーダーは祖母ということになるだろう。
 だが、私はこの風景を見ていると、やっぱり、一家の長は男性でなければならない、女性であってはいけないのだという気がしてならない。

 祖父は養子に入った時から、ひたすら祖母を立てて、祖母の決定に従い、何事にも逆らわず、自分を抑えに抑えて生きてきた。家の主人を敬うというのは、昔からのしきたりであったので、そうするしかなかったのだが、しかし、イニシアティヴを失った男性を父として生まれてきた私の父親は、父とはいかにあるべきかというモデルを、生まれた時から間近に見ることができないまま成長したことになる。

 祖父は物腰はとても謙虚なのだが、内心ではとてもしっかりしたプライドを持ち、人からなめられて黙っているようなタイプではない。何事を学んでも、師範格の領域にまで達してしまうような努力家でもあるのだが、この「家社会」の秩序にだけは、どうしても逆らうことができなかったようだ。
 婿養子ということで、田舎社会では軽く見られることも多かったらしい。立派な仕事をしても、ふさわしい尊敬と感謝を受けられないようなこともあった。反骨精神で見返してやれと、人の何倍も努力してきたが、米寿も近づき、いくつかの分野で師匠と呼ばれるようになった今に至ってさえも、昔、感じた忘れられない屈辱の記憶が、どこかしらに名残として残っている。

 このようなことを言うと、しっかりとキャリアを作って、部下を束ねて働いている女性たちから、大目玉を食らってしまうかも知れない。けれども、私の考えでは、女性はどうしても気分と感情で物事を決定することが多く、強力な権威を帯びたリーダーになるには不向きだと思う。リーダーとしての決断力が求められる時にさえ、自分の気分を軸にして物事を決めてしまうことが多いように感じられるからだ。
 このことは、ほとんどの女性が生まれながらにして持っている大きな欠点だろうと私は思う。広く、公平に物事を見て、自分一人の気分や感情を離れて、決断を下すということが女性にはどうしても難しいように思えてならない。
 それはもしかすると、女性が受けてきた教育の貧しさから来るものかも知れないし、あるいは、女性という生き物が、常に外部の危険から身を守らなければならないという危機感の中で生きなければならないことの証かも知れない。自分を守ろうとする思いが本能的に強すぎるため、そこで、リーダーとして立った時にさえも、部下を守ることよりも、自分を守ることの方がつい優先されてしまうのだ。

 さて、祖母は近頃、元気を取り戻しつつある。とても良いことだが、回復すると、また先祖崇拝に戻って行くのだろうか、と不安を覚えることがある。毎日、一家全員のことを仏壇に祈願しており、中には私自身のことも含まれている。
 しかし、祖母の先祖崇拝とは、お家崇拝のことであり、結局は、自分を家長とする家そのものの絶対化だ。家を絶対化することによって、自分を絶対化している。先祖を拝んでいるように見えて、その実、自分を神聖視している。その先祖崇拝と、氏神信仰の思想が、形を変えて、人はみな生まれながらに神の子であるとする生長の家への信仰にまで至っている。生長の家とは、人が自分を神として拝むことに他ならない。

 祖母は人を拝む教えに、何重にも支配されている。その教えは、自分を高めてくれるものであるから、本人にとってはまことに心地よい。人を厳しく罪定めするキリスト教に比べて、「人間みな神の子」と言ってくれる宗教は、人に優しい、耳障りの良い教えだ。実際に、祈願をして、病が治ったということもあったらしい。

 私は目に見えない霊の世界を知ろうとしてそれほどの興味関心を持ったことがない。だが、先祖崇拝が具体的に、我が家にどんな見えない影響をもたらしたのかを思うと、時々、やりきれない思いがする。
 人に優しい教えにつきしたがっている多くの人は、一見、世間に温かく受けいれられており、常識的であり、繁栄さえ享受している。カルト化教会にも、見たところ、繁栄がある。

 自分を神とする宗教に入っている人たちは、権威を帯びており、周囲からの尊敬をも勝ち得ていることが多いが、他方、真のキリスト者は、世間からの受けが悪く、貧しく、苦難の多い人生を送っており、厳しすぎる教えを主張していると思われて、憎まれることが多い。キリスト教とは、何て、人間嫌いの、傲慢で、みょうちきりんな宗教だろう、キリスト教徒しか救われないなんて、なんてひどい宗教だろう、と面と向かって言われることもこれまで多かった。

 先祖崇拝vs.キリスト教。
 たとえ他の宗教を信じていても、誰もが大切な家族なのだ。主よ、どうか知恵をお貸しください。